木屋町 幕末 史跡歩き

木屋町 幕末 史跡歩き

 

京都木屋町には、

幕末の史跡がいっぱいです。

 

繁華街の木屋町沿いにあるので、

アクセスも良く、グルメも満載。

 

木屋町四条辺りから

木屋町二条辺りまで。

歩いて回るには

ちょうど良い距離です。

 

今まで何気なく歩いていたところに

こんなところがあったんだ、

こんなことがあったんだ、

というような

木屋町 幕末 史跡があるかもしれません。

 

さあ、木屋町 幕末 史跡歩きに出かけましょう!

 

 

上の地図を見てもわかるように、

一部は河原町通沿いにありますが、

木屋町通沿いにたくさんの

幕末史跡があります。

 

では、

四条河原町から歩いていきましょう。

 

古高俊太郎邸跡

 

古高俊太郎邸跡2/京都 ブログ ガイド

 

古高俊太郎は、

滋賀県大津の生まれで、

※勤王思想を学び、

勤王志士とも交流しました。

※天皇に忠義を尽くすこと。

 

枡屋湯浅喜右衛門と名前を変え、

この地に「枡屋」を構えました。

 

古高俊太郎邸跡1/京都 ブログ ガイド

 

ひそかに武器を集め、

倒幕活動の拠点となっていました。

 

しかし、

元治元年(1864)六月五日、

新選組に捕縛、屯所での拷問の末、

過激志士の京都御所に火を放つ

などの計画を白状しました。

 

この情報がもとで、

のちに「※池田屋事件」が起こります。

 

新選組、今一度めぐってみる。の池田屋跡(池田屋事件)参照

 

本間精一郎遭難の地

 

本間精一郎遭難の地1/京都 ブログ ガイド

 

本間精一郎は、

新潟県の出身で、

文武両道に優れ、

弁舌も巧みであったそうです。

 

尊王攘夷活動に身を投じ、

特定の藩に属さなかったため、

自由に行動することができました。

 

本間精一郎遭難の地2/京都 ブログ ガイド

 

公家や長州、薩摩、土佐の藩士にも遊説し、

尊王攘夷の急進派でした。

 

しかし、

伏見の※「寺田屋事件」以後は、

その活動が思うようにいかないようになりました。

次第に酒色に溺れ、

人望もなくすようになり、

文久二年八月二十日夜、

この場所で襲われ、命を亡くしました。

伏見 幕末史跡めぐりの寺田屋参照

 

 

土佐藩邸跡

 

土佐藩邸跡1/京都 ブログ ガイド

 

土佐藩(現在の高知県)は、

坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太など

幕末に活躍した人物を輩出した藩です。

繁華街のど真ん中にあったんですね。

 

 

土佐稲荷神社

 

土佐稲荷神社1/京都 ブログ ガイド

 

祭神は、

「倉稲魂命(うかまみたまのみこと)」、

「石栄神(せきえいのかみ)」。

 

農耕・商売・土木・金工などの繁栄、

火難除けなどの災厄除けにも

ご利益があります。

 

室町時代初期に

鴨川の中州の岬(突端)に

祠を建てたのが由来とされています。

 

土佐稲荷神社2/京都 ブログ ガイド

 

江戸時代初期に

土佐藩邸内に遷されることになり、

お稲荷さんの愛称で知られる

「倉稲魂命」を祀るため

結果、土佐稲荷と呼ばれるようになりました。

 

地元の人の信仰も厚く、

土佐藩邸内にお参りのための

通路を造るほどでした。

 

坂本龍馬なども

お参りしていたと考えられます。

 

 

おりょう独身時代寓居跡

 

おりょう独身時代寓居跡1/京都 ブログ ガイド

 

楢崎 龍(ならさき りょう)、

坂本龍馬の妻として知られています。

 

※寺田屋事件では

おりょうの機転により

龍馬は幕府から逃れました。

※薩長同盟の首謀者として恨まれていた龍馬を、伏見奉行所が襲撃した事件

伏見 幕末史跡めぐりの寺田屋参照

 

おりょう独身時代寓居跡2/京都 ブログ ガイド

 

碑の立っている雑居ビルの1Fに

「龍馬」というスナックがあります。

 

着物姿のマスターとママがいます。

ちょっとディープですが、

龍馬ファンの人は、

行ってみてはいかがでしょう。

 

 

坂本竜馬寓居跡(酢屋)

 

坂本竜馬寓居跡1/京都 ブログ ガイド

 

「酢屋」は290年の伝統をもつ材木商の老舗です。

現在も営業しているのがすごいですね。

 

龍馬と酢屋の歴史を紹介している、

「ギャラリー 龍馬」もあります。

酢屋ホームページ

 

坂本竜馬寓居跡2/京都 ブログ ガイド

 

坂本龍馬をはじめ、

多くの海援隊隊士が住み、

「海援隊京都本部」も置かれていました。

 

 

佐久間象山・大村益次郎遭難の地

 

木屋町 幕末 佐久間象山・大村益次郎遭難の地1

 

佐久間象山は、

信州松代藩の出身で、

西洋科学の導入で、

日本の殖産興国に尽力しました。

 

彼の塾からは、

勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬などが

輩出されています。

 

元治元年(1864)に京都へ入り、

日本は鎖国をやめて開国するべきだ、

と訴えていたため

攘夷(外国を排除する考え)

の刺客に殺されてしまいました。

 

木屋町 幕末 佐久間象山・大村益次郎遭難の地2

 

大村益次郎は、

長州藩(現在の山口県)出身で、

医学者であり、兵学者でもありました。

 

長州藩の軍事指導者として活躍し、

維新後は、

兵部大輔に任命され、

近代兵制樹立に尽力しました。

 

しかし、

※廃刀論で士族の反感を買い、

明治二年、三条木屋町で

廃刀論反対の士族に襲われ、

同じ年に敗血症で亡くなりました。

※軍人・警察官にのみ帯刀を認め、士族などが刀を持つことを禁止。

 

 

吉村寅太郎寓居跡

 

木屋町 幕末 吉村寅次郎寓居跡1/京都 ブログ ガイド

 

吉村寅太郎は、

土佐藩(現在の高知県)出身で、

武市半平太の教えを受けて、

土佐勤王党に加わりました。

 

※1寺田屋事件で捕まり、

土佐で、投獄されました。

 

その後、文久三年に三月に

再び京都へ来たときに、この場所に住み、

※2尊王攘夷活動の中心人物として活躍しました。

 

※1 伏見 幕末史跡めぐりの寺田屋参照

※2 君主を尊び、外国を排除しようとする思想。

 

木屋町 幕末 吉村寅次郎寓居跡2/京都 ブログ ガイド

 

文久三年に八月に

「天誅組」を結成し、

大和五条(奈良県五條市)の

幕府代官所を占領しましたが、

その後、奈良の鷲家で戦死しました。

 

 

武市半平太寓居跡

 

木屋町 幕末 武市半平太寓居跡1/京都 ブログ ガイド

 

武市半平太は、

土佐藩(現在の高知県)出身で、

土佐勤王党の盟主です。

 

木屋町 幕末 武市半平太寓居跡2/京都 ブログ ガイド

 

一時は、

京都で土佐藩を尊皇攘夷運動の

中心的役割まで押し上げましたが、

同じ考えの長州藩が、

会津藩、薩摩藩との政争に敗れ、

京都の政界から追放されたことで、

武市半平太は失脚、投獄され、

約1年8か月後、

切腹を言い渡されました。

 

 

対馬宋氏屋敷跡・桂小五郎寓居跡

 

桂小五郎寓居跡1 / 京都 ブログ ガイド

 

現在の木屋町姉小路辺りは、

長い間、鴨川の西の河原でした。

 

徳川の時代に入り、

寛永十九年(1642)頃までには、

このあたりも、市街地化したとみられます。

 

桂小五郎寓居跡1 / 京都 ブログ ガイド

 

当初は、

角倉平次(角倉了以の孫)の屋敷でしたが、

その後、

対馬国(現在の長崎県)の大名宋氏(そうし)

の邸宅となりました。

 

対馬の宋氏は長州毛利家と縁戚関係だったので、

その家臣であった大島友之允

(故大島渚監督の曽祖父)は、

桂小五郎と親しく、

そのため、桂は、

対馬屋敷を住居の一つとしていました。

 

 

大村益次郎遺跡

 

木屋町 幕末 大村益次郎遺跡1/京都 ブログ ガイド

 

大村益次郎が住んでいたという場所です。

 

木屋町 幕末 大村益次郎遺跡2/京都 ブログ ガイド

 

この住居へ帰る途中に

前出の「佐久間象山・大村益次郎遭難の地」で

襲われました。

 

 

桂小五郎銅像

 

木屋町 幕末 桂小五郎銅像1/京都 ブログ ガイド

 

京都ホテルオークラの西北角にあります。

 

桂小五郎は、

長州藩(現在の山口県)出身で、

主に長州藩の政治を担いました。

 

※1薩長同盟にも深くかかわり、

明治維新の立役者として

西郷隆盛・大久保利通と同じく、

維新の三傑の一人に挙げられました。

 

維新後は、

※2廃藩置県などを実施し、

西南戦争中に病死しました。

 

※1 犬猿の仲である長州藩と薩摩藩との同盟。

桂小五郎も深くかかわり、

明治維新への流れを決めました。

※2 藩をやめて県を置いたこと。

 

木屋町 幕末 桂小五郎銅像2/京都 ブログ ガイド

 

木屋町通にある「幾松」は、

桂小五郎の寓居跡として有名です。

 

長州藩邸跡(京都ホテルオークラ)

 

長州藩邸跡1/京都 ブログ ガイド

 

長州藩邸のあった京都ホテルオークラから

※池田屋事件のあった場所までは、

徒歩で約3分ほどです。

 

新選組による※池田屋襲撃の日、

桂小五郎も

尊王攘夷志士達の話合いへ

行く予定になっていました。

 

新選組、今一度めぐってみる。の池田屋跡(池田屋事件)参照

 

長州藩邸跡2/京都 ブログ ガイド

 

しかし、たまたま、

池田屋へ行く時間が早く、

まだだれも来ていなかったため、

引き返しました。

 

もし、この時、桂小五郎が、

新選組によって殺されていたら・・・・、

 

薩長同盟は、

存在していなかったかもしれません。

 

 

坂本竜馬・中岡慎太郎遭難の地(近江屋跡)

 

木屋町 幕末 坂本竜馬・中岡慎太郎遭難の地(近江屋跡)1

 

木屋町通ではなく、

河原町通西側にあります。

 

現在は、

回転寿司のカッパ寿司になっています。

 

慶応三年(1867)に、

海援隊隊長の坂本龍馬と、

陸援隊隊長の中岡慎太郎が、

ここにあった近江屋で

暗殺されました。

 

木屋町 幕末 坂本竜馬・中岡慎太郎遭難の地(近江屋跡)2

 

坂本龍馬は、

海援隊の本部があった

前出の「酢屋(坂本竜馬寓居跡)」に

下宿していましたが、

薩長同盟の首謀者として

幕府から狙われていたため、

この近江屋へ移っていました。

 

十月十五日の夕刻に、

中岡慎太郎が訪ねてきて、

大政奉還後の政局を話していましたが、

夜、刺客に襲撃されました。

 

 

中岡慎太郎寓居跡

 

木屋町 幕末 中岡慎太郎寓居跡1/京都 ブログ ガイド

 

現在は、

人気のお店となっています。

絶えず、行列ができています。

 

中岡慎太郎は、

土佐藩(現在の高知県)出身で、

坂本龍馬と共に薩長同盟成立に尽力し

陸援隊の隊長となりました。

 

木屋町 幕末 中岡慎太郎寓居跡2/京都 ブログ ガイド

 

前出の近江屋に坂本龍馬を訪問中、

襲撃されて瀕死の状態になりますが、

その後二日間生き延び、

暗殺犯の襲撃の様子について

詳細に語ったということです。