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京都【山科義士まつり2025】見どころ,ルート,混雑,屋台,交通規制

山科義士まつり / 京都観光旅行ガイド

京都【山科義士まつり2025】歴史、見どころ、ルート、混雑&混雑回避、屋台、交通規制など

京都の冬、師走の空気を引き締める勇壮な祭りが「山科義士まつり」。

本記事では、山科義士まつりを初めて訪れる人でも心ゆくまで楽しむために、祭りの歴史的背景から、見どころ、義士隊の行進ルート、混雑&混雑回避、屋台情報、そして当日の交通規制に至るまで、山科義士まつりのすべてを徹底解説します!

ぜひ、このガイドを片手に、熱気あふれる義士まつりを体験してください。

目次

山科義士まつりとは

赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助良雄が討ち入りを決意するまでの間を過ごした京都・山科の地で毎年開催されています。

忠臣蔵で知られる赤穂義士の歴史に思いを馳せ、討ち入り装束に身を固めた義士隊四十七士の行列が、ゆかりの地を練り歩く姿はまさに圧巻。

山科区民と行政、企業が一体となり、長年紡がれてきたこの祭りは、今や関西圏を越え全国から観光客が訪れる京都の師走の風物詩となっています。

日程2025年12月14日
場所京都市山科区
時間10:00〜15:00頃
連絡山科義士まつり実行委員会 075-592-3088
山科義士まつり公式サイト

山科義士まつり 歴史

義士と山科のつながり

山科義士まつりは、単なる時代行列ではありません。

そこには、赤穂藩の筆頭家老である大石内蔵助良雄が、主君・浅野内匠頭の仇討ちを決意するまでの間、京の都から近い山科の地に身を隠し、再興の道を探っていたという史実に基づいています。

元禄14年(1701)6月から、討ち入りのために江戸へ向かう元禄15年(1702年)10月まで、内蔵助は山科の地で、密かに同志たちと連絡を取り合い、艱難辛苦の日々を送りました。

祭りの創設と地域参加の背景

大石内蔵助良雄が山科の地で送った日々を後世に伝え、地域住民の連帯強化を図る目的で、地元の有志により昭和49年(1974)に始まり、半世紀にわたる歴史を紡いできました。

現在では、山科区民全員参加型のお祭りとして発展し、東映京都撮影所の協力による本格的な衣装やメイクが、山科義士まつりを本格的な義士行列へと押し上げています。

毎年、赤穂浪士が討ち入りを果たした12月14日に開催され、遠い日の忠義に思いを馳せる場となっています。

山科義士まつり 見どころ

義士隊四十七士による勇壮な行列

討ち入り装束に身を固めた山科区民による義士隊四十七士の行列が、毘沙門堂から大石神社までの約6kmを練り歩きます。その凛々しい姿は圧巻。

出発時や行列の途中で、「エイ、エイ、オー」の勝どきをあげ、士気を高める様子を見ることができます。

また行列には幼稚園児などによる子ども義士隊も加わり、可愛さもあり。

東部文化会館での演劇・パフォーマンス

義士行列の行進の途中にある東部文化会館では、赤穂義士ゆかりのエピソードを再現する演劇「刃傷松の廊下」、「切腹」、「連判状改め」、「討ち入り」が上演。

また、幼稚園児による「子ども義士隊」、女性陣による「大石音頭」、「元禄花見踊り」など、老若男女が楽しめる構成になっています。

※パフォーマンスが行われる東部文化会館前は混雑が予想されるから早めの場所取りがおすすめ。

大石内蔵助ゆかりの地を巡る

行列の経路は、大石内蔵助にゆかりの深い場所を巡ります。

毘沙門堂 (出発地)

大石内蔵助の討ち入りにかかわる公辨法親王(こうべんほっしんのう)ゆかりの寺院。ここで出発式が行われます。

岩屋寺

大石内蔵助が討ち入りの準備を進める間、永住を装って隠棲していたとされる場所。

大石神社 (目的地)

大石内蔵助を祀るために創建された神社。行列はここに到着し、本懐を遂げたことを報告します。

山科義士まつり ルート

出発地からゴールまでの道のり

山科義士まつりの「義士行列」は、約6kmにわたる道のりを練り歩きます。

討ち入り装束に身を固めた大石内蔵助をはじめとする四十七士が、ゆかりの地を巡る様子は必見。

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