実相院へ行くときは、
自転車で行っています。
京都市中心部から
ぼちぼち自転車をこいで
1時間くらいです。
実相院の紅葉を見て
満足した後は、白川通か一乗寺で
ラーメンを食べて帰るのが
楽しみの一つです(笑)
いつも通り、自転車で
実相院の前の道を
東へ向かって、岩倉川沿いを
南に下って行こうと思ったんですが、
なんか、ふと、一本南の通りから
行ってみようと思いました。
実相院とセットで観光のすすめ
すると、
「岩倉具視幽棲旧宅」という
石碑の建った門を見つけました。
そして、写真でわかるように、
白壁の中から外にせり出している
カエデの紅葉がとても綺麗だったので、
「これは、入ってみなアカン」
ということになりました(笑)
入ってすぐに、
見事なカエデが迎えてくれます。
それでは、
岩倉具視が住んでいた住居へ
行ってみましょう。
主屋
元治元年(1864)に、
大工藤吉の家を購入して、
主屋を増築したのがこの旧宅です。
昭和三年(1928)10月の
建物の修復の際、七代目小川治兵衛が
かかわっていたことが明らかになりました。
岩倉具視は、幕末に、
※公武合体を進めていましたが、
幕府を倒そうとする勢力によって
失脚させられてしまいました。
※朝廷と幕府が協力していくという考えで、尊皇攘夷とは相反する。
そのため、
文久二年(1862)九月から
慶応三年(1867)までの五年間、
岩倉具視は、ここで幽棲していました。
後に、維新後に活躍し、
明治新政府の右大臣になりました。
ちなみに、
今は五百円玉が一般的ですが、
昔は五百円札があり、
岩倉具視が印刷されていました。
メインの庭に面した部屋です。
6畳の部屋が2つあります。
ゆったり部屋に座って、
庭を楽しむことができました。
庭を挟んで、向こう側にも
2部屋あります。
左側が、
紅葉の庭に面している部屋です。
右側にも2部屋ありますが、
入室することはできません。
この主屋には全部で4室あります。
炊事場も展示されています。
岩倉具視が幽棲している間、
この場所に、
坂本竜馬や中岡慎太郎、大久保利通らが
訪ねてきて、相談を重ねていたそうです。
岩倉具視遺髪碑
対岳文庫
岩倉具視や幕末・維新の歴史、岩倉地域の歴史
についての書籍があります。
実相院で
石庭は、まだ見頃ではなかったんですが、
山水庭園の紅葉は綺麗だったので、
おおかた、満足はしていたんですが、
塀の中から見える紅葉が綺麗だったので、
頭の中はラーメンになっていましたが、
少し寄ってみよう、ということになりました。
結果は・・・・、
大正解でした。
まず、
1.観光客が少ないということ
2.紅葉が綺麗であること
1.は、去年までの私のように
実相院へ行った後は
ほとんどの人が、
実相院の前から出ている
バスかタクシー(自転車)で
帰ってしまうからでしょう。
そして、
岩倉具視幽棲旧宅が、
国指定史跡で京都市が
管理しているからかもしれません。
あんまり、
一生懸命アピールしていないような感じです。
もうちょっと頑張って、
実相院のバス停なんかにも
コマーシャルでもすれば、
人は訪れると思いますが・・・・。
ともかく、
観光客が少なく、
ゆったり紅葉を楽しめるのは、
大変ありがたいことです。
京都市左京区岩倉上蔵町100
TEL & FAX: 075-781-7984
開館時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)
大人300円,中高生200円,小学生100円
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