応仁の乱 東陣 史跡めぐり 忘れ去られた、名前を辿る。

京都 東陣跡7/京都 ブログガイド

応仁の乱 東陣 史跡めぐり

京都 応仁の乱 史跡めぐり で

行っていなかった東陣、

他へ行ってきました。

※緑マークが今回行ったところです。

 

京都市上京区役所に行けば、

東陣のMapなどが置いてあります。

 

京都市上京区役所ホームページ

京都市 上京区 今出川通室町西入 堀出シ町 285番地

電話 : 075-441-0111( 代 )

 

呼び名がなくなってしまった東陣

 

西陣は、

西陣織の発展とともに、

今日ま呼び名が残ってきたと思います。

※ 個人的な意見です。

 

東陣は、

歴史の流れの中で、

消え去ってしまいました。

西陣織のような、

商業的に成功したものが東陣辺りにあれば、

そのまま地名として残っていたのでしょうか?

 

これは、

本当に変な考え方かもしれませんが・・・・。

 

「 ひがしじん 」って

言いにくいんです。

ゴロが悪いというか、なんというか。

一文字多いというか、なんというか・・・・。

 

思い切って、

”ひ”を取って、

「 がしじん 」にしてくれたら

めっちゃ言いやすいのに( 笑 )

 

逆に、

「 にしじん 」は言い易いんですよね。

 

実際に住んでいた人たちが、

「 ひがしじん 」って

呼びにくいから、

消えていったような気もします。

 

応仁の乱 東陣1/京都 ブログガイド

 

公園の一角に

説明の碑が建てられています。

 

応仁の乱 東陣2/京都 ブログガイド

 

 

応仁の乱 東陣3/京都 ブログガイド

 

 

応仁の乱 東陣4/京都 ブログガイド

 

 

応仁の乱 東陣5/京都 ブログガイド

 

道の右側すべてが

細川勝元の邸宅だったようです。

 

ぐるっと、

邸宅跡を回ってみましたが、

細川勝元邸跡のような

石碑も建っていませんでした。

山名宗全邸跡はありますから、

さびしい感じがします。

 

上京区に頑張ってもらって、

東陣の説明碑とは別に

細川勝元邸跡の碑を

建ててほしいものです。

 

応仁の乱 東陣6/京都 ブログガイド

 

上杉本洛中洛外図屏風

に描かれている

細川氏の邸宅「 細川殿 」

 

応仁の乱勃発の地

 

応仁の乱 東陣 応仁の乱勃発の地1/京都 ブログガイド

 

御霊神社の西門前に

石碑が立っています。

 

応仁の乱 東陣 応仁の乱勃発の地2/京都 ブログガイド

 

文正二年( 1467 )正月十八日朝、

この付近の御霊の森( 上御霊神社境内 )で

応仁の乱は始まってしまいました。

 

前日の十七日深夜、

畠山政長( まさなが )は自らの屋敷を焼き、

約二千の兵を率いてここに布陣しました。

 

畠山政長と激しく家督を争っていた

畠山義就( よしなり )が兵三千で攻撃を仕掛け、

十八日は終日激しい戦闘が続きました。

 

義就方には、朝倉孝景と山名宋全の命令で

山名政豊が味方に付いていましたが、

政長方には頼みにしていた細川勝元の助勢がなく、

丸一日の合戦で、政長方退却しました。

 

これが、応仁の乱最初の合戦でした。

 

その年の三月に年号が「 応仁 」に改められ、

細川・山名の両陣営は、それぞれに味方を集め、

五月から京都市上京区辺りを中心にして、

東西両軍の全面戦争に突入してしまいました。




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