【京都で豊臣兄弟】兄の秀吉ゆかりの地めぐり「橋編」
2026年の大河ドラマは「豊臣兄弟!」
弟の豊臣秀長の目線で、兄の秀吉が天下統一をしていく過程を描いていきます。
実は兄の秀吉は京都のいたるところに所縁のある人物。
天下統一後、京都にいたから良くも悪くも多くのエピソードがあります。
今回はそんな豊臣秀吉の「橋編」について案内します。
三条大橋

東海道の出発地点でありゴール地点が三条大橋。
京都の「橋」といって思い浮かべるのは四条大橋や今回案内する『三条大橋』。

この三条大橋、実は豊臣秀吉と深いかかわりがある橋なんです。


三条大橋の高欄に付けられた擬宝珠(ぎぼし)には、豊臣秀吉の名のもとに増田長盛(ました ながもり)が奉行となって、天正十八年(1590)正月に、日本で初めて石柱橋として架けられたと書かれています。
そして驚くべきことに、今でも三条大橋は橋脚部分に秀吉時代の石柱を使用しているんです!!



三条大橋の下に降りて確認することができます。
三条大橋の下流側一番東にある石柱は秀吉の時代のものが今もなお健在。


秀吉時代の三条大橋の石柱は表面がゴツゴツしています。


隣のコンクリート製の石柱と比べると明らかに違いが分かる。
コンクリートは表面がツルツル。



なんと、現在も7つもの秀吉時代の石柱が現役で三条大橋を支えている!!
三条大橋には他にも、新選組がつけたとされる刀傷や歌川広重「疑惑の三条大橋」などのエピソードがあり。


松原橋


松原橋は五条大橋のひとつ北にある橋。
この松原橋のエピソードは秀吉の京都での「わがまま」の一端を表しています。
どういうことかというと、
秀吉は天下統一の後に、京都にも奈良に負けない大仏様を造るために方広寺 大仏殿を建設します。
その方広寺 大仏殿へ参詣しやすいようにと五条松原橋(今の松原橋)の南に新しく橋を架けました。



橋を新しく架けること自体は何の問題もなし。
ただ、その造った橋に新しい名前を付ければいいのに、新設の橋を「五条大橋」としてしまったからややこしいことになりました。
とばっちりを食らったのが、本家の「五条松原橋」。
五条が取られて「松原橋」と名前を変えられてしまった!!



権力者は何でもアリですね。
ちなみに、牛若丸と弁慶の決闘は五条大橋ではなくて実は「松原橋」だったんです。


秀吉ゆかりの地めぐり【橋編】まとめ
どうでしたか。秀吉ゆかりの地めぐり【橋編】
三条大橋のように、日本で初めての石柱橋を建設したりと京都で良いこともしている秀吉。
松原橋の名前変更はまだかわいいもんで、秀吉は松原橋に限らず京都で無理難題のわがままをしてきました。



名古屋や大阪と違い京都人に秀吉があまり好かれなかった要因かも。




コメント