三条大橋 3つの意外な歴史とは?!

三条大橋 / 京都 ブログガイド

三条大橋が持つ3つの歴史とは?

 

「 三条大橋 」

昔は, 江戸方面から京へ上るときに, 東海道の終点だった三条大橋。 四条大橋と同様, 多くの人が行きかう京都を代表する橋。

鴨川を眺めながら, いつもなにげなく渡っていた三条大橋だけど, いままで知らなかった ” 3つの歴史 ” を知りました。

三条大橋  ” 3つの歴史 “

三条大橋 池田屋事件の刀傷

三条大橋 刀傷 / 京都 ブログ ガイド

三条大橋西側から二つ目の南北の擬宝珠 ( ぎぼし ) に刀傷。 これは, 新選組が名を挙げた 池田屋事件 の時についたのではないか, といわれています。

実際にここで斬り合いがあって, その ” 刀傷 ” があるなんて, 生々しすぎる ! ! ! !

普段渡っている三条大橋に, その傷跡が今も残っていることことに驚き。

京都 新選組 観光

京都御所 「 蛤御門の銃弾跡 」や 「 伏見 魚三楼の弾痕あと 」 も生々しいけど, この刀傷はさらに生々しい。

蛤御門 鉄砲跡 / 京都 ブログ ガイド

蛤御門の銃弾跡

魚三楼弾痕3/京都 ブログガイド

伏見 魚三楼の弾痕あと。

斜めに当たっていることで, 当時の鉄砲の威力がわかりますね。

幕末の京都で, 過激志士たちが, 「 祇園祭前の風の強い日を狙って御所に火を放ち, その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉, 一橋慶喜 ・ 松平容保らを暗殺し, 孝明天皇を長州へ動座させる ( 連れ去る ) 。 」 という企てを計画していました。

それを察知した新選組が, 祇園祭の宵山の7月16日, 過激志士が謀議している池田屋を急襲したのが 「 池田屋事件 」

歌川広重の三条大橋は, 想像の産物 ? !

三条大橋 / 京都 ブログガイド

歌川広重の東海道五拾三次 「 京師三条大橋 ( wikipedia ) 」 は, 大変有名だけど, 歌川広重は, 実際には京都へ行っていないのではないか ? と疑う説もあります。

なぜなら, 江戸時代の歌川広重が描いた 「 京師三条大橋 」 は, 木組みの橋だけど, 実はすでにその時代の三条大橋は, 木組みの橋ではなく, 豊臣秀吉の時代に完成した ” 石柱 ” をつかった石組の三条大橋だったんです ! !

つまり, 歌川広重は, 本当の石組を使った三条大橋を描いていないことになります。 京都まで来たものの, 自分のイメージしていた三条大橋と全く異なるものだったから, 雰囲気を出すために書き換えたのかなー。

とにかく, 歌川広重は, 想像で三条大橋を描いたことになります。

三条大橋 豊臣時代の, 忘れ形見。

三条大橋 / 京都 ブログガイド

歌川広重は, 本当の石組を使った三条大橋を描いていない。 ということは書きました。

実際に今でも三条大橋は, その橋脚部分に秀吉時代の石柱を使用しているんです。 三条大橋が400年以上前の石柱を現在も使用しているとは, 今まで全く知りませんでした。

三条大橋/京都 ブログガイド

「 天正十八年 」 と 「 豊臣 」 の文字が刻まれています。

三条大橋の高欄にに付けられた擬宝珠( ぎぼし )には, 三条大橋は, 豊臣秀吉の名のもとに増田長盛 ( ました ながもり ) が奉行となって, 天正十八年 ( 1590 ) 正月に, 日本で初めて, 石柱橋として架けられたと書かれています。

三条大橋/京都 ブログガイド

「 増田 ( ました ) 」 とも刻まれています。

「 増田長盛 」 は, 安土桃山時代から 江戸時代初期にかけての武将で, 大和郡山城主で, 豊臣政権 五奉行のひとり。

三条大橋だけではなく, 「 方広寺 大仏殿 」 への参拝道を整備するための 五条大橋改修工事 にもあたり, 伏見城の改修も分担しました。

秀吉時代の石柱

三条大橋/京都 ブログガイド

本当に秀吉時代の石柱が, 現在も使用されているかどうかを見ることもできます。 石柱のあるところは, サイクリングロードになっているので, 三条大橋の下に降りていけます。

三条大橋の下流側一番東にある石柱は, 秀吉の時代のものが, 今もなお健在。 なんと, 現在も ” 7つ ” もの秀吉時代の石柱が, 現役のよう。

三条大橋6/京都 ブログガイド

石柱は, 現在の神戸市東灘区から切り出された花崗岩製。 隣のコンクリート製の石柱と比べると, 明らかに違いが分かります。

石柱/京都 ブログガイド

コンクリートは, 表面がツルツル。

石柱/京都 ブログガイド

秀吉時代の三条大橋石柱は, 表面がゴツゴツしています。

三条大橋 アクセス

三条大橋1/京都 ブログガイド

京阪電車 「 三条駅 」 6, 7番出口の目の前が三条大橋。

近くの観光スポット

先斗町

先斗町( ぽんとちょう )という町名があるわけではなく, 鴨川と木屋町通の間にあって, 龍馬通 ( 三条通の1本南の通り ) から四条通を少し下がり, 団栗通の手前で木屋町通に合流するのが, 南北約500メートルの 「 先斗町通 」。

先斗町といえば, この先斗町通沿いのことか, 花街としての先斗町をさします。 京都らしい場所といえば, 花見小路や祇園新橋と共にあげられるのが, 「先斗町」。 本物の舞妓さんも良く見かけます。

先斗町 本物の舞妓さんに会いたいなら, この時間。

先斗町と木屋町通は, 約30mしか離れておらず, この2つの通りは, 京都特有の細い道で結ばれています。 この細い道には2種類あって, 次の通りまで行けない小道は, 「 路地 」 と呼ばれ, 突き当りが袋小路になっています。 そして, 隣の通りまで行ける道は, 「 辻子 ( 図子 づし ) 」 と呼ばれています。

京都 路地 そして辻子。 これぞ京都の細い道

龍馬通と四条通の間の先斗町と木屋町の間はこの路地と辻子の宝庫です。 京都ならではの細い道を存分に楽しむことができます (^^)

木屋町幕末歴史ウォーク

先斗町通の西隣にあるのが 「 木屋町通 」。

「 木屋町通 」 には, 幕末関係の史跡 がいっぱい。 歴史好きにはたまらない通りです。 もちろん, 三条大橋の擬宝珠に新選組がつけたとされる ” 刀傷 ” の発端となった「 池田屋 」も木屋町通のすぐそばにあります。 現在は, ” 池田屋 ” という居酒屋さんになっています。

京都 木屋町通 幕末 史跡めぐり

瑞泉寺 豊臣秀次の墓 悪人イメージは作り話 ? !

三条大橋西詰から西へ徒歩約1分行けば, 豊臣秀次のお墓がある 「 瑞泉寺 」。

三条木屋町の交差点から南へすぐ。 悪人のイメージが定着している豊臣秀次だけど, 本当は, ちょっと違うかも。

本能寺

三条大橋西詰から徒歩約5分にあるのが, 本能寺。 本堂向かって右側の小道を進むと突き当りに, 織田信長廟。 信長の墓だけでなく, 「本能寺の変」 で亡くなった家臣たちの墓も横にあります。

ちなみに, 「本能寺の変」 の起こったのは, この本能寺ではありません。 天正十年 ( 1582 ) 六月二日には, 現在の油小路蛸薬師辺りにありました。 現地へ行くと, 「 本能寺跡 」 という石碑が建っています。

本能寺跡 本能寺の変はここで起こった!

大将軍神社 ( 東三條社 )

三条大橋東詰から徒歩約5分にあるのが, 「 大将軍神社 ( 東三條社 ) 」。

桓武天皇が平安京を造営した際に, 大内裏鎮護のために大内裏 ( だいだいり ) の東西南北に祀られた大将軍神社のうちの東南隅が, 「 大将軍神社 ( 東三條社 ) 」。

平安京とは, どんな都だったのか?

本殿の横にそびえるのが, 樹齢約800年と伝わる銀杏の大樹。

満足稲荷社

三条大橋東詰から徒歩約7分にあるのが, 「 満足稲荷神社 」。

豊臣秀吉が, 出世を祈願し, それが叶えられたことから, 「 満足稲荷 」と命名されたそう。

めちゃめちゃ, ご利益がありそうですね ! ! ! ! 出世を目指す人は, 一度お参りしておいても良いのではないでしょうか。

近くのグルメ

ラー麺ずんどう屋 京都三条店

三条大橋西詰から徒歩約1分にあるのが, 「 ラー麺ずんどう屋 京都三条店 」。 姫路が発祥の豚骨ラーメン屋。

少しこってり感アリだけど, 非常にマイルドな味わい口の奥辺りに, まったりと, まとわりつくようなスープなのに, ひつこさや嫌らしさは, ほとんどなし。 美味しいです ! !

名前, 看板はございません

本当に, 看板はございません (笑)

強めの煮干しの風味と鶏ガラを煮込んだスープが美味しいラーメン。 麺も旨いです。

名前, 看板はございません ( 三条大橋西詰から徒歩約2分 )

麺匠 一粒万倍 ( いちりゅうまんばい )

三条大橋西詰から徒歩約4分にあるのが, 「 麺処 一粒万倍 」。 醤油の適度なコクとキレ, そして, 控えめに感じる油分が心地よいスープ。麺とメンマが美味しかったから, 「 つけ麺 」 や 「 まぜそば 」 の好きな人には特にオススメかも。

ラーメン大中 BAL横店

三条大橋西詰から徒歩約6分にあるのが, 「 ラーメン大中 BAL横店 」。

特濃は、「 こってり 」好きには, 特にオススメ!!

豚骨と鶏ガラを24時間炊き続けてスープを取っているそうで, 2つの複雑なハーモニーを楽しめます。

三条大橋 まとめ

三条大橋 / 京都 ブログガイド

今まで何気なく渡っていた三条大橋。

記事を書くにあたって, 三条大橋にまつわる3つの歴史を知ることになりました。 特に ” 刀傷 ” については, 三条大橋を渡って, 京阪「 三条駅 」へ向かうとき, 今ではついつい刀傷のある擬宝珠を見てしまいます (^^)

そして, 歌川広重の東海道五拾三次 「 京師三条大橋 」。

江戸時代に, 実際京都に来ていたのなら, 伏見桃山時代 (江戸時代の前 ) にすでに造られていた石柱の三条大橋を見ていたはずなのに, 絵の中に書かれているのは, 石柱ではなく 『 木組みの三条大橋 』。

なぜ, 事実と違う三条大橋を描いたんでしょう ? 

京阪本線 「 三条駅 」 下車すぐ

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