「 豊国廟 」
豊臣秀吉の遺体は, 生前に 「 京都を眺められるところに葬ってほしい。 」との願いから, 東山にある阿弥陀ケ峰 ( 標高196,4m ) の頂上に埋葬されました。 阿弥陀ケ峰の頂上に巨大な五輪塔が, ひっそりと佇んでいます。
五輪塔の門前には, 桜の木が2本。 春には醍醐の花見を催したときのように, 桜に囲まれて彩られて, 太閤さんも喜んでいるのでは (^^)
豊国廟 お参り
京阪「 七条駅 」から七条通を西へ。 写真は, 途中にある京都国立博物館辺り。 目指す豊国廟は目の前の阿弥陀が峰の頂上にあります。
京都女子大学のある女坂を登り, 豊国廟の二の鳥居まで来ました。 かつて, 秀吉の死後に, この太閤坦 ( たいこうだいら ) といわれるところに, 豊国廟と豊国社があったそうだけど, 徳川家康によって取り壊されました。
左の案内所で, 登拝券100円を買って, いざ頂上へ ! !
結構長い階段。 案内所の人によると往復で約30分だそう。
やっと頂上へ ! と思いきや, 第一弾の階段が終わっただけ。 唐門の先にも第二弾の階段が (笑)
次が正真正銘最後の階段。
やっとの思いで頂上へ到着。 登り始めて約10分。 めっちゃしんどい (笑)
明治三十一年 ( 1898 ) , 豊臣秀吉の300年忌に, 廟宇が再建されて, 墳上には高さ約10Mの巨大な五輪石塔が建てられました。
さすが, 日本一の五輪塔とあって巨大。 天下統一を目指していた頃の羽柴秀吉のスケールの大きさそのもの。
五輪塔向かって左側には, 清水寺や東山から広がる京都市街地が見渡せます。 ちょうど, 清水の舞台の修繕も終わり, 清々しい眺めが見られます。
豊国神社
豊臣家の滅亡後, その廟社は徳川幕府により取り壊されましたが, 明治十三年 ( 1880 ) , 旧方広寺大仏殿跡にあたる現在地に豊国神社が再建され, 別格官幣社として復興されました。 ( 豊国廟から徒歩約30分 )
そして, 明治三十一年 ( 1898 ) には, 荒廃していた廟墓も阿弥陀ケ峯の頂上に再建。
豊国廟 アクセス
・京阪電車 「 七条駅 」 4番出口から阿弥陀ヶ峰頂上の五輪塔まで徒歩約35分。
七条通の北側の歩道を東 ( 鴨川と反対側 ) へ。 そのまま真直ぐ歩いてゆき, 東山七条の交差点を左折してすぐの横断歩道を渡って女坂を登ります。 フォーシーズンズホテル京都, 京都女子大学を過ぎると, 豊国廟の二の鳥居が見えてきます。
・「 プリンセスラインバス 」で京都女子大学前下車, 阿弥陀ヶ峰頂上の五輪塔まで徒歩約17分。
・駐車場 : 1日500円
ちょっと, 雑学。
鳥辺野 ( とりべの )
阿弥陀ヶ峰の麓を中心に, 北は五条坂の辺り, 南は新熊野神社付近まで, 西は鴨川の辺りまでの広範囲にわたる地域を鳥辺野といい, 平安京の東の葬送地 ( そうそうち ) でした。
皇族や貴族は火葬されていたけど, 庶民は火葬をする余裕などなく, そのまま捨て置かれ風葬にされました。
ちょうど, 五条坂の少し北に位置する六道珍皇寺の辺りが, 鳥辺野の入口に辺り, この世とあの世の境目 ( 六道の辻 ) といわれていました。 ここには「 轆轤町 ( ろくろちょう ) 」といういわくつきの町があります。
近くの観光スポット
方広寺
豊国神社境内のすぐ北にあるのが, 「 方広寺 」。
文禄4年 ( 1595 ) に方広寺大仏殿がほぼ完成すると, 東大寺の大仏 ( 16m ) を超える高さ18mの木製金漆塗の大仏坐像が安置されました。 ところが, 翌年の大地震で大仏が大破し, 慶長3年 ( 1598 ) には秀吉もこの世を去ってしまいます。 その後, 秀吉の子である秀頼が, 慶長17年 ( 1612 ) に大仏を事実上完成させました。
しかし, 徳川が, 梵鐘に刻まれた「 国家安康君臣豊楽 」 ( こっかあんこうくんしんほうらく ) という銘文に言いがかりをつけ, 豊臣家と戦を起こす “ きっかけ ” としたことは有名。
三十三間堂
京都のほとんどを戦渦に巻き込んだ 応仁の乱 にあって, 千本釈迦堂 の本堂と共に, 焼失を免れたのが, 「 三十三間堂 」。 奇跡としか言いようがありません。 その後も幾度となく難を逃れました。
お堂の内部の千手観音や中尊, 風神雷神立像, 二十八部衆立像に圧倒 ・ 感嘆させられました。よくぞ応仁の乱で被災を免れてくれました ! !
三十三間堂 ( 豊国廟から徒歩約28分 )
京都国立博物館
1897年5月に開館。 主に平安時代から江戸時代にかけての京都の文化を中心とした文化財を, 収集 ・ 保管 ・ 展示するとともに, 文化財に関する研究, 普及活動を行っている。 ( Wikipedia )
法住寺殿跡
豊国廟から徒歩約30分にあるのが, 「 法住寺殿跡 」。 法住寺というお寺の門前にあります。
平安から鎌倉, 平氏から源氏へと移りゆく中で, 激動の時代を生き抜いた主人公の一人, それが, 後白河法皇 ( ごしらかわほうおう ) 。
保元三年 ( 1158 ) , 子供の二条天皇に天皇の位を譲り, 後白河上皇となり, 院政のために造営した御所が, 「 法住寺殿 」。 北は現在の六条通を延長した辺り, 南は大谷高校辺り, 東は東大路辺り, 西は鴨川辺りの広大な地域に造営されました。 ちなみに, 蓮華王院の本堂 ( 三十三間堂 ) も法住寺殿の一部でした。
豊国廟 まとめ
お参りしたのがちょうど冬の時期。 途中で会ったのは2人だけ。 桜の時期は若干人が多くなると思うけど, いつきても観光客は少ないと思います。 その理由は, しんどいから (笑)
頂上までの階段は, 565段。 登拝券を買う所からの第一弾の階段を登り終えてもまだ先が ・ ・ ・ ・ 。 唐門の先にも第二弾の階段が待ち受けています。
やっとの思いで登り終えたときには, 太ももがパンパン (笑)
冬だというのに, 汗ばむ程に疲れました (汗) 夏にお参りするのはやめた方がいいかも (笑) しばらく呼吸を整えてからお参りしました。
京都府 京都市 東山区 今熊野 阿弥陀ケ峯町 阿弥陀ヶ峰
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