「 京都 五花街 」
上七軒 ・ 祇園甲部 ・ 祇園東( 昔は祇園乙部 )・ 先斗町 ・ 宮川町。
島原は, 京都花街組合連合会を脱会したため,「 京都の五花街 」には含まれていません。
京都 五花街 上七軒
上七軒の歴史
京都市上京区の北野天満宮の参道にあります。
室町時代に北野天満宮の再建の時に, 残った用材を使って7軒の茶店を建てたのが始まり。
天正十五年( 1587 ), 豊臣秀吉が北野で茶会を催した時に, 名物の団子を献上したところ, 秀吉がその味を気に入ったそうです。
上七軒が, 五つ団子の紋章を用いるのは、このことに由来します。
北野をどり
毎年春に上演されています。
夏には, 上七軒歌舞練場でビアガーデンの営業をしています。
本物の芸妓 ・ 舞妓が浴衣姿でもてなしてくれるので, 少し料金はお高いけど, 貴重な体験ができます。
梅花祭( 2月25日 )
北野天満宮のお祭で, 祭神 菅原道真の命日に行われます。上七軒の芸妓 ・ 舞妓が野点の接待をします。
上七軒 近くの観光スポット
北野天満宮
上七軒歌舞練場から徒歩約30秒にあるのが, 「 北野天満宮 」。
北野天満宮とは, 今は, 学問の神様 菅原道真 ( すがわらのみちざね ) を祀る神社。 京都で学業成就 ・ 合格祈願のご利益といえば, 「北野天満宮」。 というか日本全国で。 日本中に約12000社ある菅原道真を祀る天満宮の総本社です。
平野神社
上七軒歌舞練場から徒歩約5分にあるのが, 「 平野神社 」。
昔から京都の桜の名所として有名で, それぞれの公家に伝わる桜が奉納されたことから, 境内には50種類およそ400本の桜が植えられています。
京都 五花街 祇園甲部
京都 五花街のなかで最大の花街。
一力亭のある花見小路通は, 京都の代表的な観光スポットのひとつ。
祇園甲部の歴史
江戸時代の初めごろ, 祇園社 ( 八坂神社 ) の門前にあった茶店が, 参拝客や花見客にお茶や団子を提供し始めました。 それがお茶屋の発祥とされます。
そして, 提供するのがお茶だけではなく, お酒も出すようになり, お酒を運ぶ女性が歌舞伎芝居を真似て, 踊りや三味線を披露するようになりました。 それが, 舞妓 ・ 芸妓の始まりと言われています。
やがて, 舞妓 ・ 芸妓をかかえる置屋や舞妓 ・ 芸妓が派遣されていくお茶屋が拡がってゆき, 祇園の花街を形成していきました。
都をどり
毎年 4月1日 ~ 4月30日
祇園 近くの観光スポット
花見小路通
「 花見小路通 」の四条通から南は石畳風に整備され, 道の両側には京風情溢れる街並みが続きます。
大和大路通 ・ 繩手通
花見小路通から西へ徒歩約1分にあるのが, 「 大和大路通・繩手通 」。 四条通 ~ 五条通からの間の大和大路通の周辺には, 神社仏閣や観光スポットもたくさんあって見所満載。
仲源寺 目疾地蔵 ( めやみじぞう )
花見小路通から徒歩約1分にあるのが, 「 仲源寺 目疾地蔵 」。
本堂に安置されているとても大きな地蔵様の右目が、なぜか赤くなっています。人々の目の病を引き受けて赤くなっているのだといわれています。現在も、眼病治療にご利益があるとして広く信仰されています。
八坂神社
花見小路通から徒歩約2分にあるのが, 「 八坂神社 」。
八坂神社という呼び名になったのは明治になってから。 江戸時代まで, 八坂神社は比叡山延暦寺の末寺でもあったので, 「 祇園感神院 ( かんしんいん ) 」 という寺の名前でも呼ばれていました。つまり, 神社でもありお寺でもありました。
八坂神社のお祭なのに, ” 八坂祭 ” じゃなくて, 『 祇園祭 』 といわれるのは, 明治以前の呼び名が関係しています。
建仁寺
花見小路通の南端にあるのが, 「 建仁寺 」の北門。
建仁二年 ( 1202 ) , 創建時の元号から 「 建仁寺 」 と名付けられました。 日本に禅宗をもたらした明庵栄西 ( みんなんようさい ) が初代住職。
祇園 新橋
花見小路通から徒歩約20秒にあるのが, 「 祇園 新橋 」。 京都らしい街並みと白川, 石畳が美しいエリアで, 京都市の歴史的景観保全修景地区に指定。 巽橋や辰巳神社も祇園 新橋に花を添えています。
巽橋
四条花見小路から徒歩約3分にあるのが, 「 巽橋 」。 多くの観光客で賑わい写真撮影スポットになっています。
辰巳大明神 ( 辰巳神社 )
四条花見小路から徒歩約3分にあるのが, 「 辰巳大明神 」。 無病息災 ・ 商売繁盛の氏神様として地元で信仰されています。
京都 五花街 祇園東
四条通花見小路上ル東側一帯が祇園東。
祇園東の歴史
明治14年 ( 1881 ) , 祇園甲部から分離, 独立しました。 始めは, 祇園甲部に対して “祇園乙部” といわれていましたが, 戦後は, 名称を「 祇園東 」にしました。
祇園東の一帯には, かつて膳所藩屋敷があったことから地元では「 膳所裏 」と呼ばれていました。
祇園をどり
毎年 11月1日 ~ 11月10日
京都 五花街 先斗町 ( ぽんとちょう )
鴨川と木屋町通の間にある先斗町通にある花街。
先斗町 名前の由来
諸説あります。
1.ポルトガル語のPONTからきている説
2.東が鴨川 ( 皮 ) 、 西が高瀬川 ( 皮 ) と, 2つの皮に挟まれていることから, 鼓に例えられ, 叩くと「 ぽん 」と音が鳴ることから。
3. 昔, 先斗町が鴨川に突き出た「 岬 」のような場所にあったので,「 先 」を表す先斗に, 前述のポルトガル語のPONTをあてたという説。
10年ぶりに改訂された広辞苑で, 先斗町 ( ぽんとちょう, 京都市中京区 ) の語源とされるポルトガル語由来の「ポント」の説明が変更された。 編さん者だった国語学者, 新村出 ( しんむらいずる ) の説が一部削除され, 京都地名研究会の会員が2015年に著書で主張した新説の内容が追加された。
発行元の岩波書店によると, ポントの項目が大幅改訂されるのは1955年の初版以来初めてという。
京都帝国大教授だった新村は大正14年に京都日出新聞に掲載した「ぽんと町称呼考」で,「先」を意味するポルトガル語の「ポンタ」が変化し, 鴨川に付き出した州崎地である先斗町の地名になったとした。
こうした新村の考えを反映し, 広辞苑の「ポント」では「(1)州崎の意。(-町)」としてきた。
今回の改訂でこの部分が削られた。 (2)として続く「カルタ賭博などで, 真っ先に金を賭ける意か」との説明は残り, 新たに「また, 後と先に分けず先だけに賭ける意とも」という文が加わった。
追加内容は, 元銀行員で京都地名研究会会員の杉本重雄さん ( 67 ) =大阪府千早赤阪村=が自費出版した「先斗町地名考」で打ち出した。
杉本さんは江戸期の文献で「ポントに張る ( 賭ける ) 」という用例を複数確認し, 遊興地でカルタ賭博が盛んだったとみられる先斗町を指す言葉として定着したと推察。
さらに, ポントはカルタ賭博で「先ばかり ( に賭ける ) 」を意味するようになり, 鴨川の岸の「先ばかり」に軒が連なる立地に合わせ, 「先」と「ばかり ( 斗 ) 」の漢字が当てられたと唱えた。
京都新聞 2018年1月24日
先斗町 ( ぽんとちょう ) もそうだけど, 京都には他にも珍しく, 変わった由来の地名や通りもあります。
先斗町の歴史
江戸時代初期に, 鴨川の護岸工事で埋め立てられた場所が先斗町の始まり。
始めは, 伏見と京都を行き来する高瀬舟目当てで営業していましたが, 安政6年 ( 1859 ) , 認可を得て, 花街として歩み始めました。
現在の先斗町は, 狭い道の両側に, お茶屋や飲食店が軒を連ね, 賑わいを見せています。
5月 ~ 9月には, 先斗町の東側の飲食店の中には, 「 鴨川納涼床 」を出すお店もあります。
鴨川をどり
毎年 5月1日 ~ 5月24日
8月上旬の「 京の七夕 」に合わせて, 先斗町歌舞練場で「 舞妓茶屋 」と称するビアホールを開設。
先斗町 近くの観光スポット
木屋町通
先斗町の約30m西にあるのが, 「 木屋町通 」。
木屋町通周辺は, 幕末関係の史跡がいっぱい。 三条木屋町周辺だけでも, 佐久間象山 ・ 大村益次郎遭難の地, 池田屋跡 ( 池田屋事件 ) , 坂本竜馬の寓居跡 などがあります。 春には, 桜が咲き誇ります。
先斗町 近くの宿泊施設
先斗町 近くのグルメ
ラー麺ずんどう屋 京都三条店
先斗町の北端からすぐにあるのが, 「 ラー麺ずんどう屋 京都三条店 」。 姫路が発祥の豚骨ラーメン屋。 少しこってり感アリだけど, 非常にマイルドな味わい。
麺匠 一粒万倍 ( いちりゅうまんばい )
先斗町から徒歩約1分の南大黒橋通木屋町西入にあるのが, 「 麺処 一粒万倍 」。 醤油の適度なコクとキレ, そして, 控えめに感じる油分が心地よいスープ。
京都ダイニング 正義
先斗町の北端から徒歩約2分にあるのが, 「 京都ダイニング 正義 」。 お手軽な料金でステーキが食べられるだけではなく, リノベーションされた築150年の数寄屋造りの京町家で食事ができるので, +αの雰囲気の良さを楽しめます。
ラーメン大中 BAL横店
先斗町から徒歩約2分の南車屋通木屋町西入にあるのが, 「 ラーメン大中 BAL横店 」。
特濃は, 「 こってり 」好きには, 特にオススメ!!
京都 五花街 宮川町
建仁寺の西にある宮川町通の両側に軒を連ねるのが宮川町。
祇園甲部のすぐ西にあるけど, 観光客もそんなに多くなく, ゆったりと京情緒を感じることができます。
宮川町の歴史
260年程の歴史があり, 当初は遊女が接待したりしていましたが, 現在は祇園甲部に次ぐ舞妓の在籍数を誇っています。
京をどり
毎年 4月の16日間
宮川町 近くの観光スポット
京都えびす神社
初詣が終わった後の京都の1月の風物詩と言えば, 京都ゑびす神社の 「 十日ゑびす大祭 」。 毎年, 1月8日~1月12日に行われています。 福娘だけではなく, 舞妓さんがいるところが, 京都らしい。
「 十日ゑびす 」 の5日間の中で, 11日の ” 残り福 ” の時だけ, 祇園甲部と宮川町の舞妓さんが来て福を授けるお手伝いをします。
摩利支天
「 摩利支尊天堂 」で祀っている摩利支天は, “陽炎 ( かげろう )” を神格化したもの。 陽炎は、 ゆらゆらと揺らめく幻なので、実体がなく、捕えることができない。ということから、日本では、多くの武士が守護神として信仰しました。楠木正成もその一人。
京都 五花街 伝統芸能特別公演
1994年, 平安遷都1200年に際して, 毎年6月下旬に開催されるようになりました。
五花街の舞妓が一堂に揃って華やかな舞台を披露します。
島原
島原は, 江戸時代以来, 公の花街として発展してきました。
寛永十八年 ( 1641 ) , 官命によって島原の前身である六条三筋町から現在の地に移されました。 その移動騒動が, 九州で起きた島原の乱を思わせたところから「 島原 」と呼ばれるようになりました。
島原は, よく江戸の吉原のような自ら娼妓を抱えて営業を行う遊郭と誤解されるけど, 島原の営業形態は, 宴席の揚屋やお茶屋と, 太夫や芸妓を抱える置屋とに分かれているから, 現在の京都 五花街と同じ。
島原は遊郭の町でなく, 「 花街 」というべき町で, 江戸中期には俳壇ができるなど京都文化の中心的役割を果たしていました。
※ 島原は, 京都花街組合連合会を脱会したため,「 京都の五花街 」には含まれていません。
しかし, 明治以降, 島原は次第にさびれていき, 現在では, 置屋の「 輪違屋 ( わちがいや ) 」, 揚屋 ( お茶屋 ) の「 角屋 ( すみや ) 」, そして島原入口の「 大門 」が当時を偲ばせています。
京都 五花街 まとめ
舞妓さんや芸妓さんがいる京都の花街といえば, 一番最初に思い浮かぶのは, やっぱり「 祇園甲部 」でしょう。 祇園甲部という名前を知らなくても, 知名度のある花見小路通の両側に広がるエリアにあります。 でも, 他にも4つあるということは, 意外と知られていないかも。
祇園甲部のある花見小路通周辺は, 知名度があるだけに人が多いけど, 花見小路通の南端から徒歩約5分の宮川町へ行けば, 観光客も少なく, ゆったり京都の花街風情が楽しめます。 舞妓さんもよく見かけますよ (^^)
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