京都 五花街 伝統を今に伝える京の”はなまち”

京都 観光・旅行 2020 上七軒 / 京都 ブログ ガイド

京都 五花街

 

「 京都 五花街 」

上七軒 ・ 祇園甲部 ・ 祇園東( 昔は祇園乙部 )・ 先斗町 ・ 宮川町。

島原は、 京都花街組合連合会を脱会したため、「 京都の五花街 」には含まれていません。

上七軒

京都 観光・旅行 2020 上七軒 / 京都 ブログ ガイド

上七軒歌舞会ホームページ

上七軒の歴史

京都市上京区の北野天満宮の参道にあります。

室町時代に北野天満宮の再建の時に、残った用材を使って7軒の茶店を建てたのが始まり。

天正十五年( 1587 )、豊臣秀吉が北野で茶会を催した時に、名物の団子を献上したところ、秀吉がその味を気に入ったそうです。

京都 観光・旅行 2020 上七軒 / 京都 ブログ ガイド

上七軒が、 五つ団子の紋章を用いるのは、このことに由来します。

北野をどり

毎年春に上演されています。

夏には上七軒歌舞練場でビアガーデンの営業をしています。

本物の芸妓・舞妓が浴衣姿でもてなしてくれるので、少し料金はお高いですが、貴重な体験ができます。

梅花祭( 2月25日 )

北野天満宮のお祭で、祭神 菅原道真の命日に行われます。上七軒の芸妓 ・ 舞妓が野点の接待をします。

祇園甲部

祇園1 / 京都 ブログガイド

都おどりホームページ

京都 五花街のなかで最大の花街。

一力亭のある花見小路通は、京都の代表的な観光スポットのひとつ。

祇園甲部の歴史

江戸時代の初めごろ、祇園社(  八坂神社  )の門前にあった茶店が、参拝客や花見客にお茶や団子を提供し始めました。

それが お茶屋 の発祥とされます。

そして、提供するのがお茶だけではなく、お酒も出すようになり、 お酒を運ぶ女性が歌舞伎芝居を真似て踊りや三味線を披露するようになりました。それが、 舞妓 ・ 芸妓の始まりと言われています。

やがて、舞妓 ・ 芸妓をかかえる置屋や舞妓 ・ 芸妓が派遣されていくお茶屋が拡がってゆき、 祇園の花街を形成していきました。

都をどり

毎年 4月1日 – 4月30日

祇園東

京都 五花街 祇園東/ 京都 ブログガイド

祇園東ホームページ

四条通花見小路上ル東側一帯が祇園東。

祇園東の歴史

明治14年 ( 1881 ) 、 祇園甲部から分離、 独立しました。 始めは、 祇園甲部に対して ” 祇園乙部 ” といわれていましたが、 戦後は、 名称を「 祇園東 」にしました。

祇園東の一帯には、 かつて膳所藩屋敷があったことから地元では「 膳所裏 」と呼ばれていました。

祇園をどり

毎年 11月1日 – 11月10日

先斗町( ぽんとちょう )

先斗町 / 京都 ブログ ガイド

鴨川をどりホームページ

鴨川と木屋町通の間にある花街。

先斗町名前の由来

諸説あります。

1.ポルトガル語のPONTからきている説

2.東が鴨川( 皮 )、 西が高瀬川( 皮 )と、 2つの皮に挟まれていることから、鼓に例えられ、叩くと「 ぽん 」と音が鳴ることから。

3. 昔、 先斗町が鴨川に突き出た「 岬 」のような場所にあったので、「 先 」を表す先斗に、 前述のポルトガル語のPONTをあてたという説

10年ぶりに改訂された広辞苑で、先斗町 ( ぽんとちょう、京都市中京区 ) の語源とされるポルトガル語由来の「ポント」の説明が変更された。編さん者だった国語学者、新村出 ( しんむらいずる ) の説が一部削除され、京都地名研究会の会員が2015年に著書で主張した新説の内容が追加された。

発行元の岩波書店によると、ポントの項目が大幅改訂されるのは1955年の初版以来初めてという。

京都帝国大教授だった新村は大正14年に京都日出新聞に掲載した「ぽんと町称呼考」で、「先」を意味するポルトガル語の「ポンタ」が変化し、鴨川に付き出した州崎地である先斗町の地名になったとした。

こうした新村の考えを反映し、広辞苑の「ポント」では「(1)州崎の意。(-町)」としてきた。

今回の改訂でこの部分が削られた。(2)として続く「カルタ賭博などで、真っ先に金を賭ける意か」との説明は残り、新たに「また、後と先に分けず先だけに賭ける意とも」という文が加わった。

追加内容は、元銀行員で京都地名研究会会員の杉本重雄さん(67)=大阪府千早赤阪村=が自費出版した「先斗町地名考」で打ち出した。

杉本さんは江戸期の文献で「ポントに張る ( 賭ける ) 」という用例を複数確認し、遊興地でカルタ賭博が盛んだったとみられる先斗町を指す言葉として定着したと推察。

さらに、ポントはカルタ賭博で「先ばかり(に賭ける)」を意味するようになり、鴨川の岸の「先ばかり」に軒が連なる立地に合わせ、「先」と「ばかり(斗)」の漢字が当てられたと唱えた。

京都新聞 2018年1月24日

先斗町の歴史

江戸時代初期に、鴨川の護岸工事で埋め立てられた場所が先斗町の始まり。

始めは、伏見と京都を行き来する高瀬舟目当てで営業していましたが、安政6年( 1859 )、認可を得て、 花街として歩み始めました。

現在の先斗町は、狭い道の両側に、 お茶屋や飲食店が軒を連ね、賑わいを見せています。

5月 ~ 9月には、先斗町の東側の飲食店の中には、「 鴨川納涼床 」を出すお店もあります。

鴨川をどり

毎年 5月1日~5月24日

8月上旬の「 京の七夕 」に合わせて、先斗町歌舞練場で「 舞妓茶屋 」と称するビアホールを開設。

宮川町

宮川町/ 京都 ブログガイド

宮川町ホームページ

建仁寺の西にある宮川町通の両側に軒を連ねるのが宮川町。

祇園甲部のすぐ西にありますが、 観光客もそんなに多くなく、 ゆったりと京情緒を感じることができます。

宮川町の歴史

宮川町 / 京都 ブログガイド

260年程の歴史があり、 当初は遊女が接待したりしていましたが、 現在は祇園甲部に次ぐ舞妓の在籍数を誇っています。

京をどり

毎年 4月の16日間

五花街伝統芸能特別公演

財団法人京都伝統伎芸振興財団ホームページ

1994年、 平安遷都1200年に際して、 毎年6月下旬に開催されるようになりました。

五花街の舞妓が一堂に揃って華やかな舞台を披露します。

島原

輪違屋1 / 京都ブログガイド

島原 は江戸時代以来、 公の花街として発展してきました。

寛永十八年 ( 1641 ) 、 官命によって島原の前身である六条三筋町から現在の地に移されました。 その移動騒動が、 九州で起きた島原の乱を思わせたところから「 島原 」と呼ばれるようになりました。

京都 島原は、 単に遊宴をする場所にとどまらず、 江戸時代中期には和歌、 俳句等の文芸も盛んで、 島原俳壇が形成されるほどになりました。

京都 島原 島原大門 / 京都ブログガイド

しかし、 明治以降、 島原は次第にさびれていき、 現在では、置屋の「 輪違屋 ( わちがいや )  」、揚屋 ( お茶屋 ) の「 角屋 ( すみや ) 」、 そして島原入口の「 大門 」が当時を偲ばせています。

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