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置屋 お茶屋 , そして一見さんお断り

お茶屋 置屋

置屋 お茶屋 どんなところなんだろう?

「 置屋 お茶屋 」

置屋 ( おきや ) って聞いたことはあるけど, 一体, 何をしているところ ?

そして, 一見さんお断りの代表みたいなのがお茶屋さん。 実際, お客さんの紹介がなければ, お茶屋さんに入ることはできません。 秘密のベールに隠されていますね (笑)

“一見さんお断り” は, とっつきにくくてお高くとまっている印象があるけど, 長い間続いてきたシステムだから, やはり意味はあります。

目次

置屋 ( おきや )

置屋とは, ※ 京都の花街で,  舞妓や芸妓が所属している派遣事務所のようなもの。

※ 京都には, 上七軒, 祇園甲部, 祇園東, 先斗町, 宮川町の5つの花街があります。 タレントが所属している芸能プロダクションとも似ているかも。

ただ, 会社のような事務所ではなくて家 ( 京町家 ) に住み込みで生活しています。 お母さんと呼ばれる女将さんがいて, 舞妓の衣食住すべての面倒を見ます。 置屋で舞妓は, 芸妓になるための修行を積みます。 置屋は, 舞妓にとって京都の家みたいなもの。

最近は, 京都 五花街でもお茶屋と置屋を兼業している家が増えています。

お茶屋

お茶屋 置屋 一力亭

舞妓や芸妓が派遣されていくのがお茶屋。 お客さんが舞妓や芸妓と遊ぶお座敷を提供しています。 京都 四条花見小路にある有名な「 一力亭 」はお茶屋です。

お茶屋 置屋

祇園や先斗町などのお茶屋の玄関に, 名札があげられている光景をよく目にすることができます。

置屋 お茶屋 そして, 仕出し屋

お茶屋は料亭などとは違って, 料理は提供しません。 お茶屋で出される料理は, 仕出し屋が提供しています。

京都5花街は, この3つの置屋 ・ お茶屋 ・ 仕出し屋が互いに連携し合って発展してきました。

一見さんお断り

京都には色々な風習やしきたりがあるけど, その代表が「 一見さんお断り 」ではないでしょうか ?

京都以外の人からすると, 「 一見さんお断り 」と聞くと敷居が高い ・ お高くとまってるっていうイメージがあると思うけど,

1. リスク回避

2. 最高のサービス提供

3. 長―いお付き合い

のためにしています。

リスク回避

お茶屋さんでは, 女将さんがすべての差配をします。 最高のおもてなしをする コンシェルジュ のような役割でしょうか。

お客さんの好みの料理や酒から, お茶屋を出た後のお店の紹介や, 接待先へのお土産など, 帰りのタクシーの手配等々, すべてに及びます。

その代金すべてをお茶屋さんが立替えて支払います。

臨機応変な対応も要求されるから, 最高のサービスを提供するために後払いなってしまいます。 だから, お客さんへは “つけ”  で請求することになります。 なので, 必然的に支払いの信用のおける人しか受け入れることができません。

紹介されてお茶屋で遊ぶお客さんも, なにかお茶屋でトラブルがあれば, 紹介してくれた人の顔に泥を塗ることになるし, 紹介する方もトラブルを起こしそうな人はお茶屋に紹介できません。

紹介された人が料金を払わなかったら, その人を紹介した人に請求することもあるようですよ。

最高のサービス提供

サービス面でも「 一見さんお断り 」は理にかなっています。

紹介者からお茶屋に来るお客さんの情報を, 前もって知ることができるからこそ, そのお客さんに対して最高のおもてなしをすることが可能。

スポーツでも, 対戦相手の情報収集をして, 十分な対策や作戦を練って初めて, 良い試合を行うことができるのと似ています。 勝負事はやってみないとわからないところもあるけど, 試合前の情報収集や準備で, あらかた勝敗は見えている可能性が高いですよね。

京都のお茶屋さんは, お客さんが来店する前に情報収集や準備をすることで, 最高のおもてなしを提供しています。

長ーいお付き合い

最高のおもてなしをすることで, お客さんもお茶屋への信頼が生まれ, 逆にお茶屋もお客さんが支払をきっちり重ねることで, お客さんへの信頼を持つことができます。

その結果, お互いに信頼関係が生まれ, 長く付き合って行けるのではないでしょうか。

この「 一見さんお断り 」のお茶屋 そして, 置屋 ・ 仕出し屋が集まっているのが, 『 花街 』というところ。
※ 島原は, 京都花街組合連合会を脱会したため, 京都五花街に含まれていません。

京都 五花街

“一見さんお断り” といえば, 舞妓さんや芸妓さんがいる花街。 京都には5つの花街があります。

上七軒

お茶屋 置屋

上七軒歌舞会ホームページ

上七軒の歴史

京都市上京区の北野天満宮の参道にあります。

室町時代に北野天満宮の再建の時に, 残った用材を使って7軒の茶店を建てたのが始まり。

天正十五年 ( 1587 ) , 豊臣秀吉が北野で茶会を催した時に, 名物の団子を献上したところ, 秀吉がその味を気に入ったそう。 上七軒が, 五つ団子の紋章を用いるのは, このことに由来します。

祇園甲部

祇園花見小路 / お茶屋 置屋

祇園甲部歌舞会ホームページ

京都 五花街のなかで最大の花街。

一力亭のある花見小路通は, 京都の代表的な観光スポットのひとつ。

祇園甲部の歴史

江戸時代の初めごろ, 祇園社 ( 八坂神社 ) の門前にあった茶店が, 参拝客や花見客にお茶や団子を提供し始めました。 それがお茶屋の発祥とされます。

そして, 提供するのがお茶だけではなく, お酒も出すようになり, お酒を運ぶ女性が歌舞伎芝居を真似て踊りや三味線を披露するようになりました。 それが, 舞妓 ・ 芸妓の始まりと言われています。

やがて, 舞妓 ・ 芸妓をかかえる置屋や舞妓 ・ 芸妓が派遣されていくお茶屋が拡がってゆき, 祇園の花街を形成していきました。

祇園東

京都 五花街 祇園東 / お茶屋 置屋

祇園東ホームページ

四条通花見小路上ル東側一帯が祇園東。

祇園東の歴史

明治14年 ( 1881 ) , 祇園甲部から分離, 独立しました。 始めは, 祇園甲部に対して “祇園乙部” といわれていましたが, 戦後は名称を「 祇園東 」にしました。

祇園東の一帯には, かつて膳所藩屋敷があったことから地元では「 膳所裏 」と呼ばれていました。

先斗町 ( ぽんとちょう )

先斗町を歩く舞妓さん / お茶屋 置屋

鴨川をどりホームページ

先斗町 ( ぽんとちょう ) という町名があるわけではなく, 鴨川と木屋町通の間にあって, 龍馬通 ( 三条通の1本南の通り ) から四条通を少し下がり, 団栗通の手前で木屋町通に合流するのが, 南北約500メートルの「 先斗町通 」。

先斗町といえば, この先斗町通沿いのことか, 花街としての先斗町をさします。 

先斗町名前の由来

諸説あります。

1. ポルトガル語のPONTからきている説

2.東が鴨川 ( 皮 ) , 西が高瀬川 ( 皮 ) と, 2つの皮に挟まれていることから, 鼓に例えられ, 叩くと「 ぽん 」と音が鳴ることから。

3. 昔, 先斗町が鴨川に突き出た「 岬 」のような場所にあったので,「 先 」を表す先斗に, 前述のポルトガル語のPONTをあてたという説

10年ぶりに改訂された広辞苑で, 先斗町 ( ぽんとちょう、京都市中京区 ) の語源とされるポルトガル語由来の「ポント」の説明が変更された。 編さん者だった国語学者, 新村出 ( しんむらいずる ) の説が一部削除され, 京都地名研究会の会員が2015年に著書で主張した新説の内容が追加された。

発行元の岩波書店によると, ポントの項目が大幅改訂されるのは1955年の初版以来初めてという。

京都帝国大教授だった新村は大正14年に京都日出新聞に掲載した「ぽんと町称呼考」で,「先」を意味するポルトガル語の「ポンタ」が変化し, 鴨川に付き出した州崎地である先斗町の地名になったとした。

こうした新村の考えを反映し, 広辞苑の「ポント」では「(1)州崎の意。(-町)」としてきた。

今回の改訂でこの部分が削られた。 (2)として続く「カルタ賭博などで、真っ先に金を賭ける意か」との説明は残り, 新たに「また, 後と先に分けず先だけに賭ける意とも」という文が加わった。

追加内容は, 元銀行員で京都地名研究会会員の杉本重雄さん(67)=大阪府千早赤阪村=が自費出版した「先斗町地名考」で打ち出した。

杉本さんは江戸期の文献で「ポントに張る ( 賭ける ) 」という用例を複数確認し, 遊興地でカルタ賭博が盛んだったとみられる先斗町を指す言葉として定着したと推察。

さらに, ポントはカルタ賭博で「先ばかり(に賭ける)」を意味するようになり, 鴨川の岸の「先ばかり」に軒が連なる立地に合わせ, 「先」と「ばかり(斗)」の漢字が当てられたと唱えた。

京都新聞 2018年1月24日

先斗町 ( ぽんとちょう ) もそうだけど, 京都には他にも珍しく, 変わった由来の地名や通りもあります。

天使突抜 ( てんしつきぬけ ) , 西院 ( さい or さいいん ) , 閻魔前町 ( えんままえちょう ) , 轆轤町 ( ろくろちょう ) , 西陣 ( にしじん ) , 東陣 ( ひがしじん ) , 衣笠 ( きぬがさ ) , 千本通 ( せんぼんどおり ) などなど。

先斗町の歴史

江戸時代初期に, 鴨川の護岸工事で埋め立てられた場所が先斗町の始まり。

始めは, 伏見と京都を行き来する高瀬舟目当てで営業していましたが, 安政6年 ( 1859 ) , 認可を得て,  花街として歩み始めました。

現在の先斗町は, 狭い道の両側に, お茶屋や飲食店が軒を連ね, 賑わいを見せています。 5月 ~ 9月には, 先斗町の東側の飲食店の中には, 「 鴨川納涼床 」を出すお店もあります。

路地と辻子の宝庫

先斗町と1本西にある木屋町通とは30m位しか離れておらず, 2つの通りを結ぶ京都ならではの細い通り ( 辻子ずし ) がいっぱい。 この細い通りを行ったり来たりするのも京都ならではの体験 (^^)

京都 路地 そして辻子。

宮川町

宮川町 / お茶屋 置屋

宮川町ホームページ

建仁寺の西にある宮川町通の両側に軒を連ねるのが宮川町

祇園甲部のすぐ西にありますが, 観光客もそんなに多くなく, ゆったりと京情緒を感じることができます。

宮川町の歴史

260年程の歴史があり, 当初は遊女が接待したりしていましたが, 現在は祇園甲部に次ぐ舞妓の在籍数を誇っています。

置屋 お茶屋 まとめ

京都 観光・旅行 2020 上七軒 / お茶屋 置屋

舞妓さんが活躍する京都の花街では, 独特のシステムである置屋・お茶屋・仕出し屋の3つが互いに協力し合って発展してきました。 そして, “一見さんお断り” 。

京都の「 一見さんお断り 」には, 敷居が高いイメージがあるけど, 歴史の中で培われてきた意味があります。

だた, 最近では少しづつ変わってきて, さすがにお茶屋で舞妓さんとお座敷遊びをするのは紹介がいるけど, 私たちのような “一見さん” でも本物の舞妓さんと触れ合える機会もあります。

上七軒ビアガーデン

宮川町ホームページ

祇をん新門荘舞妓ビアガーデン

上七軒や宮川町では, 夏の期間中に「 舞妓ビアガーデン 」が開催され, 舞妓さんが席まで挨拶に来ます。 また, 祇園花見小路にある「 祇をん新門荘 」という旅館でも舞妓ビアガーデンを開催しています。

また, そこまでしなくても, 「 本物の舞妓さんをちょっと見かけるだけでいいよ。 」っていうなら, もっと手軽&気軽に会うこともできます。


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