「 京都 衣笠 」
京都の夏の風物詩といえば, 「 五山送り火 」。 夏の夜空に煌々と照らされる幽玄な炎の宗教行事。
京都では, 六道珍皇寺の 「 六道まいり 」 や千本ゑんま堂の 「 迎えの鐘 」 などで, ご先祖様をお迎えして, お盆に帰ってきたご先祖様の霊を, あの世へ送るため8月16日に五山送り火が行われます。 ※千本ゑんま堂では 「 送りの鐘 」もあり
その五山送り火のひとつ, 左大文字が灯される大文字山の麓から南へ広がるのが, 『 衣笠 ( きぬがさ ) 』 と呼ばれる地域。
京都 衣笠 平安時代に, この辺りは・・・・、
京都 衣笠といえば, 京都市北区で, 船岡山の西方, ちょうど西へ向かう北大路通 ( 東西の通り ) が南へ曲がって西大路通になるところの周辺。
左大文字が灯される大文字山の麓から南へ広がるのが, 『 衣笠 ( きぬがさ ) 』
この辺には, 衣笠◯△町という名前がたくさん。
今でこそ近くに金閣寺や佛教大学, 立命館大学があって, 観光客や学生が行き交うところになっているけど, 平安時代には, この辺りの近くは 蓮台野と呼ばれる亡くなった人を置いておく風葬の場所でした。
ちなみに, 金閣寺も衣笠エリアにあるけど, 住所に衣笠はついておらず 「 金閣寺町1 」。
京都 衣笠 由来
その蓮台野では, 亡くなった人を野ざらしにして, 鳥などがついばむままにしておきました。
現代の人間からすると想像もできないほど, 恐ろしい眺めと臭いが広がっていたことでしょう。 さすがに, 亡骸をそのまま打ち捨てておいた訳じゃなく, 布や笠等を掛けて覆い隠していたそう。
そのことから, “ころも“に”かさ“,「衣笠 ( きぬがさ )」 という地名になっていったと考えられています。
京都 衣笠 もうひとつの由来
時は, 桓武天皇が平安京へ遷都してから100年後くらい。
第59代 宇多天皇 ( 在位 887 ~ 897 )は, 暑くて有名な京都の夏の最中 ( さなか ) , こともあろうに,「 雪を被った山を見てみたい ! 」と無理難題を言い出したんだそう。
山に白い絹を覆い被せて, さも雪景色が広がっているように見せたらしいんです。
めっちゃ風流 !
この夏のオシャレな珍事が起こったのが, きぬかけの山, 今の衣笠山 ( 立命館大学 衣笠キャンパスの北側の山 ) といわれています。
そして, 衣笠山の麓が衣笠という地名になっていったのでしょう。
今でも, 立命館大学 衣笠キャンパスの北側から龍安寺 ・ 仁和寺へ至る道は, 「 きぬかけの路 」 といいます。
衣笠 アクセス
京都 衣笠へは, 金閣寺 , 立命館大学の衣笠キャンパス 方面の市バスに乗れば行けます。
【 金閣寺 】
12, 59, 205, M1, 急101, 急102, 急111, MN205 の系統利用。
【 立命館大学 衣笠キャンパス 】
12, 15, 50, 51, 59, 204, 205, 快速立命館 の系統利用。
京都 衣笠 まとめ
蓮台野が風葬地だったのも, 宇多天皇が在位していたのも, 共に平安時代だから, どちらの由来が先かどうかは定かではないけど, 風葬地のような場所の近くにわざわざ天皇が行くんかなーとも思います。
視力が良くてだいぶ遠くから眺めていたら別やけど ・ ・ ・ ・ 。
昔, 仕事の先輩で衣笠っていう人もいた。
でも, 一番印象に残っているのは, プロ野球の広島で活躍した鉄人 衣笠 祥雄 ( さちお ) 。
京都市で生まれ, 平安高校出身。
衣笠っていう名前は, 響きが良くて, 怖いイメージなんか全くなかったけど, なんとも, いわく付きの由来と, 宇多天皇のわがまま ? な願いによってつけられた地名だとは全く知りませんでした。
今度, 衣笠方面へ行く時は, 由来に思いを馳せながら訪れてみようっと。
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