「 千本ゑんま堂 ( 引接寺 いんじょうじ ) 」
正式には, 光明山 歓喜院 引接寺というけど, 千本ゑんま堂の方が有名。 私も正式名称は知りませんでした。
千本ゑんま堂 閻魔さまを祀る寺
本尊として, 「 閻魔法王 」を祀っています。
千本ゑんま堂を開いたのは, 小野篁 ( おののたかむら )で, 昼間は天皇に仕え, 夜は閻魔大王に仕えていた、 とされる人物。
小野篁が, この辺りに「 閻魔法王 」を祀ったのが始まり。 小野篁が「 閻魔法王 」を祀った後, 寛仁元年 ( 1017 ) に定覚上人が, 光明山 歓喜院 引接寺としての最初の住職となりました。
応仁の乱 で, お堂と閻魔法王は焼失してしまうけど, 長亨二年 ( 1488 ) に再造され, 高さ2,4メートルもあります。
お精霊送り
毎年8月7日 ~ 15日に, “迎え”の鐘を撞いてご先祖の霊をお迎えし, 8月16日に “送り”の鐘を撞いてご先祖の霊をお送りします。
“迎え” と “送り”の両方の鐘があります。
千本ゑんま堂大念仏狂言
五月に行われる「 千本ゑんま堂大念仏狂言 」は, ※ 京都三大念仏狂言のうち, 唯一の有言劇で, 京都市無形民俗文化財に指定。
あとの二つは, 壬生寺の壬生大念仏狂言 ・ 清涼寺 ( 嵯峨釈迦堂 ) の嵯峨大念仏狂言。
紫式部供養塔
至徳三年 ( 1386 ) に建てられた紫式部供養塔。
貴重な十層の多重石塔で, 国の重要文化財に指定されています。
普賢象桜
境内に咲く「 普賢象桜 」は, 咲いたときにすでに双葉があり, 花が咲いたまま落ちてしまう珍しい桜。
わかりにくいけど, 隣の建物にも閻魔様がいて, 睨みを利かせています (^^)
千本ゑんま堂 あの世とこの世の境
千本通の由来でも書いたけど, 千本ゑんま堂のある千本鞍馬口辺りは, 平安時代には、 死者を風葬する蓮台野と呼ばれていた地域の入口辺り。
この当時は燃やすための木がたくさんいるので, 死体を地中に埋めずに地上に置いて, 風化させる葬り方が一般的。
火葬をしていたのは, 天皇や高貴な人物だけでした。
京都 東山にあった鳥部野という風葬地の入口辺りにも,「六道珍皇寺」という小野篁が関係しているお寺があります。
どちらの寺も, あの世とこの世の境で, 死者を弔ったということでは似通っています。
千本ゑんま堂 アクセス
京都市バス「 千本鞍馬口 」バス停下車徒歩約1分。 千本通鞍馬口下ルにあります。
閻魔前町
千本ゑんま堂のある辺りは, 「閻魔前町」と呼ばれています。 千本ゑんま堂にぴったりの町名。
ほんとに京都には珍しい地名が多いです。
近くの観光スポット
近くの観光スポット
上品蓮台寺 ( じょうぼんれんだいじ )
ちょうど船岡山の西にあるのが, 「 上品蓮台寺 」
春は, 門をくぐってすぐにある綺麗な枝垂桜が迎えてくれます。
聖徳太子の創建と伝えられ, 最盛期には広大な寺域を誇っていましたが 応仁の乱 によって焼失。蓮台野一帯に, 十二の子院があったことから「 十二坊 」の名で知られるようになりました。
上品蓮台寺 ( 千本ゑんま堂から徒歩約4分 )
武勲神社 ( たけいさおじんじゃ )
船岡山の中腹に鎮座しているのが, 「建勲神社」。
建勲神社は, 織田信長を祀る神社で, 地元の人には通称「 けんくん 」さんと呼ばれています。 本能寺の変 ( 1582 ) の後, 豊臣秀吉が正親町 ( おおぎまち ) 天皇の勅許を受けて, 主君である信長の廟所と定めています。
武勲神社 ( 千本ゑんま堂から徒歩約8分 )
蓮台野 ( れんだいの ) 近衛天皇火葬塚
船岡山の西にある蓮台野と呼ばれる地域にあるのが, 「 近衛天皇火葬塚 」。
住宅地のど真ん中に佇んでいます。 周りを住宅に囲まれ, ちょっと不思議なスポット。
平安の昔, 一般庶民は, 死体を燃やすための木がたくさんいるので, 風葬が一般的だったようですが, 天皇や高貴な人物は, 火葬していました。
( 千本ゑんま堂から徒歩約8分 )
近くのグルメ
洋食屋キッチンパパ
お米屋もやっている洋食屋。
ハンバーグ & コロッケ共に美味しかった ! ! ごはんもお替り自由でおなか一杯。 数量限定で玄米も選べます。
洋食屋キッチンパパ ( 千本ゑんま堂から徒歩約7分 )
京都 神社仏閣 関連リンク
所在地 | 京都市上京区千本通蘆山寺上ル閻魔前町 34番地 上ル下ル西入東入について |
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電話 | 0 7 5 - 4 6 2 - 3 3 3 2 千本ゑんま堂ホームページ |
※ 拝観時間 ・ 拝観料等は変更されることがありますので, 寺院にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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