千本通 地元の人間も知らない怖い由来とは?
「 千本通 」
京都市を北から南へ「 ズドーン 」と縦断している長い通りが「千本通」。
いわく付きの由来や平安時代はメインストリートだった、などのエピソードがあります。
そして、千本丸太町を中心としたエリアには、平安京関係の史跡がいっぱいあって面白い通りです。
千本通
上の地図のように、千本通は北は京都市北区の鷹峯 ( たかがみね ) から、南は七条通を過ぎ梅小路公園で一度途切れます。
JRの線路を南へ渡ったところから再び千本通が始まり、名神高速道路を超えて京阪「淀駅」近くの京都市伏見区 納所 ( のうそ ) 交差点まで続いています。
千本通は、めちゃめちゃ長い通り。
昭和40年代までは、四条大宮から京都市北区紫野までの千本通に市電が通っていて、三条通から今出川通の間は特に賑わっていたそう。
千本通、昔々はメインストリート
千本通御池上ル東側にある朱雀門跡の碑
今の千本通が通っているところは平安京のメインストリート「朱雀大路」もありました。
ちょうど南は九条旧千本交差点辺り ( 羅城門跡:上の地図の緑マーク ) から、北は千本御池上ル辺り ( 朱雀門跡:上の地図の緑マーク ) までの約4kmが朱雀大路。
朱雀門跡の石碑の横が「千本通」。
今の千本通には平安時代の 「朱雀大路」も通っていたんです。
朱雀大路の幅はなんと84メートルもあり、並木として柳が植えられていたそう。
この朱雀門跡の石碑辺りから北 ( 写真の上方 ) が、平安京の中心部でした。
ところが、鎌倉時代の末期に平安京の大内裏が今の御所のある場所へ移った後、元あった大内裏へ続くメインストリートの朱雀大路も次第に廃れて行きました。
千本通の由来
ところで、平安時代は風葬が一般的。
死体を燃やすのに薪がたくさんいるから、庶民は亡くなると都にいくつかあった風葬地へ ( 天皇や高貴な人は火葬 ) 。
ここで死体を地中に埋めずに地上に置いて、そのまま風化させていました。
カラスなどが死体をついばみ、想像するだけでも恐ろしい光景が広がっていたでしょう。
平安時代の京都の風葬地の一つに「蓮台野」と呼ばれる地域がありました。
ちょうど、船岡山の北西辺りで現在の京都市上京区の千本通鞍馬口上ル辺り。
千本通を北へ行くと、当時の蓮台野と呼ばれていた辺り。
平安京の大内裏が今の御所のある場所へ移って以来、廃れてしまった朱雀大路は蓮台野へ死者を運ぶ道へと変貌。
死者を送る廃れた朱雀大路に、卒塔婆 ( そとば ) を「千本」位多く立てて供養したことが『千本通』の由来です。
普段何気なく通っている千本通に、いわくつきの由来があるとは。
京都には、この手の怖いエピソードのある名前がちょこちょこありますね。
千本通もそうだけど、京都には他にも珍しく、変わった由来の地名や通りもあります。
千本通 鞍馬口辺りの観光スポット
千本通 鞍馬口辺りの観光スポット
千本ゑんま堂
この「蓮台野」の入口辺りにあるのが「千本ゑんま堂」。千本通に面しています。
昔、死者を送るこの辺りは、この世とあの世の境目と考えられていました。
その境目にある千本ゑんま堂では毎年8月7日~15日にご先祖の霊をお迎えし、8月16日にお送りするための「迎え」と「送り」の両方の鐘を撞く習わしがあります。
死者はここで、生前行いが悪ければ、閻魔大王に地獄へ送られていたかもしれませんね。
ちなみに、千本ゑんま堂のある辺りは「閻魔前町」と呼ばれています。
閻魔さまが本尊の千本ゑんま堂にぴったりの町名 (^^)
関連情報
ちなみに、平安京の東の風葬地は鳥辺野 ( とりべの ) と呼ばれる地域でした。清水寺の下辺りから高台寺、建仁寺、そして六道珍皇寺・六波羅蜜寺がある辺り。
いまでは、観光で賑わう地域も平安時代は風葬の地だったんです。
鳥辺野との境界辺りは「六道の辻」と呼ばれ、あの世とこの世の境目と考えられていました。
そして、その境目辺りにあるのが「六道珍皇寺」。
六道珍皇寺でも千本ゑんま堂と同じように、あの世とこの世の境目にあるお寺だから、お盆前の8月7日~10日はご先祖様をお迎えする「六道まい 」という風習があります。
千本ゑんま堂のある辺りが「閻魔前町」と呼ばれているように、六道珍皇寺の近くも轆轤町 ( ろくろちょう ) と呼ばれています。
清水焼の近くだから焼き物を回す「轆轤」が由来でしょ!!
いえいえ、この話の流れでは、そんな洒落た理由ではありません (笑)
上品蓮台寺 ( じょうぼんれんだいじ )
ちょうど船岡山の西にある蓮台野にあるのが、「 上品蓮台寺 」。 千本通に面していて、春は門をくぐってすぐにある綺麗な枝垂桜が迎えてくれます。
聖徳太子の創建と伝えられ、最盛期には広大な寺域を誇っていましたが 応仁の乱 によって焼失。蓮台野一帯に十二の子院があったことから「十二坊」の名で知られるようになりました。
上品蓮台寺 ( 千本鞍馬口から徒歩約3分 )
武勲神社 ( たけいさおじんじゃ )
蓮台野の東にあるのが船岡山。その中腹に鎮座しているのが「建勲神社」。
建勲神社は織田信長を祀る神社で、地元の人には通称「けんくん」さんと呼ばれています。本能寺の変( 1582 )の後、豊臣秀吉が正親町( おおぎまち )天皇の勅許を受けて、主君である信長の廟所と定めています。
武勲神社 ( 千本鞍馬口から徒歩約7分 )
千本丸太町交差点辺り かつては平安京の中心部
朱雀門跡から千本通を北へ徒歩約10分で丸太町通と交わります。
この辺りはかつての平安京の中心部だから、平安京の大内裏や内裏関係の史跡が数多く存在。
住宅街を歩いていると、突然平安京関係の碑が建っていたりします。
めっちゃ油断できない (笑)
大内裏とは、内裏 (だいり 儀式や執務などを行う天皇の宮殿 ) や大極殿 ( だいごくでん )・朝堂院 ( ちょうどういん ) などの政庁があり、今の御所のような築地に囲まれていました。
千本丸太町交差点の北東の歩道の上。
めっちゃ、わかりやすい!!
千本三条交差点辺り
千本三条の交差点。上の写真の中央のアーケードが「三条会商店街」
千本通は京都市北区鷹峯 ( たかがみね ) から伏見区まで続いている長い通りだけど、個人的には千本三条から北の印象が強いですね。
千本三条の辺りは東へ向けてアーケードの三条会商店街があり、近くのJR二条駅&京都市地下鉄二条駅の周りも開発が進み、とても住みやすい地域になっています。
三条会商店街
三条会商店街は地域密着で地元の人間が買い物に行く商店街。
日々の買い物にいそしむ京都人が見られます。
最近はお洒落な店もオープンしてきて、グルメで訪ねる観光客も増えて来ています。
千本通 まとめ
千本通は京都市を南北に貫く長い通り。
ちょっと怖い由来や、平安時代はメインストリート朱雀大路があったり、千本丸太町交差点辺りには平安京の史跡跡がそこらじゅうにあります。
平安京の中心部だった千本丸太町辺りは面白いエリアだけど、交通の便が京都市バスしかなく、正直不便に感じることが多いですね。
だから、もし千本通や平安京関係の史跡に興味があれば、自転車で廻ることをオススメします。
あっちこっちへ行ったり来たりしないといけないから、バス+徒歩はやっぱりしんどい。
千本通に限らず、小回りが利いて、あまり疲れない自転車が京都観光には一番 ! !
参考:Wikipedia
コメント
コメント一覧 (2件)
千本通りは淀まで続いてますよ!
匿名 様
閲覧・ご指摘、ありがとうございます。
修正しました。ありがとうございます!
これからもよろしくお願いします。
Kei