「 北野天満宮 」とは、天神さんの愛称で知られている京都市上京区にある学問の神様 菅原道真を祀る神社。
地元では『北野さん』と呼ばれ親しまれています。
実は、元々、北野天満宮の祭神 菅原道真は学問の神様ではなく、なんと、京都に落雷や災害をもたらす怨霊だったんです ! !
北野天満宮 歴史
北野天満宮は今は学問の神様 菅原道真 ( すがわらのみちざね ) を祀る神社。
京都で学業成就・合格祈願のご利益といえば、真っ先に思い浮かぶのが「北野天満宮」。
日本中に約12000社ある菅原道真を祀る天満宮の総本社です。
学問の神様になったのは江戸時代
元々は、怨霊と思われていた菅原道真の魂を鎮めるために、北野の地に神様としてお祀りしたのが北野天満宮の歴史。
その後、北野天満宮は京の都を守護する神様となっていきました。
学問の神様として崇められるようになったのは, 江戸時代になってから。
道真は学者の家系に生まれ、小さいころからめちゃめちゃ頭が良かったそう。
江戸時代に普及した寺子屋に、頭の良かった道真が「天神さま」として祀られたり、道真の姿を描いた掛け軸などが掲げられたりすることによって、次第に『学問の神様』として崇められていったと考えられています。
ちなみに、学業成就・合格祈願の他にも、芸道上達にもご利益があります。
なぜ怨霊になってしまったのか?
異例の大出世
ここからは、道真の人生をたどっていきます。
時は、桓武天皇が平安京へ遷都 ( 794年 ) してから、だいたい100年くらい後。
学者の家系に生まれた道真は小さいころから頭がよく、詩や歌も得意だったそう。
朝廷で順調に出世していき、時の宇多天皇の目に留まり、厚い信頼を得て家格を超えた要職にも就くようになりました。
この当時、皇室の一族である藤原氏が朝廷内で権勢を振るっていましたが、宇多天皇は藤原氏を抑える意味でも道真を重用したよう。
宇多天皇が醍醐天皇へ天皇の位を譲った後でも道真は昇進を続け、昌泰2年 ( 899 ) 、ついに右大臣にまで昇進して、左大臣の藤原時平と肩を並べるまでになりました。
藤原氏との勢力争い
しかし、道真の身分を超えた ( 家格を超えた ) 昇進に嫉妬する者や、藤原氏との政治対立などが顕在化。
現代でもありますよね。時の権力者に認められて大抜擢されるけど、周りから妬みや恨みを受けてしまうってこと。
強力なライバルへと成長してきたことに大きな危機感を持っていた藤原陣営によって、ある噂が流されます。
道真が醍醐天皇を退位させて、自分を取り立ててくれた宇多天皇の第三皇子の斉世親王 ( ときよしんのう ) を新しい天皇にしようと企てている ! というものでした。
この噂が真実味を帯びているのは、道真は斉世親王の元へ自分の娘を嫁がせていたので、娘婿を天皇にすることで自分の権力基盤を絶対的なものにしようとしている。 という印象を与えていること。
無実の罪で左遷
この噂が元で道真は罪に問われて、九州の大宰府へ左遷されてしまいました。
無実の罪で左遷される道真は、さぞ悔しかったことでしょう。
そして、大宰府への左遷から2年後の延喜3年 ( 903 ) 2月25日に、失意のうちに大宰府で亡くなりました。 享年59。
菅原道真が亡くなった後
最大のライバル 菅原道真が居なくなって、藤原時平とその一門はホッと一息。
これからは藤原氏の思うがままって思っていました。
ところが, そうはいきませんでした。
道真の死後、京の都では災害や落雷の被害が相次いだり、道真を失脚させた関係者が次々に亡くなりました。
延喜9年 ( 909 ) には、菅原道真を失脚させたとされる藤原時平自身が39歳の若さでで病死。
延長8年 ( 930 ) には、平安京の内裏 ( だいり ) にある清涼殿が落雷を受けて多くの死傷者が出た上に、3ヶ月後に醍醐天皇も崩御。
人々は怨霊となって京の都に帰ってきた道真の祟りだと恐れおののき、天暦元年 ( 947 ) 怨霊となってしまった菅原道真の魂を鎮めるために、北野の地に神様として祀ることになりました。
それが, 今の「北野天満宮」。
菅原道真は元々は学問の神様ではなく、なんと、「怨霊」だったんです ! !
北野天満宮 見どころ
一の鳥居
お詣りは、ここから。
楼門
一の鳥居をくぐって、しばらく参道を進むとあるのが、この楼門。
三光門 ( 重要文化財 )
北野天満宮のシンボルのひとつ。
拝殿の前にあります。
拝殿
初詣の時の拝殿。
闇に浮かび上がる荘厳な雰囲気。
本殿 ( 国宝 )
御土居から見た本殿。
北野天満宮 アクセス
・市バス 「北野天満宮前」 バス停からすぐ。
・嵐電 「北野白梅町駅」 から徒歩約5分
※初詣や行事のある時には、混雑防止のために「北野天満宮前 ( 東行き )」バス停が少し東へ移動。
詳しいアクセスを見る
市バス「 北野天満宮前 」バス停へ
京都駅前バスターミナル ( JR中央口前 ) から
B2乗場 | 50号系統 二条城・北野天満宮・立命館大学 行き |
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下車 | 「北野天満宮前」バス停下車,すぐで『北野天満宮』 |
四条河原町から
四条河原町バス停は, A~Hの合計8か所あります。 行先によって乗車する停留所は違います。
A乗場 | 10号系統 北野天満宮 御室仁和寺・山越 行き 51号系統 北野天満宮・立命館大学 行き |
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D乗場 | 203号系統 西大路四条・北野白梅町・北野天満宮 行き |
下車 | 「北野天満宮前」バス停下車,すぐで『北野天満宮』 |
※ 京都市バスの掲載内容は京都市バス時刻表でご確認ください。 万が一、間違っていたとしても、責任は負いかねます。 予めご了承ください。
北野白梅町駅へ
JR京都駅から
JR京都駅下車後、地下鉄 「京都駅」から [国際会館 行き] に乗車。 「四条駅」下車後、阪急線に乗換
⇒阪急京都線「烏丸駅」から [大阪梅田 行き] に乗車、1つ目の駅の「大宮駅」下車2B出入口から地上へ
⇒四条大宮交差点南側の横断歩道を西へ渡り、嵐電「四条大宮駅」から [嵐山 行き] に乗車
⇒「帷子ノ辻駅 (かたびらのつじえき)」で北野本線に乗換, 終点の「北野白梅町駅」下車, 徒歩約5分。
四条河原町から
阪急京都線「京都河原町駅」から [大阪梅田 行き] に乗車、2つ目の駅の「大宮駅」下車2B出入口から地上へ
⇒四条大宮交差点南側の横断歩道を西へ渡り、嵐電『四条大宮駅』から [嵐山 行き] に乗車
⇒「帷子ノ辻駅 (かたびらのつじえき)」で北野本線に乗換、終点の「北野白梅町駅」下車徒歩約5分。
北野天満宮 まとめ
菅原道真は無実の罪で大宰府へ左遷され、失意のうちに亡くなり、怨霊となって京都へ帰ってきた。
その魂を鎮めるために創建されたのが「北野天満宮」。
菅原道真が学問の神様として認知されてきたのは江戸時代からでした。
今は社会人だから直接的に学業成就・合格祈願とは関係ないけど、京都の神社で一番訪れているのが「北野天満宮」。
初詣は可能な限り北野天満宮に来ています (^^)
ことあるごとに、いつも引き寄せられるようにお詣りしてる。
ちなみに前もって知っていたら、さらに北野天満宮のお詣りが楽しくなる「北野天満宮の七不思議」も参考にしてみてください。
所在地:京都市上京区馬喰町
電話:075–461–0005
受付時間:9:00~17:00 北野天満宮ホームページ
※ 参拝時間 ・ 受付時間等は変更されることがありますので, 神社にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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