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御土居 洛中洛外を実感する史跡

御土居 / 京都 ブログガイド

「 御土居 ( おどい ) 」

昔は京都へ来ることを上洛って言ったり、今でも京都の地域を表すときに、洛中・洛北・洛東・洛西 ( らくさい ) ・洛南という呼び方を使ったりします。

京都市の北の方は洛北というし、洛西ニュータウン、洛南高校といった固有名詞も存在します。

この中の「洛中」という表現、京都の中心だろうなっていうのはわかるけど実際どのあたりなのか?

このはっきりとした”線引き”をしたのが『御土居 ( おどい )』なんです。

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プロフィールアバター / 京都ブログガイド
  • 学生時代から京都大好き
  • 20年以上京都・大阪で観光関係の仕事
  • 今は家族の理由で大阪在住。
  • その前は祇園祭の鉾町在住。
  • 一児の父さん。
目次

御土居とは

豊臣秀吉が天下を統一した後で、応仁の乱からの長い戦乱で荒れ果てた京の都の改造&敵からの防御&洪水対策として、天正十九年 ( 1591 ) に、都の周囲をぐるっと囲む御土居 ( 土塁 ) を建設しました。

御土居は高いところでは30m以上もあり。総延長22,5キロメートルに及ぶかなり広範囲に渡る土塁で、東は鴨川、西は紙屋川 ( 天神川 )、南は九条辺り、北は鷹ケ峯に沿って築かれました。

土木建築が得意な秀吉らしい発想で、備中高松城の水攻めの時の堤防建設などで培ったノウハウを活かして御土居を建設したのでしょう。

御土居 MAP

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