わら天神宮 安産・子授け・縁結びの神

わら天神宮1 / 京都 ブログ ガイド

 

わら天神宮 安産・子授け・縁結びの神

 

わら天神宮 名前の由来

 

わら天神宮4 / 京都 ブログ ガイド

 

わら天神宮の正式名称は、

敷地神社といいます。

わら天神やと思っていました。

 

わら天神宮では、

昔から稲わらで編んだ籠に

お酒や食べ物を入れて

神様へお供えしていました。

 

その籠から抜け落ちた”わら”を

安産を願う妊婦さんが

持ち帰るようになり、

 

後に、

そのわらを切り取り、

安産のお守りとして妊婦さんに

お渡しするようになりました。

 

その”わら”のお守りの珍しさから、

「わら天神宮」と呼ばれるようになりました。

 

わら天神宮2 / 京都 ブログ ガイド

 

わら天神宮について

 

わら天神宮の起源は、

「北山の神」 という山を

神格化した存在でした。

 

天長五年(828)の大雨、大地震の際、

時の淳和 (じゅんな) 天皇が

北山の神に貢物をささげられたことが、

「※類聚国史 (るいじゅうこくし) 」に

記載されています。

※892年 (寛平4年) に完成・成立した、菅原道真によって内容をまとめられた歴史書。

 

その創建は、

平安時代以前と推定されます。

 

天長八年 (831) に、

この地に ※1氷室が設けられることになって

加賀国 ( 現在の石川県加賀市辺り )

の人々が働くこととなり、

 

彼らは、京都へ移住してくるにあたり

地元で信仰していた

※2菅生石部 ( すごういそべ ) 神社の

御祭神の霊をわけてもらい、

京都のこの地へ移し、お祀りしました。

※1氷や雪を貯蔵する施設
※2石川県加賀市にある神社で、通称敷地天神、菅生天神。

 

わら天神宮1 / 京都 ブログ ガイド

 

また、

そのわけてお祀りした祭神・菅生石部神の

母親である木花開耶姫命

(このはなさくやひめのみこと)を

御祭神として北山の神と共にお祀りし、

代々、2つの神社を崇め敬ってきました。

 

応永四年(1397)に、

室町三代将軍足利義満によって

北山代(後の鹿苑寺である金閣寺)の

造営が始まりましたが、

 

そのために参拝に不便となったので、

2つの神社を一つにして、

現在の場所に移し、

 

神社の名前を菅生石部神の通称である

敷地神社としました。

 

わら天神宮3 / 京都 ブログ ガイド

 

その後は、

応仁の乱などで荒廃してしまいましたが

 

仮の社殿を設けて、存続し、

弘化四年(1847)の大修復、

昭和十年(1935)の改修を経て、

現在に至ります。

 

現在地へ移った後、

敷地神社は「天満宮」といっていました。

 

八幡神社

 

わら天神宮5 / 京都 ブログ ガイド

 

八幡神社は、

大分の宇佐八幡宮を発祥の地として

京都 八幡の男山にある石清水八幡宮、

鎌倉の鶴岡八幡宮のほか

全国に約二万五千社があるといわれています。

 

皇室との関係が深いのはもとより、

源氏の氏神としても信仰を集め、

石清水八幡宮の神前で元服した

源義家が、「八幡太郎」と名乗ったことは有名です。

 

源頼義、義家の館跡について

 

源頼朝が鎌倉に幕府を開き、

鶴岡八幡宮を関東の総鎮守としてから

武家の守護神として全国へ拡がっていきました。

 

この八幡神社もそのような神社のひとつで、

明治四十年(1907)に

衣笠氷室町からこの地へ移ってきました。

 

わら天神宮ホームページ

所在地:京都府 京都市 北区 衣笠天神森町 10番地
バス停 「わら天神前」より徒歩3分

電話:075-461-7676

受付時間:8:30~17:00




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