「 銀閣寺 」
春は琵琶湖疏水の分水沿いに桜が咲き誇る「 哲学の道 」。 大正時代, 哲学者の西田幾多郎 ( きたろう ) が好んで散策したことから「 哲学の道 」と呼ばれるようになりました。
その北の端から徒歩約2分にあるのが,「銀閣寺」。 東山連峰の麓に佇み, 世界遺産に登録されています。
期待していた銀閣だけじゃなく, 他にも素晴らしいことがいっぱいありました。
銀閣寺 境内
銀閣寺垣
総門をくぐって右へ折れると, 「 銀閣寺垣 」。
下から, 石垣, 竹垣, 生垣 ( 椿 ) の順番に構成。 ここを通ることで, 俗世から浄土の世界へ入る準備を促す境界としての役目。
この先に何があるかわからないから, ワクワクします !
観音殿 ( 銀閣 ) 国宝
※ 花頭窓 ( かとうまど ) が印象的な木造二層の楼閣建築。 室町幕府8代将軍 足利義政の山荘として建てられ, 後に禅寺へ。
金閣寺の華やかさとは正反対の簡素で趣のある佇まい。 前に広がる庭園と共に落ち着いた空間を演出しています。
金閣も華やかでいいけど, 質素で静かな「 わび ・ さび 」の雰囲気が漂う銀閣のほうが私は好み。
※ 蓮の形を表したのではないか ( 諸説あり ) といわれる花頭窓。 元々は鎌倉時代の禅宗の建築様式のひとつ。
1階は書院造りで,「 心空殿 ( しんくうでん ) 」といい, 周りの障子から光が差し込む部屋は, 座禅をするためのもの。
中心に蓮に乗ったお地蔵様がおられ, その周りに親指位の大きさの小さなお地蔵様が, なんと千体。 千体地蔵菩薩像が現在は祀られています。 なんでお地蔵様が心空殿に祀られているのかは, 未だに謎だそう。
二階は潮音閣 ( ちょうおんかく ) 。 周りは漆黒の漆塗りで黄金に輝く観音菩薩座像 ( 洞中観音 どうちゅうかんのん ) が安置されています。
観音様をお祀りしているので, 正式名称が, 「 観音殿 」。
晩年に病気を患っていた足利義政は, その救済と治癒を願って, 潮音閣に観音様をお祀りし, 祈りを捧げていたそう。
なんで銀閣と呼ばれるようになった ?
今の姿からはわからないけど, 創建当時は, 二階の潮音閣は内側も外側も「 漆 」で塗られていました。
つまり, 漆黒の観音殿だったんです !
銀色とは似ても似つかぬ色合い。 それはそれで渋いかも (^^)
ただ, 漆は日光に弱いため, 上の写真のように, 時がたって江戸時代頃には, 漆が劣化して剥がれ, 下地の白い部分が露出してきたと考えられています。
その白い部分に太陽の光が当たり, 銀色に反射して見えたのではないか。 といわれています。
また, 祖父で室町幕府第3代将軍の足利義満 ( よしみつ ) が建てた「 金閣 」に対して, 孫の義政なので「 銀閣 」という説もあり。
銀沙灘 ( ぎんしゃだん )
方丈 ( 本堂 ) の前に広がるのは, 銀沙灘。 中国の有名な湖 西湖 ( せいこ ) を砂で表現。
引かれている線は波を表していると伝わっています。 ここに太陽や月の光が反射することで, 本堂の灯りにもなっています。
「 銀沙灘 」が, 神秘的かつ不思議な空間を演出しています。
向月台 ( こうげつだい )
白川砂を円錐状に形造り頂上は平ら。 実は, なぜ向月台があるのかは謎なんだそう。
何で平らなんやろ ?
仙草壇 ( せんそうだん )
牡丹が植えられているのは, 日本で初めてといわれている花壇。
牡丹が植えられたのは, 花の美しさもさることながら, 根っこが漢方薬にもなることから。 花を愛でるだけではなく, 実益も兼ねていたんですね。 一石二鳥 !
銀閣寺 方丈
ご本尊は, 寺の創建より前に作られたとされる宝冠釈迦如来座像 ( ほうかんしゃかにょらいぞう ) 。 その名の通り冠を被られたお釈迦様。
東求堂 ( とうぐどう 国宝 )
東方の人 念仏をして 西方に生ずるを求む
西方浄土 ( 仏教の西に極楽がある考え ) を東から求める。 ということから, 「 東求堂 」 と命名。 木造阿弥陀如来立像が安置されています。
東求堂は, 1486年に建てられ, 実際に足利義政が居住。 その中にある部屋が 「 同仁斎 ( どうじんさい ) 」。 一視同仁 ( いっしどうじん ) , つまり, みんな平等という意味。
同仁斎は書院造の原型で, 日本最初の四畳半の和室といわれています。
それまでは, 身分の高い人が座る場所にだけ畳が敷かれ, それ以外は板の間。 義政は, 部屋全体に畳を敷いたんです。
義政はこの部屋で, 身分の上下関係なく, 才能のある人々とお茶や花を活けたり, お香を楽しんだそう。 そして, 庭造りもそのひとつ。
東求堂の前に広がる池泉回遊式庭園 ( ちせんかいゆうしきていえん ) 。 義政が手掛けたといわれています。
また, 義政は身分の低かった善阿弥 ( ぜんあみ ) という人物の庭造りの才能を認め, 庭の手入れをする筆頭としました。 多くの重要な仕事を任せたといわれています。
これも義政が才能を認めれば身分の上下関係なく人と接していたことが伺えます。
無雙真古流 ( むそうしんこりゅう )
それまで, 仏様にお供えするということでの華道は存在していたけど, この頃から ’’ 人のために活ける ’’ ということが始まってきたと考えられています。 実際に義政から始まった華道の流派 「 無雙真古流 ( むそうしんこりゅう ) 」 は現在も受け継がれています。
展望所
少し登ると, 「 展望所 」。 銀閣寺の境内や吉田山のふもとに広がる住宅街も見渡せます。
銀閣寺 庭園
境内全体が, まさに池泉回遊式庭園。
観音殿 ( 銀閣 ) や東求堂の前に池を巧みに配置し, 小道の両側に広がる苔の大地が, どっしりと庭全体に安定感を与えています。
足利義政が庭造りに造形が深かったそうだけど, 庭が素晴らしい。
そして, とにかく, 恐ろしいくらいに庭の手入れが行き届いている ! !
展望所に登る階段の両側でさえ苔の緑に覆い尽くされ,「 手を抜く 」という言葉はここにはありません。
そこかしこに庭師がいて, 美しい状態を保っていることに感動, 感謝。
庭好き & 苔好きは, 是非訪れるべき。
銀閣寺 について
正式には, 東山慈照禪寺 ( ひがしやまじしょうぜんじ ) 。
室町幕府 八代将軍 足利義政が自分の隠居するところとして, 東山殿という山荘を造ったことが始まり。 義政の死後, 遺言により, 臨済宗 相国寺派のお寺に改められました。
相国寺は, 義政の祖父 室町幕府三代将軍 足利義満が建てたお寺。
※ 銀閣寺 ・ 金閣寺は, 相国寺の境外塔頭 ( けいがいたっちゅう 本山の寺の外にある同派のお寺 )
銀閣寺 アクセス
京都市バス「 銀閣寺道 」バス停下車徒歩約4分。 詳細は, 銀閣寺のアクセスページ
哲学の道から徒歩約2分。 銀閣寺の境内とその付近には駐車場 ・ 駐輪場はなし。
哲学の道のそばに京都市営の駐車場があるので, 車 & 自転車を停めて歩く必要あり。 徒歩約2分です。
近くの観光スポット
哲学の道
若王子橋から銀閣寺橋の2km以上にわたり, 琵琶湖疎水の分線沿いに遊歩道が整備され沢山の桜が植えられています。 大正時代, 哲学者の西田幾多郎 ( きたろう ) が好んで散策したことから, 「 哲学の道 」と呼ばれるように。
実は, 哲学の道にたくさんの桜が植えられているのには, 理由があります。
哲学の道 ( 銀閣寺から徒歩約2分 )
近くのラーメン屋
中華そば ますたに
銀閣寺から徒歩約8分にあるのが, 「 中華そば ますたに 」。
創業が昭和23年( 1948 )
背油ちゃっちゃの京都ラーメンといえば「 中華そば ますたに 」。 昔から変わらず美味しい京都ラーメン ( 中華そば ) を提供してくれています。
銀閣寺 まとめ
銀閣寺へ訪れるキッカケは, 「 観音殿 ( 銀閣 ) 」 だった。
銀閣 ・ 銀沙灘 ( ぎんしゃだん ) などの造形物も確かに良いものだけれど, それ以上に印象的だったのは, 庭園。
素晴らしく手入れの行き届いた美しい庭園に包み込まれて, 造形物が一層輝きを増し, 見るものを感動させてくれます。
京都で11年も続いた「 応仁の乱 」。
その政治的責任の一端は足利義政にもあるといわれているけど, 身分の垣根を越えて多くの人と交わり, 文化面では後世につながるものを数多く残した功労者といえるかもしれません。
平和な時代に将軍だったなら, さらに多くの文化的貢献をしたでしょうね。
また, 五山送り火の 「 大文字 」は, 25歳で早くしてこの世を去った息子 義尚 ( よしひさ ) を弔うために始まったという説もあり。
京都 神社仏閣 関連リンク
所在地 | 京都市左京区銀閣寺町2 |
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電話 | 075-771-5725 |
参拝時間 | 年中無休 夏季 (3月1日~11月30日)午前8:30~午後5:00 / 冬季 (12月1日~2月末日) 午前9:00~午後4:30 |
参拝料金 | 大人(高校生以上)500円小・中学生 銀閣寺ホームページ |
※拝観時間・拝観料等は変更されることがありますので、寺院にご確認ください。万が一、間違っていたとしても責任は負いかねます。予めご了承ください。
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