「 大和大路通・縄手通 」
京阪電車「祇園四条駅」の6番出口から地上へ出ると、京都 師走の風物詩、独特な字体で有名な”まねき”があげられる歌舞伎の南座。
そこから四条通の歩道を八坂神社や高台寺・清水寺などのある東山へと向かう人の波に乗りながら東へ数十秒歩くと最初に出会う通りが「大和大路通 ( やまとおおじどおり )」。
大和大路通・縄手通 大和街道の一部
大和大路通と四条通の交差点
大和大路通とは、北は京阪電車「三条駅」バスターミナル南の若松通と交わるところから、南は泉涌寺通までの約3kmの南北の通り。
昔の大和街道の一部が「大和大路通」になっています。
大和”大路”通となっているけど、”大路” といえるほど道幅はない (^^)
大和大路通・縄手通 おすすめエリア
大和大路通の五条通 ( 東西の通り ) から南はそれほど頻繁には通らないけど、四条通~五条通からの間の大和大路通の周辺には神社仏閣や観光スポットもたくさんあって見所満載。
私もよく通ります。
大和大路通団栗下ル、建仁寺の西門が大和大路に面しています。
京都ゑびす神社。大和大路通に面しています。
一番のハイライトは毎年1月8~12日に行われる京都ゑびす神社 ( 大和大路通松原上ル ) の「十日ゑびす」。
開催期間中は京都ゑびす神社辺りから四条通までの大和大路通沿いに露天が立ち並び、笹を手に持った多くの人で賑わいます。
京都ゑびす神社のすぐ南には「摩利支尊天堂」。
摩利支天は「陽炎 ( かげろう )」を神格化したもの。「開運」&「勝利」にご利益があります。
陽炎は、ゆらゆらと揺らめく幻なので実体がなく、捕えることができない。
ということから、日本では多くの武士が守護神として信仰しました。
また摩利支天は猪を従者としていることから、「亥年生まれの守護神」としても知られ、境内にもたくさんの猪がいます。
繩手通の名前の由来
繩手通四条上ル辺り
四条通から北の若松通までの短いところだけ、大和大路通から「縄手通」と名前が変わります。
“縄手”とは鴨川の土手の意味。
昔この辺りは鴨川の土手があったことから名付けられました。
また、一説にはこの土手に刑場があって、手に縄を縛られた罪人が刑場まで送られて行ったことから縄手通と呼ばれるようになったともいわれています。
繩手通を北へ歩いていると、祇園白川に架かる大和橋。
ここを渡って、右へ曲がると巽橋や辰巳神社がある「祇園新橋」。
大和大路通・縄手通 アクセス
・大和大路通 ( 繩手通 ) 北の始点へは、京阪「三条駅」地下鉄「三条京阪駅」3番出口からすぐ。
・大和大路通四条へは、京阪「祇園四条駅」6番出口から徒歩約30秒。
・大和大路通五条へは、京阪「清水五条駅」4番出口から徒歩約2分。
・大和大路通七条へは、京阪「七条駅」4番出口から徒歩約4分。
繩手通 周辺の観光スポット
周辺の観光スポットを見る
大和大路通 四条通~五条通 周辺の観光スポット
四条通~五条通 周辺の観光スポットを見る
花見小路通
大和大路通四条交差点から徒歩約90秒、祇園の真ん中に横たわるのが「花見小路通」。花見小路通の四条通から南は石畳風に整備され、道の両側には京風情溢れる街並みが続きます。
「祇園甲部」 と呼ばれる※京都 五花街の中でも一番舞妓さんの在籍数が多く、最大規模の花街の中を通り、お茶屋で有名な一力亭があるのも花見小路通。これぞ京都という知名度が高い通りです。
※ 京都 五花街:祇園甲部・祇園東・宮川町・先斗町・上七軒の五つ。
仲源寺 ( 目疾地蔵 めやみじぞう )
大和大路通四条交差点から徒歩約10秒にあるのが「仲源寺 ( 目疾地蔵 )」。
仲源寺 ( 目疾地蔵 ) には右目が赤い地蔵尊像が安置され、人々の目の病を引き受けて赤くなっているのだといわれています。現在も眼病治療にご利益があるとして広く信仰されています。
建仁寺
大和大路通団栗下ルに西門があるのが「建仁寺」。
建仁二年 ( 1202 ) 、創建時の元号から「建仁寺」と名付けられました。日本に禅宗をもたらした明庵栄西 ( みんなんようさい ) が初代住職。
京都えびす神社
大和大路通松原上ルにあるのが「京都えびす神社」。
初詣が終わった後の京都の1月の風物詩と言えば、京都えびす神社の「十日ゑびす大祭」。 毎年, 1月8日~1月12日に行われています。福娘だけではなく、舞妓さんがいるところが京都らしい。
「十日ゑびす」の5日間の中で、11日の残り福の時だけ、祇園甲部と宮川町の舞妓さんが来て福を授ける手伝いをします。
摩利支尊天堂
大和大路通松原上ルにあるのが「摩利支尊天堂」。
摩利支天は、”陽炎 ( かげろう )”を神格化したもの。陽炎はゆらゆらと揺らめく幻なので実体がなく、捕えることができない。ということから、日本では多くの武士が守護神として信仰しました。
宮川町通
大和大路通の2つ西にあるのが「宮川町通」。
花見小路通四条下ル ( 花見小路通 ) よりも格段に人混みが少なく、お茶屋さんが軒を連ね、京都らしい雰囲気が満喫できます。人混みが苦手な人には宮川町通へ訪れることを強くお薦めします。
六波羅蜜寺
大和大路松原から徒歩約3分にあるのが「六波羅蜜寺」。
全盛期は寺域も広く、平家の邸宅や鎌倉幕府の探題が置かれるなど, 源平史跡の中心でもありました。
六道珍皇寺
大和大路松原から徒歩約4分にあるのが「六道珍皇寺」。
お盆前の8月7日 ~ 10日、ご先祖様をお迎えする「六道まいり」をするため、六道珍皇寺へ多くの京都人が訪れます。
お盆前にご先祖様の霊を迎える京都ならではの習慣を見ることができます。
轆轤町 (ろくろちょう)
大和大路松原から徒歩約3分, 六波羅蜜寺のすぐ東にあるのが「轆轤町」。
「轆轤」とは焼物を作るときに陶器を回す器具ですよね。京都は清水焼があるから焼物関係の歴史がある町なんでは ? と思うけど、実は全く違います。
あじき路地
大和大路五条から徒歩約4分にあるのが「あじき路地」。
築100年以上の京町家を大家の「安食 弘子(あじき ひろこ)」さんが再生し、現在はクリエーターやお店が軒を連ねます。京都らしい雰囲気を感じながらお店めぐりもすることができます。
大和大路通 四条通~五条通 近くのラーメン屋
近くのラーメン屋を見る
ラーメン藤 五条店
大和大路五条から徒歩約1分にあるのが「ラーメン藤 五条店」。
スープは豚の旨みが効いている少し脂っこさを感じる薄い醤油味。久世橋のラーメン藤 京都本店ができて半世紀近く。京都で長ーく受け継がれている味。
大和大路通 五条通~七条通 周辺の観光スポット
五条通~七条通 周辺の観光スポットを見る
豊国神社
大和大路七条から徒歩約2分にあるのが「豊国神社」。
慶長三年 ( 1598 ) に六十三歳で亡くなった秀吉の遺体は遺命により東山の阿弥陀ケ峯 ( あみだがみね ) に葬られ、その麓 ( 現在の豊国廟太閤坦 ) には広壮豪華な廟社が造営されました。
豊臣氏の滅亡後、その廟社は徳川幕府により取り壊されましたが、明治十三年 ( 1880 ) 、旧方広寺大仏殿跡にあたる現在地に社殿が再建され、別格官幣社として復興されました。
方広寺
豊国神社の境内から入ることができるのが「方広寺」。
徳川家康が豊臣滅亡をもくろみ, 戦に持ち込むキッカケとした鐘に刻まれた銘文「国家安康君臣豊楽 ( こっかあんこうくんしんほうらく )」はあまりにも有名。
大和大路通 七条通以南 周辺の観光スポット
七条通以南 周辺の観光スポットを見る
三十三間堂
大和大路七条交差点の南東にあるのが「三十三間堂」。
三十三間堂=千手観音ではなくて、三十三間堂=宮本武蔵と吉岡一門との決闘っていうイメージが強かったですね。漫画の「バガボンド」でも小説でも重要な場面だから。
ただ、実際にすべてを見終わるとそのイメージが吹き飛んでしまうくらい千手観音や中尊、風神雷神立像、二十八部衆立像に圧倒・感嘆させられました。
法住寺殿跡
大和大路七条から徒歩約4分にあるのが「法住寺殿跡」。法住寺というお寺の門前にあります。
平安から鎌倉、平氏から源氏へと移りゆく中で激動の時代を生き抜いた主人公の一人、後白河法皇 ( ごしらかわほうおう ) 。
保元三年 ( 1158 )、子供の二条天皇に天皇の位を譲り、後白河上皇となり、院政のために造営した御所が「法住寺殿」。北は現在の六条通を延長した辺り、南は大谷高校辺り、東は東大路辺り、西は鴨川辺りの広大な地域に造営されました。ちなみに蓮華王院の本堂 ( 三十三間堂 ) も法住寺殿の一部でした。
大和大路通・縄手通 まとめ
「大和大路通・縄手通」の周辺にはたくさんの神社仏閣や観光スポットがちりばめられています。
特に四条通~五条通の間にはいっぱい。
大和大路通 ( 繩手通 ) の北の始点が京阪「三条駅 」を降りてすぐだから、南へ向かって五条通辺りまで寄り道しながらぶらぶら歩いて行くのもオススメ ( 逆でもOK ) 。
ただ、色々寄りながら歩いていたら、あんまり進まないかも (笑)
大和大路通とは、北は京阪電車「三条駅」バスターミナル南の若松通と交わるところから ( 四条通までは繩手通 ) 、南は泉涌寺通までの約3kmの南北の通り。
コメント
コメント一覧 (2件)
京都人なんですが、改めて拝見すると知らないことが多いです。
来月は、六道さんにいって、ご先祖様のお迎えに行きます。
うめ 様
閲覧・コメント、ありがとうございます。
私も去年は六道まいりに行けなかったので、今年は行きたいです。
ただ、陶器まつりが中止になってしまったのが残念ですね。
これからもよろしくお願いします。
Kei