豊臣秀次の墓 (瑞泉寺) /京都 ブログガイド

瑞泉寺1/京都 ブログガイド

 

瑞泉寺は、

浄土宗西山禅林寺派のお寺で、

山号は慈舟山。

 

 

木屋町三条下ルにあります。

 

瑞泉寺2/京都 ブログガイド

 

すぐそばが三条通りであることや、

木屋町通に面しているため、

賑やかで、

周りは飲食店が多く、

ビルに囲まれていますが、

 

お寺の中に入ると、

周りの喧騒が嘘のように、

緑にあふれ、

静かで、

厳かな雰囲気が感じられます。

 

瑞泉寺3/京都 ブログガイド

 

豊臣秀次は、

子供のない秀吉の後継ぎとして

関白を務めていました。

ただ、

後に秀吉の子、秀頼が生まれると、

次第に秀次は秀吉に疎まれるようになり、

ついに、

文禄4年(1595年)7月、

秀次は秀吉から謀反を疑われ、

高野山に追放されました。

 

その後、

豊臣秀次は、

切腹させられてしまいました。

 

秀次の首は、

三条河原にさらされ、

その時に秀次の妻や妾、幼児など

合わせて30余人が打首とされました。

 

そして、

三条河原に塚と石塔が建てられたそうです。

 

その後、鴨川の氾濫などで、

塚は荒れ果て、

人々から忘れ去られていきました。

 

瑞泉寺4/京都 ブログガイド

 

秀吉の時代、

瑞泉寺のある木屋町通は

鴨川の中州だったそうです。

 

慶長16年(1611年)、

角倉了以が

高瀬川開削工事のために

三条河原の中州にいたときに

偶然、

秀次悪逆塚と刻まれた石塔を発見しました。

 

打ち捨てられた石塔を見て、

哀れに思った角倉了以は、

秀次の菩提を弔うために瑞泉寺を建立しました。

 

瑞泉寺の名前は、

秀次の戒名「瑞泉寺殿高巌一峰道意」から由来しています。

 

瑞泉寺5/京都 ブログガイド

 

発見された石塔には、

秀次悪逆塚と刻まれていましたが、

角倉了以は「秀次悪逆」の4文字を削り、

現在も豊臣秀次のお墓として瑞泉寺にあります。




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