平安京 遷都 そもそも, なんで京都が都に。

平安京 遷都 / 京都 ブログガイド

平安京 遷都

 

「 平安京 遷都 」

そうなんです。 そもそも, なんで京都に都が来たんでしょうか ? いままで, 気にしたこともありませんでした。

千本丸太町辺りを自転車で通っていると, 平安京の史跡 が多くあります。 その時, ふと思ったんです。

「 なんで, 京都へ都が来たんやろか ? 」 って。

学生の時, 日本史の試験のために無理やり覚えていましたが, もう一度調べてみようと思いました。

まずは, 平城京について。

和銅3年 ( 710 ) に, ※ 藤原京から平城京へ都が移されました。

※奈良県 橿原市と明日香村にあった飛鳥時代の都

当時の最先端都市である唐 ( 中国 ) の長安を模して, 都が造られました。 東西約 4.3km, 南北約 4.8km, 総面積は約 2,500ヘクタール。 メインストリートの朱雀大路は, なんと, 道幅が約74m もあったそうです。

近鉄電車で奈良へ行くときに, 新大宮 ( 奈良の一つ手前の駅 ) を過ぎると, 車窓の両側に平城京跡が広がってきます。 電車内から朱雀門や, 羅城門, 平城京跡 ( 広い野原 ) を見ることができます。

当時としては, 桁外れの都でしたが, 延暦3年 ( 784 ) に長岡京に遷都されました。 私のイメージでは, 平城京はもっと長い期間, 都だったと思ってたんですが,  意外と短い74年間でした。

国営平城宮跡歴史公園ホームページ

なぜ平城京から長岡京へ

大まかな理由が, 2つあると考えられています。

自らの系統を続けたい

ひとつは, 自分と同じ血筋の天皇を続けたい。

平城京で新しく即位した桓武 ( かんむ ) 天皇は, 自分の父親 ( 光仁天皇 ) の系統 ( 天智天皇の系統 ) を新しい都で続けていこうと考えたということ。

実は, 平城京へ移ってからは, 別の系統 ( 天武天皇の系統 ) が長く続いていました。 別の系統の天皇が治めていた都を離れたいと考えたかもしれません。

しがらみを断ちたい

もう一つには, 奈良の仏教勢力との決別。

平城京では災害や戦乱が度々起こったことで, 時の聖武 ( しょうむ ) 天皇は, ( 天武天皇系 : 桓武天皇とは別の系統 ) 仏教の教えも借りて, 世を治めていこうとしました。

ただ, 仏教勢力は自分たちの力を貸すだけではなく, 次第に政治にも口を出すようになってきたため, それらと縁を切るためにも, 桓武天皇は遷都が必要と考えたよう。

そして, 784年に京都市の南西にある長岡京へ都が移されました。

なぜ長岡京から平安京へ

自らの系統を続けたい ! 仏教勢力と決別したい !

じゃあ, そうまでして強い気持ちで平城京から長岡京へ移ったのに, 約10年で平安京へ再び遷都。 なんで ? 

大内裏復元図 / 京都 ブログガイド

祟りを恐れた ? !

桓武天皇は, 長岡京の造営責任者に「 藤原種継 」という人物を選びました。 しかし, 種継は遷都に反対する何者かによって暗殺されてしまいます。

犯人の黒幕として疑われたのが, 長岡京遷都を反対していた勢力に利用されたかもしれない弟の早良 ( さわら ) 親王。

桓武天皇は, 早良親王を幽閉し, 淡路島へ左遷するよう命じます。 早良親王は, 飲食を絶って無実を訴えましたが, 淡路島へ送られる途中で自分の無実をわかってもらえないまま, 非業の死を遂げてしまいます。

すると, 早良親王が亡くなった後で, 桓武天皇の周りで, たくさんの不幸が続くことに。 人々は口々に, 無実を訴え亡くなった ” 早良親王の祟り ” だと恐れるようになりました。

祟りだけを恐れて, 移ったばかりの長岡京から遷都をしたのかは疑問だけど, 昔の人は現代人の想像も及ばないくらい迷信等を信じていたようなので, 遷都の理由のうちの一つだったかも。

洪水に嫌気 ? !

もう一つの理由は, 洪水です。

現在の長岡京市辺りをみてもわかるけど, 桂川 ・ 宇治川 ・ 木津川の三河川が合流して淀川になっている辺りに位置しています。 昔は今の地図と流れもそれぞれ違っていたかもしれません。飲み水には困らないけど, 雨が続くと水が溢れます。 実際に, 2度の洪水に見舞われたそう。

そのため, 都の造営も順調に進まず, 桓武天皇は再び遷都を考えたともいわれています。

和気清麻呂

祟りへの恐れや洪水で都造りも順調に進まないことに頭を悩ませていた桓武天皇。

ここで登場してくるのが、 和気清麻呂 ( わけのきよまろ )という人物。

” 早良親王の祟り ” と ” 洪水 ” に悩まされていた桓武天皇に, 和気清麻呂は, 葛野 ( かどの ) の地 ( 現在の京都 ) への遷都を進言します。

肥沃で, 交通の便も良い葛野を, 桓武天皇も気に入り, 延暦13年 ( 794 ) , ついに, 「 平安京 遷都 」 が実現します。

四神相応 ( しじんそうおう )

平安京 大極殿 / 京都 ブログガイド

京都の地が選ばれたのには, 中国から伝わった ※ 風水の「 四神相応 」という考え方もあります。

※物の位置で気の流れを制御する思想で, 東西南北に神が存在すると, 繁栄するという考え方。

北は玄武 ( げんぶ ) , 東は青竜 ( せいりゅう ) , 南は朱雀 ( すざく ) , 西は白虎 ( びゃっこ ) 。

京都は, この考え方で行くと地理的にぴったりの場所でした。 北に船岡山, 南に ※ 巨椋池, 東に鴨川, 西に山陰道。 ※現在はありません。

結果, 1000年以上, 京都に都が置かれました。

ただし, 長岡京も 「 四神相応 」 で選ばれた土地だったでしょうに, 結局うまくいきませんでした。 やはり, 祟られたのかも。

関連情報

平安京 弘徽殿(こきでん)跡 / 京都 ブログガイド

平安京へ遷都された当時は, 千本丸太町辺りが政治の中心。 この辺りを歩くと, そこらじゅうに平安京の史跡が点在しています。

平安京 今は住宅街にひっそりと佇む平安宮跡





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