「 崇道神社 (すどうじんじゃ) 」
ちょうど高野川が東へ流れを変える辺り。
大原へと向かう国道367号線 (敦賀街道)を進むと、目指す崇道神社の長い参道が近づいてきます。
車の往来が激しい国道から参道へと足を踏み入れると、周りの木々から発せられる心地よいマイナスイオンと鳥のさえずり。
参道を進むにつれて厳かな雰囲気が満ちてきます。
崇道神社について
長い参道の先にに見えてくるのは、山の木々に抱かれて, ひっそりと佇む崇道神社の本殿。
崇道神社のハッキリとした創建についてはわからないけど、平安京遷都後にできたと考えられています。
崇道神社の祭神は平安京へ遷都した桓武天皇 (かんむてんのう) の弟 早良親王 (さわらしんのう) 。
桓武天皇は平安京の前の都 長岡京 (京都府長岡京市) で、この弟の祟りに悩まされることになります。
また、早良親王の祟りがなければ、京都へ都が移って来なかったかもしれません。
小野毛人 (みし)
天武年間の官僚だった小野毛人は最初の遣隋使 小野妹子 (いもこ) の子供で、天武六年 (677) に没したとされています。
慶長十八年 (1613) 、崇道神社の境内の上高野一体を見渡す山腹の墓から鋳銅製の墓誌 (ぼし:お墓の横に建てられる石碑)が発見され、この墓が小野毛人を埋葬したことが明らかになりました。
裏側に「小野毛人朝臣(あそん) 之墓」と刻まれています。
大正3年 (1914) 墓誌は国宝に指定され、現在、京都国立博物館に保管されています。
私は行かなかったけど、境内から140m登ったところに小野毛人(みし) のお墓があるよう。
大正3年 (1914) に調査された墓は石板で造られ、長さは約2.5m、幅及び高さは約1m。
この墓は京都市内に残る奈良時代前期の数少ない貴重な遺跡のため、昭和59年6月1日に京都市指定史跡に指定されました。
境内には「小野神社」もあります。
崇道神社 アクセス
叡山電車「三宅八幡駅(みやけはちまんえき)」から崇道神社の一の鳥居まで徒歩約8分
京都バス「上橋(かんばし)」バス停下車徒歩約2分
崇道神社 まとめ
本殿・参道も木々に囲まれ、聞こえるのは鳥の鳴き声と風の音だけ。
一歩進むごとに厳かな空気が満ちてきます。
実際、桓武天皇が早良親王(さわらしんのう)の祟りを恐れて、移ったばかりの長岡京から平安京へ遷都をしたのかは疑問だけど、昔の人は現代人の想像も及ばないくらい迷信等を信じていたようだから、遷都の理由のうちの一つだったのかも。
そして、早良親王を祀る神社を創ったということは、やはり強く祟りを意識はしていたのでしょう。
平安京の鬼門である北東の方角に崇道神社を創建して、早良親王の”祟り”を鎮め「崇める」ことに変えることで、都を守護してもらおうと考えたのかもしれません。
北野天満宮の菅原道真と似ていますね。
所在地:京都市 左京区 上高野 西明寺山
電話:075-722-1486
※ 参拝時間・受付時間等は変更されることがありますので、神社にご確認ください。万が一、間違っていたとしても責任は負いかねます。予めご了承ください。
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