「 祇王寺 」
奥嵯峨野にある苔庭が美しいこじんまりとしたお寺が「祇王寺」。
敷き紅葉も美しいことでも知られています。
そして, 平家物語にも出てくる寺名にまつわる優しくも悲しい物語を知ることに。
そんな祇王寺を晩秋に訪ねてみました。
祇王寺 苔庭

訪ねたときは落ち葉で覆われ、美しい敷き紅葉の光景が。
細長く背丈の高いカエデの葉っぱの間から、優しく差し込む木漏れ日が苔の大地を育みます。
陰過ぎてもダメ、日向過ぎても日焼けしてしまう、日向 (ひなた) と日陰の絶妙なバランスの上に成り立っています。
人間が管理しているものだけど、できる限りの自然に近い状態が感じられる庭。
背丈の高いカエデが多く、青空と紅葉と竹林の美しいコラボ写真を撮影できるのも魅力。
祇王寺について

法然の弟子・念仏房 良鎮が創建したと伝えられ、始め往生院というお寺の境内にありました。
その後、往生院が衰退し、明治になって祇王寺は廃寺となってしまうことに。
その時、本尊などの寺宝は大覚寺によって保管されました。
時は流れて明治28年、当時の京都府知事 北垣国道や大覚寺の支援を受けて、祇王寺は復興することとに。
北垣知事は祇王の話を後世に伝えたいという強い思いがあったそうで、自らの別荘の建物を祇王寺に寄贈し、嵯峨野の地に復興しました。
祇王寺 優しくも悲しい物語

白拍子 (しらびょうし) 。 平安時代末期に始まった和歌を吟いながら舞う男装をした女性。
当時の白拍子トップスターが「祇王」という女性。
時の権力者 平清盛はこの祇王を寵愛し、自分の邸宅に住まわせました。
そこに現れたのが、わずか16才で白拍子としての才能を認められた「仏御前 (ほとけごぜん)」。
仏御前は平清盛に認められたい一心で、彼の邸宅を訪れたのでした。
でも、当然のごとく彼女のことなど全く知らない清盛は会うことを断ります。
しかし、同じ白拍子として可愛そうに思った祇王の執りなしで面会できることに。
ところが皮肉なことに, 仏御前と会った清盛の寵愛が次第に祇王から離れて仏御前へと移っていってしまったのです。
やがて祇王は清盛の元を去ることとなってしまいました。
祇王は清盛の屋敷を離れる時の気持ちを歌にしています。
萌え出 ( いづ ) るも 枯るるもおなじ 野辺の草 いづれか秋に あはではつべき
能力や力があっても、いつかは衰えてしまう。秋になれば枯れてしまう野原の草のように。
その後、祇王は妹の祇女 (ぎにょ)・母の刀自 (とじ) と共に出家し、嵯峨野にあった往生院というお寺の庵へ。
後に祇王寺と呼ばれるようになりました。

ある時、寺で暮らしている祇王たちの元へある人物が訪ねてきます。
なんと、それは祇王から清盛の寵愛を奪ってしまった仏御前。
祇王が清盛の屋敷を去るときに思ったように、仏御前もやがては白拍子としての魅力も衰えていってしまうことを悟り、清盛の屋敷を出てきたということでした。
祇王は清盛の屋敷の時と同じように仏御前を暖かく迎えました。
祇王・祇女 (ぎにょ)・母の刀自 (とじ) 、そして仏御前の4人はその後嵯峨野のこの地で静かに生涯を終えました。
祇王や仏御前が悟ったように、どんなに力のあるものも、やがては衰えていく「栄枯盛衰」の世の中。
清盛の平家もやがて源氏に滅ぼされてしまいます。
平家物語にも書かれている祇王や仏御前のエピソードは物語冒頭の祇園精舎の鐘のように諸行無常 (しょぎょうむじょう) の響きがあります。
祇王寺 アクセス
・嵐電 「嵐山駅」から徒歩約25分
・JR 「嵯峨嵐山駅」から徒歩約30分
・阪急「嵐山駅」から徒歩約33分
近くの観光スポット
祇王寺 まとめ
嵯峨野の片隅で控えめで慎ましやかな雰囲気が漂っています。
紅葉の見頃は過ぎてしまっていたけど、このお寺はむしろ敷き紅葉のほうが美しい。
境内の中央にある庭をぐるっと回り、様々な角度から敷き詰められた落葉が織り成す情景を楽しむことができます。
所在地:京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
電話:075-861-3574 祇王寺ホームページ
拝観時間:9:00 ~ 16:30 (最終受付)
拝観料金:大人300円 ・ 小人(小中高)100円
※ 拝観時間・拝観料等は変更されることがありますので、寺院にご確認ください。万が一、間違っていたとしても責任は負いかねます。予めご了承ください。
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