紫式部&小野篁 墓
「 紫式部 & 小野篁 墓 」
堀川通 ( 南北の通り ) を北へ。 今出川通 ( 東西の通り ) , 紫明通を過ぎて, 西側の歩道を通っていると北大路通 ( 東西の通り ) の少し手前に, ひっそりと入口が設けられています。
かろうじて, ” 紫式部墓所 ” という石碑があるので, その存在を確認。 ” 小野篁 ( おののたかむら ) 卿墓 ” の石碑だけだったら, 周りの雰囲気に溶け込んでいるので, 本当に気付かず見落としてしまいそう。
紫式部

紫式部 ( むらさきしきぶ ) は, 主に光源氏を主人公とした「 源氏物語 」の作者で, わざわざ説明するほどでもなく, ほとんどの人が知っていますよね (^^)
廬山寺 ( 紫式部邸宅跡 )

現在の廬山寺のあるところは御所から近く, 紫式部の曽祖父の中納言 藤原兼輔 ( ふじわらのかねすけ 877 ~ 933 ) から伯父の為頼, 父の為時へと伝えられた広い邸宅でした。
その邸宅は, 鴨川の西堤防に接していたため「 堤邸 」と呼ばれ, それに囚んで兼輔は, 「 堤中納言 」の名で知られていました。
紫式部は, 百年ほど前に兼輔が建てた邸宅で一生の大部分を過ごしたといわれ, この邸宅で, 藤原宣孝との結婚生活を送り, 一人娘の賢子 ( かたこ ) を育て, 源氏物語を執筆しました。
廬山寺 源氏庭

白砂と苔の庭で, 6~9月末までは紫の桔梗が静かに咲いています。
小野篁 ( おののたかむら )

日当たりが悪いのか, 全てが緑に覆われていません。
小野篁 ( 802 ~ 852 ) は, 嵯峨天皇に仕えた平安初期の政治家で, 文人 ・ 歌人としても知られています。「 参議 」という高級官僚まで出世し, 乗馬 ・ 弓術 ・ 剣術などの武芸にも優れ, 文武両道の人物でした。
実は, この小野篁は, 昼間は朝廷に出仕し, 夜は ” 閻魔大王 ” に仕えていたという伝説があり,「 今昔物語 」などにも語られています。
六道珍皇寺 本堂の裏にある井戸は, 昼間は嵯峨天皇, 夜は閻魔大王に仕えた小野篁が冥土へ通った入口であったと伝えられています。

右上の額の写真が, その井戸。
のぞき窓から, 井戸が眺められます。

ところで, なんで紫式部と小野篁が同じ場所に ?

社団法人紫式部顕彰会によって整備されています。
紫式部は, ほとんどの人が知っているだろうけど, 小野篁はそうでもないかも。 なぜ二人が一緒の場所に並んでお墓があるのか。
以前は, 雲林院というお寺が建っていたようなので, たまたま2人のお墓があったのか。 実は本当のところはわかりません。
ただ, これは本当なんかなー?という話もあります。
平安時代に紫式部は, 当時としては結構ドロドロした恋愛物語を書いたわけだけど, その事で風紀を乱し, 人々を惑わせたということで, 「 死後に紫式部は ” 地獄 ” へ落ちた ! 」 と考えられていました。
ところが, 源氏物語が面白くて, 紫式部が大好きという人もたくさんいたことも事実。 その人たちが, 「 紫式部を地獄から助けだしたい ! 」とすがったのが, 夜に閻魔大王のお手伝いをしていた「小野篁」。
小野篁から閻魔様にお願いをしてもらい, 紫式部を地獄から救いだして欲しい ! ! との思いから, お墓を隣同士にしたのだそう。
このエピソードを, 信じるか信じないかは, あなた次第です (笑)
紫式部の墓と伝えられるものが京都市北区紫野西御所田町 ( 堀川北大路下ル西側 ) に残されており, 小野篁の墓とされるものに隣接して建てられている。 この場所は淳和天皇の離宮があり, 紫式部が晩年に住んだと言われ, 後に大徳寺の別坊となった雲林院百毫院の南にあたる。 この地に紫式部の墓が存在するという伝承は, 古くは14世紀中頃の『源氏物語』注釈書『河海抄』 ( 四辻善成 ) に, 「式部墓所在雲林院白毫院南 小野篁墓の西なり」と明記されており, 15世紀後半の注釈書『花鳥余情』 ( 一条兼良 ) , 江戸時代の書物『扶桑京華志』や『山城名跡巡行志』『山州名跡志』にも記されている。 Wikkipedia
紫式部 & 小野篁 墓 アクセス
「 北大路堀川 」バス停から徒歩約2分。 堀川通北大路下ル西側にあります。
ちょっと, 寄り道。
水火天満宮 ( すいかてんまんぐう )

堀川通りに面しています。 雰囲気のいい小川通からも徒歩約3分。
神社の伝えるところによると, 日本で初めて「 天満宮 」を称した神社。 菅原道真を祀っているので, 合格祈願や学業成就にもご利益あり。
桜の時期には, 境内に, どっしりと垂れ桜が存在感を誇っています。 その華やかなピンク色の花びらが参拝客を魅了しています。
水火天満宮 ( 紫式部 & 小野篁 墓から徒歩約4分 )
本法寺

小川通に面していて, 裏千家の「 今日庵 ( こんにちあん ) 」 の前にあります。 本阿弥家の菩提寺で, 一門のお墓があるだけではなく, 本阿弥光悦の書画 ・ 什器 ( 日常生活用の器具 ) も多数所蔵しています。
桜の時期には, 派手さはないけど, 心に残る風景を見ることができます。
本法寺 ( 紫式部 & 小野篁 墓から徒歩約6分 )
小川通

本法寺の前の小川通には, 表千家の不審菴, 裏千家の今日庵が並んであります。
そのためと思うけど, この辺りだけ雰囲気が違います。

石畳で道が整備され, 町並みと共に, 京都らしい雰囲気を醸し出しています。人混みが嫌だという人には, ここはオススメ ! ! ! ! 観光客が少なく, ゆったり静かに, 京都に浸れます。
小川通 ( 紫式部 & 小野篁 墓から徒歩約5分 )
紫式部 & 小野篁 墓 まとめ

何気なく歩いていると, 気付かずに通りすぎてしまいそうなほど, ひっそりと佇んでいます。 こうゆう歴史の一コマがたくさんあるのが京都の凄いところ。 1000年の歴史を改めて実感させられます。
紫式部のお墓が小野篁と同じところにあるのが, なぜなのか ? 本当のところはミステリーだけど, わからないだけに, 色んな想像が出来ますね (^^)
所在地 : 京都府 京都市 北区 紫野西御所田町 (堀川北大路下ル西側)
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