光縁寺 新選組ファンなら一度お参りへ。山南敬助や新選組隊士のお墓があるお寺
京都で新選組に所縁のあるお寺といえば、屯所にもなっていた壬生寺や金戒光明寺が有名だけど、新選組ファンなら是非一度お参りに行ってもらいたいのが「光縁寺」。
光縁寺は、阪急「大宮駅」2B出入口から徒歩約3分、市バス「四条大宮」バス停から徒歩約4分の綾小路通大宮西入ルにあります。
光縁寺と新選組の縁
「光縁寺」の門前近くに新選組の馬小屋があったから、毎日新選組の隊士たちが行きかっていました。
そして、山南敬助の家紋「丸に右離れ三つ葉立葵」と光縁寺の家紋が同じという縁で、当時の良誉 (りょうよ) 上人と昵懇の間柄となったそう。
この光縁寺の良誉上人は葬式を出すことができない困窮した人たちも分け隔てなく弔っていたため、光縁寺の門前には度々むしろに巻かれた亡骸が放置されていたそう。
山南敬助の紹介で、新選組で切腹した隊士も良誉上人に弔われるようになりました。
その中には、山南敬助その人も含まれることになってしまいました。
光縁寺 新選組隊士のお墓
山南敬助以外にも光縁寺にお墓のある新選組関係者は、藤堂平助・服部武雄・松原忠司他合わせて28名。
※参詣時間:9:00~17:00
玄関まで行くと住職さんがいるから、話しかけたら色々説明してくれます。
明治の頃、新選組の存在はまだ逆賊としての扱いであり弔っていることもはばかられる世だったそう。
前出の良誉上人が,分け隔てなく弔っていたため、新選組隊士のお墓も今日まで光縁寺で守り続けられてきたのでしょう。
新選組好きなら、一度はお参りしておきたいですね (^^)
光縁寺について
光縁寺は、浄土宗のお寺で知恩院の末寺。創建は慶長十八年 (1613) 頃。
本堂や山門は天明の大火で焼失し、本堂は文政二年 (1819) 、山門は弘化三年 (1846) に再建され、現在に至っています。
本堂には中央に本尊の阿弥陀如来を向かって右に観音菩薩、左に勢至 (せいし) 菩薩、その右脇に※2 善導 (ぜんどう) 大師、そして法然上人を祀っています。
山南敬助について
山南敬助は陸奥国仙台藩出身で、新選組の副長、その後総長を務めます。
江戸にあった天然理心流道場の試衛館で道場主の近藤勇と試合をし、敗れてしまいますが、その時の近藤勇の強さと人柄に惚れて、その後は試衛館の食客のような立場になります。
山南敬助 京都へ
京都で将軍上洛時の警護と※尊王攘夷のために、幕府が浪士組を募集すると試衛館の近藤や土方歳三らと共に参加し、上洛しました。
浪士組が京都から江戸へ帰ると決まっても、近藤一派と共に京都へ残り、その京都残留浪士組が後の新選組となります。
会津藩預かり新選組
新選組が幕府方の会津藩の援助を受けて活動するようになると、尊皇攘夷のために結成された組織であるにもかかわらず、尊皇攘夷であっても幕府に敵対する浪士は取り締まるようになっていきました。
池田屋事件は有名。
本来の尊皇攘夷の活動趣旨から離れてきていることに疑問を持つ山南敬助。
一方、新選組の組織としての存続を最優先とする土方歳三との間で、次第に考えの違いが浮かび上がってきたのかもしれません。
山南敬助は新選組の組織再編の際、新設された「総長」という役職になるけど、これは”名ばかり役職” 。
実際には何の権限もありませんでした。
これを契機に、山南敬助は新選組での居場所をなくしていったと考えられます。
山南敬助、切腹。
元治2年 (1865年) 2月、山南敬助は「江戸へ行く」と書き残し、新選組を去ります。
驚いた近藤勇は、追手として沖田総司を差し向け、滋賀県の大津辺りで追いついた沖田と共に山南敬助は新選組へ帰ってきました。
そして、元治2年 (865年) 2月23日山南敬介は切腹しました。
なぜ、山南敬助は脱走した?
脱走理由には諸説あります。諸説すべてが絡み合ったからかもしれません。
・土方歳三との考えの相違によって、新選組の実権を握る土方が山南敬助を閑職へ追いやったことに起因
・西本願寺移転に失望したことに起因
新選組は隊士が増えてきたために、広い屯所 (駐屯地) が必要になり、西本願寺を候補としました。
山南敬助は移転に強く反対しましたが、近藤勇や土方歳三は山南の意見を退けました。
その当時、西本願寺は※勤王で、長州藩との繋がりがとても強かったことから、幕府方に敵対する長州藩を見張る意味でも一石二鳥と、近藤と土方は考えたようです。
勤王の思いが強い山南はかなり失望したのかもしれません。
光縁寺 アクセス
光縁寺は綾小路通大宮西入ルにあります。
・嵐電「四条大宮駅」改札口 (青マーク) 、阪急「大宮駅」2B出入口 (緑マーク) から徒歩約3分。
・市バス「四条大宮」バス停 (赤マーク) から徒歩約4分
詳しいアクセスを見る
阪急「大宮駅」へ
JR京都駅から
JR京都駅下車後、地下鉄 「京都駅」から [国際会館 行き] に乗車。 「四条駅」下車後、阪急線に乗換
⇒ 阪急京都線「烏丸駅」から [大阪梅田 行き] に乗車、1つ目の駅が「大宮駅」
⇒ 2B出入口 ( 緑マーク ) から徒歩約3分
四条河原町から
阪急京都線「京都河原町駅」から [大阪梅田 行き] に乗車、2つ目の駅が「大宮駅」
⇒ 2B出入口 ( 緑マーク ) から徒歩約3分
市バス「四条大宮」バス停へ
京都駅前バスターミナル ( JR中央口前 ) から
JR京都駅の中央口 ( 京都タワー側 ) の前にあるのが, 京都駅前バスターミナル ( pdf )。
A3乗場 | 6号系統 佛教大学・玄琢行き 行き 206号系統 大徳寺・北大路バスターミナル 行き |
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下車 | 「四条大宮」バス停 ( 赤マーク ) 下車, 徒歩約3分で「光縁寺」 |
※ 京都市バスの掲載内容は経年と共に変更される可能性もありますので、京都市バス時刻表でご確認ください。万が一、間違っていたとしても責任は負いかねます。予めご了承ください。
光縁寺 まとめ
山南敬助は心優しく、温厚な性格だったそう。
新選組幹部が宿所とした八木家の子どもだった八木為三郎によれば「丈はあまり高くなく、色白の愛嬌のある顔」で、「子どもが好きで、どこで逢ってもきっと何か声をかけた。」
『 八木為三郎老人壬生話 』
光縁寺の近くには、壬生寺もあるから、新選組好きなら一緒にお参りしては。
所在地:京都市下京区四条大宮町大宮通綾小路西入四条大宮町 37
電話:075-811-0883
拝観時間:9:00 ~ 17:00
供養料:一人 100円
※ 拝観時間・拝観料等は変更されることがありますので、寺院にご確認ください。万が一、間違っていたとしても責任は負いかねます。予めご了承ください。
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