「 立本寺 ( りゅうほんじ ) 」は、
七本松通中立売下ル、
北野商店街のすぐ近くにあります。
裏の墓地には
関ヶ原の戦いで奮戦した
「 島 左近 」のお墓があります。
桜で地元の憩いの場
立本寺は、隠れた桜の名所です。
境内にはそこかしこに桜があり、
地元の人の憩いの場になっています。
おじいちゃん・おばあちゃんが
日向ぼっこがてらに花見をしています。
一昨年までは、
幼稚園が横にあって
子供の賑やかな声がしていましたが
今は、老人ホームが建っています。
境内へと続く参道。
満開の桜のトンネル状態です!!
頭を下げて通りながら
境内へと向かいます。
境内のあちこちに
ソメイヨシノが咲いていて
華やかの一言です。
本堂前の枝垂れ桜は、
早咲きなので見頃が過ぎていますが
これが咲いていたら華やぐでしょうね。
立本寺は、
少し雑然とソメイヨシノが
植えられていますが
そうゆうことも、
満開の桜が
脳裏から取り払ってくれます。
地元民だけで、
観光客はほとんどいないので、
オススメの桜スポットです。
立本寺について
立本寺は、
日蓮宗の本山で、具足山といいます。
創建についてははっきりしませんが、
宝永五年(1708)に
火事で本堂などを焼失した後に
今出川寺町から
現在地へ移転してきました。
島 左近
島 左近は、関ヶ原の戦いで、
大奮戦した武将です。
本名は、
清興( しま きよおき )とも
勝猛( かつたけ )とも
言われていますが、
通称の ” 左近 ” が一般的です。
「 三成に過ぎたるものが二つあり、
島の左近と佐和山の城 」
と言われるほど、
高名な武将でした。
関ヶ原の戦いでは、
小早川秀秋の東軍への寝返りにより、
西軍が不利になる中、 大奮戦し、
最後は、
黒田長政軍及び田中吉政軍に突撃し、
銃撃により討ち死したと
伝えられています。
島 左近の勇猛さ ・ 恐ろしさは
尋常ではなかったらしく、
特に左近を討ち取った
黒田長政軍の兵士たちは、
関ヶ原から数年が過ぎても
戦場での悪夢にうなされたそうです。
ただし、 黒田長政軍が、
島左近を打ち取った
といわれていますが、
実際には、左近の遺体は、
見つかっていません。
それどころか、
関ヶ原の合戦後に、
京都で左近を目撃したという者が
数多くいたそうです。
一説には、
島左近は関ヶ原の合戦後、
落ち延びて立本寺の僧として、
32年後に死去したとも
いわれています。
位牌や過去帳も塔頭に残され、
寛永9年6月26日没などと
記されているそうです。
初めて立本寺を知ったのは、
北野天満宮 から帰る途中に
立本寺の前を通ったことからでした。
境内に入ってみると
桜の木がたくさんあったので
春には綺麗になるだろうと思い
チェックしていました。
桜の時期に訪れてみると
やはり、”綺麗”の一言でした。
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所在地 : 京都府 京都市上京区 七本松通 仁和寺街道上ル 一番町107
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