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立本寺 2018 桜で地元の憩いの場

立本寺 / 京都ブログガイド

「 立本寺 ( りゅうほんじ ) 」は、

七本松通中立売下ル、

北野商店街のすぐ近くにあります。

裏の墓地には

関ヶ原の戦いで奮戦した

島 左近 」のお墓があります。

目次

桜で地元の憩いの場

立本寺は、隠れた桜の名所です。

境内にはそこかしこに桜があり、

地元の人の憩いの場になっています。

おじいちゃん・おばあちゃんが

日向ぼっこがてらに花見をしています。

一昨年までは、

幼稚園が横にあって

子供の賑やかな声がしていましたが

今は、老人ホームが建っています。

立本寺 / 京都ブログガイド

境内へと続く参道。

満開の桜のトンネル状態です!!

頭を下げて通りながら

境内へと向かいます。

立本寺 / 京都ブログガイド

境内のあちこちに

ソメイヨシノが咲いていて

華やかの一言です。

本堂前の枝垂れ桜は、

早咲きなので見頃が過ぎていますが

これが咲いていたら華やぐでしょうね。

立本寺5 / 京都ブログガイド

立本寺は、

少し雑然とソメイヨシノが

植えられていますが

そうゆうことも、

満開の桜が

脳裏から取り払ってくれます。

地元民だけで、

観光客はほとんどいないので、

オススメの桜スポットです。

立本寺について

立本寺4 / 京都ブログガイド

立本寺は、

日蓮宗の本山で、具足山といいます。

創建についてははっきりしませんが、

宝永五年(1708)に

火事で本堂などを焼失した後に

今出川寺町から

現在地へ移転してきました。

島 左近

島 左近は、関ヶ原の戦いで、

大奮戦した武将です。

本名は、

清興( しま きよおき )とも

勝猛( かつたけ )とも

言われていますが、

通称の ” 左近 ” が一般的です。

「 三成に過ぎたるものが二つあり、

島の左近と佐和山の城 」

と言われるほど、

高名な武将でした。

関ヶ原の戦いでは、

小早川秀秋の東軍への寝返りにより、

西軍が不利になる中、 大奮戦し、

最後は、

黒田長政軍及び田中吉政軍に突撃し、

銃撃により討ち死したと

伝えられています。

島 左近の勇猛さ ・ 恐ろしさは

尋常ではなかったらしく、

特に左近を討ち取った

黒田長政軍の兵士たちは、

関ヶ原から数年が過ぎても

戦場での悪夢にうなされたそうです。

ただし、 黒田長政軍が、

島左近を打ち取った

といわれていますが、

実際には、左近の遺体は、

見つかっていません。

それどころか、

関ヶ原の合戦後に、

京都で左近を目撃したという者が

数多くいたそうです。

一説には、

島左近は関ヶ原の合戦後、

落ち延びて立本寺の僧として、

32年後に死去したとも

いわれています。

位牌や過去帳も塔頭に残され、

寛永9年6月26日没などと

記されているそうです。

立本寺6 / 京都ブログガイド

初めて立本寺を知ったのは、

北野天満宮 から帰る途中に

立本寺の前を通ったことからでした。

境内に入ってみると

桜の木がたくさんあったので

春には綺麗になるだろうと思い

チェックしていました。

桜の時期に訪れてみると

やはり、”綺麗”の一言でした。

京都 神社仏閣 関連リンク

所在地 : 京都府 京都市上京区 七本松通 仁和寺街道上ル 一番町107

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