賀茂祭(葵祭)は、
賀茂別雷(かもわけいかづち)神社
(上賀茂神社)と
賀茂御祖(かもみおや)神社
(下鴨神社)の例祭です。
賀茂祭(葵祭)行列巡航
午前10:30
京都御所から始まった行列は、
堺町御門から丸太町通を東へ進み、
河原町通を北へ。
河原町今出川を超えて、
出町橋を渡り、
賀茂御祖神社(下鴨神社)へ
入ります。
行列は、一休みして、
午後14:20に
賀茂御祖神社(下鴨神社)を出発し、
下鴨本通を北へ、北大路通、
鴨街道を通り、御薗橋を渡って、
賀茂別雷神社(上賀茂神社)へ
入ります。
賀茂祭(葵祭)行列
祭の参加者は
葵を身につけることから
葵祭と呼ばれるようになりました。
警察の「平安騎馬隊」です。
やっぱり馬に跨る姿勢が違います。
阪神ファンしかなれない
お役目かも?!
このまま甲子園へ行っても
全く違和感なし!!
この一頭だけ
飾が華やかでした。
天皇の勅使役が騎乗しています。
個の飾を持つのは重そうですね。
独特の音が響き渡ります。
斎王代
斎王代とは、斎王の代理。
斎王とは
賀茂神社に奉仕した未婚の内親王
(親王宣下を受けた天皇の皇女)
または女王(親王宣下を受けていない
天皇の皇女、あるいは親王の王女)。
Wikipediaより
2018年5月15日は、京都では
最高気温が30度を超えました。
斎王代行列の女の子たちも
水分を取りつつ行進します。
観覧スポット
有料観覧席もありますが、
道路沿いでもよく見えます。
ただ、
道路が全面規制になるわけではなく
片側は車が通行していますので、
車が走っていない方から
見たほうが車に邪魔されません。
我が子に逢いたい母の願い
神話の世界で、、、、。
数千年前に、
天で雷が起こり赤い矢が放たれ,
その赤い矢が
賀茂川に落ちて流れてくるのを、
禊をしていた賀茂一族の姫
賀茂玉依比売命
(かもたまよりひめのみこと)が
見つけました。
その赤い矢を持ちかえり
飾っていると
赤い矢が持っている力によって、
寝ている間に懐妊し、
生まれてきた子供が、
上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神
(かもわけいかづちのおおかみ)です。
その後、
その子供はすくすくと育ち、
元服の席で、
「私の父は天にいる神だ!」と宣言し、
天に昇ってしまいました。
息子の賀茂別雷大神は
悲しみに暮れる母の枕元に現れ、
こう告げたそうです。
「もう一度私に逢いたければ、
葵と桂の葉を飾り、
鈴をかけた馬を走らせ
立派な祭りをしなさい。」
その言葉を起源とするのが
賀茂祭(葵祭)です。
今でも祭りの参加者は、
葵と桂の葉を飾っています。
そして、
葵祭の10日前に行われているのが、
「賀茂競馬」
鈴を付けた馬が
境内を疾走する勇壮な祭りです。
賀茂祭(葵祭)は、
神となった我が子に逢いたいという
母の願いから始まりました。
賀茂祭(葵祭)の歴史
実際に、賀茂祭(葵祭)が
行われるようになったのは、
約1400年前です。
凶作が続き、
飢饉や疫病が蔓延したために、
時の欽明天皇が命令を下し、
賀茂祭(葵祭)を始めました。
「源氏物語」にも
賀茂祭(葵祭)の記述が
みられるように、
盛大に執り行われていましたが
室町時代中期から次第に衰退し始め
応仁の乱 による都の荒廃のため、
それから約200年途絶えました。
その後、
戦争等で中止期間がありましたが
昭和二十八年(1953)に
賀茂祭(葵祭)の行列が復活し、
往時の華やかな雰囲気を
取り戻しつつ、
現在に至っています。
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