京都 坂本龍馬 ゆかりの地 史跡観光めぐり
「 京都 坂本龍馬 」
明治維新に向けて, 歴史の大転換点だったのが, 「 薩長同盟 」。
それまで, 犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩が手を結んだ歴史的な出来事です。
両藩を結び付けた最大の功労者は, 「 坂本龍馬 」といわれています。
幕末の京都で活躍した人物はたくさんいるけど, 倒幕側で一番に思い浮かぶのは坂本龍馬ではないでしょうか。
というわけで, 今回は京都の地域別に, 坂本龍馬ゆかりの地をめぐってみたいと思います。
京都 坂本龍馬 MAP
一番坂本龍馬の史跡が多いのが木屋町周辺。
この木屋町には坂本龍馬だけじゃなく幕末関係の史跡が数多くあります。
東山区にも多いですね。 少し離れるけれど伏見区にも坂本龍馬の史跡があります。
京都市上京区
薩長同盟所縁の地 ( 小松帯刀寓居跡 )
慶応二年 ( 1866 ) 年1月21日, 坂本龍馬や中岡慎太郎の仲介で, 薩摩藩と長州藩の同盟が実現。
両藩はそれまで, 藩の方針の違いから京都の政界で主導権争いを続けていました。
一時, 京都政界から追放された長州藩が措置不当を訴えるために軍を率いて上洛し, 御所の蛤御門で, 警備する薩摩藩などと武力衝突するなどしたために, ずっと犬猿の仲でした。
この歴史的同盟が結ばれた場所が, 薩摩藩家老 小松帯刀 ( こまつたてわき ) の京都の屋敷。
この屋敷は近衛家の別邸で, 通称 御花畑屋敷といわれていました。
小松帯刀は, あまり知られていないけど, 坂本龍馬の新政府の人事構想では西郷隆盛や大久保利通, 桂小五郎らを抑えて, 小松帯刀が筆頭に挙げられていました。 ( Wikipedia )
京都市中京区 木屋町通周辺
坂本龍馬寓居跡( 酢屋 )
「 酢屋 」は290年の伝統の材木商の老舗。
現在も営業しているのがすごいですね。
龍馬と酢屋の歴史を紹介している,「 ギャラリー 龍馬 」もあります。
坂本龍馬をはじめ, 多くの海援隊隊士が住み「 海援隊京都本部 」も置かれていました。
坂本龍馬 妻 おりょう独身時代寓居跡
楢崎 龍( ならさき りょう ), 坂本龍馬の妻として知られています。※ 寺田屋事件ではおりょうの機転により龍馬は幕府から逃れました。
碑の立っている雑居ビルの1Fに「龍馬」というスナックがあります。 着物姿のマスターとママがいます。
ちょっとディープだけど, 龍馬ファンの人は行ってみてはどうでしょう (^^)
土佐藩邸跡
土佐藩( 現在の高知県 )は, 坂本龍馬, 中岡慎太郎, 武市半平太など幕末に活躍した人物を輩出した藩。
繁華街のど真ん中にあります。
土佐稲荷神社
岬神社は江戸時代初期に土佐藩邸内に遷されることになり, お稲荷さんの愛称で知られる「 倉稲魂命 」を祀るため, 結果, 土佐稲荷と呼ばれるようになりました。
地元の人の信仰も厚く, 土佐藩邸内にお参りのための通路を造るほどでした。
坂本龍馬もお詣りしたかも。
祭神は,「倉稲魂命(うかまみたまのみこと)」,「石栄神( せきえいのかみ )」。
室町時代初期に鴨川の中州の岬( 突端 )に祠を建てたのが岬神社の由来とされています。
京都市中京区 木屋町通周辺以外
坂本竜馬 ・ 中岡慎太郎遭難の地 ( 近江屋跡 )
河原町通蛸薬師下ル西側に坂本竜馬 ・ 中岡慎太郎遭難の地 ( 近江屋跡 ) があります。
慶応三年( 1867 )に, 海援隊隊長の坂本龍馬と, 陸援隊隊長の中岡慎太郎が, ここにあった近江屋で暗殺されました。
坂本龍馬は, 海援隊の本部があった前出の「 酢屋( 坂本竜馬寓居跡 ) 」に下宿していましたが, 薩長同盟の首謀者として幕府から狙われていたため, この近江屋へ移っていました。
十月十五日の夕刻に中岡慎太郎が訪ねてきて, 大政奉還後の政局を話していましたが, 夜, 刺客に襲撃されました。
武信稲荷神社
一時離ればなれになっていた坂本龍馬とおりょう。 再開する手掛かりとなった伝言が刻まれていたとされる榎がそびえるのが「武信稲荷神社」。
神社の南には, 江戸時代に幕府直轄の六角獄舎という牢獄があって, 幕末には多くの勤王の志士が投獄されていました。その中に坂本竜馬の妻 おりょうの父親も含まれていました。
龍馬とおりょうは, 何度かそこを訪れますが, 龍馬自身も追われる身であり, うかつに近づけないため, 榎に登って中の様子をうかがったといわれています。
おりょうは 龍馬の身を案じていましたが, ふとした思いで, 武信稲荷神社の榎を訪れてみると, 自分の所在を知らせるために龍馬独特の字で榎に「 龍 」の字が彫ってあったそう。
残念ながら, 龍馬が彫ったとされる「龍」の字は今は跡形もありません。
京都市東山区
霊名神社 ( れいめいじんじゃ )
京都市内を一望するところにあるのが, 「 霊明神社 」。
慶応三年11月17日 ( 1867年12月12日 ) の夜, 2日前に近江屋で襲撃を受け亡くなった坂本龍馬 ・ 中岡慎太郎 ・ 龍馬の家来 藤吉も霊明社で葬られました。
文化六年 ( 1809 ) 貴族の村上都愷 ( くにやす ) が創建した当時は, 徳川幕府の宗教政策により, 原則すべての国民が仏教徒とされていたにもかかわらず, 神道による葬式 ( 神葬祭 しんそうさい ) を開始しました。
幕末期, 三代目神主 村上丹波都平 ( くにひら ) のときに, 神道による葬式を進める長州の毛利家と縁ができ, 京都にいる志士の葬送・祭祀の地となってゆきました。
龍馬坂
清水寺へと続く二年坂。
その二年坂の始まりから約20m先を左へ曲がると, 東山へと伸びる坂道と階段が現れます。
この坂道は, 幕末に命を落とした志士たちを葬るために通った「 幕末志士葬送の道 」。
坂本龍馬らの亡骸もここを通ったであろうことから, 通称『 龍馬坂 』と呼ばれています。
この坂道が, 前述の霊明神社へと続いています。
京都霊山護国神社 ( 坂本龍馬 ・ 中岡慎太郎の墓 )
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓があるのが,「京都霊山護国神社 ( きょうとりょうぜんごこくじんじゃ )」。
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓だけではなく, 新選組がその名を挙げた 「 池田屋事件 」 で亡くなった肥後藩 『 宮部鼎蔵 ( ていぞう ) 』, そして久坂玄瑞, 高杉晋作他のお墓もあります。
京都霊山護国神社は幕末維新に殉じた志士と大東亜戦争にいたる京都府出身の約7万3千柱をお祀りしています。
初めは, 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓参りが目的だったけど, 幕末・維新や戦争で亡くなられた人達の数えきれないお墓や慰霊碑を見るにつけ, 先人への感謝と今の平和な世の中に生きていることへの感謝の気持ちが沸いてきた。
凄く意味のあるお詣りだった。
円山公園 坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像
坂本龍馬がこの場所でどうこうしたわけじゃないけど、銅像があります。
前述の京都霊山護国神社 ( きょうとりょうぜんごこくじんじゃ ) の坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓の前にある銅像も坂本龍馬が立っていて中岡慎太郎が座ってる。
これはなぜかというと, 2人の身長差。
龍馬は173cm, 慎太郎は150cm。 2人の身長差が20cm以上あったために, バランスを考えてのこと。
実は当時の男性の平均身長は150cm台。
中岡慎太郎が極端に小さいわけではなく, 龍馬がデカすぎたんです。
坂本龍馬おりょう結婚式場跡
以前は東山ユースホステルがあった場所。 今はマンションになっています。
この辺りは青蓮院の旧境内で, その塔頭金蔵寺 ( こんぞうじ ) 跡。
おりょうの亡くなった父が青蓮院に仕えていた医師という関係で, 金蔵寺住職が仲人となって, 龍馬とおりょうは, 内祝言 ( 内々の結婚式 ) を挙げました。
京都市伏見区
寺田屋
坂本龍馬は犬猿の仲だった薩摩と長州との間を取り持ち, 薩長同盟を結ばせました。
しかし, その薩長同盟の首謀者として幕府側に恨まれていた龍馬を捕まえるために, 慶応二年 ( 1866 ) 1月24日未明, 伏見奉行所が寺田屋を襲撃したのが, 世にいう「 寺田屋事件 」。
この時いち早く危険を察知した入浴中のおりょうが, 裸のまま2階へ駆けあがり, 龍馬と長州藩の三吉慎蔵 ( みよししんぞう ) に急を知らせたのは有名な話。
龍馬はピストルで応戦, 慎蔵は槍で戦い, 乱戦になりましたが, 龍馬が手首に深手を負ってしまったために, 寺田屋を脱出し, 逃走中に木材屋を見つけて身を隠すことになりました。
坂本竜馬 避難の木材小屋跡
前述の寺田屋事件で深手を負った坂本龍馬が身を隠したのが「木材小屋」。
長州藩の三吉慎蔵 ( みよししんぞう ) は, とりあえず龍馬を木材小屋に残して, 伏見の薩摩藩邸へ逃げ込み, その後, 薩摩藩の旗印を掲げた船を出して, 龍馬を無事救出しました。
龍馬の傷は思いのほか酷く, 1月29日まで伏見の薩摩藩邸に滞在し, 約1か月後に西郷隆盛らと共に薩摩藩の蒸気船で, お龍と一緒に傷の治療もかねて薩摩へと向かいました。
近くの観光スポット
伏見には坂本龍馬ゆかりの地以外にも幕末関係の史跡があります。
伏見は, 昔 “伏水” と呼ばれていたように, 湧き水が豊富な土地柄。 そこかしこに伏見の名水が湧き出ています ( 実際に飲めます ) 。
そして, その名水を利用した酒造りも非常に盛ん。 黄桜や月桂冠, キンシ正宗などの誰でも知っている酒蔵から小規模なものまでたくさんあります。
伏見観光の良いところは, 名水・酒蔵・幕末史跡が同じエリアにかたまってあるところ。 ギュウっと密度の濃い観光ができます。
京都 坂本龍馬 まとめ
司馬遼太郎の「 竜馬がゆく 」や小山ゆうの「 お~い!竜馬 」を読んで, 龍馬のような大きな志を持った男になりたい ! ! と誰しも思ってしまいます (^^)
私もその口 (笑)
坂本龍馬に限らず, 中岡慎太郎・西郷隆盛・※小松帯刀 ( こまつたてわき )・高杉晋作・久坂玄瑞 ( くさか げんずい ) のような時代を先頭で変えていく役目の人間の多くは, 残念ながら早死してしまう運命なのかもしれません。
もし龍馬が生きていたら, 世界を相手にして, どれだけドでかい事業をしていただろうかと想像するのは私だけではないでしょう。
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