「 萬福寺 」
京阪宇治線、JR奈良線「 黄檗駅 」から徒歩約3分。
境内は約四万一千坪あり、甲子園球場がすっぽり入ってもまだ余るくらい。
七堂伽藍は中国の明朝様式を取り入れて左右対称に配置され、老松と共に異国情緒が漂います。
萬福寺 案内
寛文元年( 1661 )中国福建省福州府の「黄檗山 萬福寺」の住職であった隠元禅師が日本へ渡ってきたのが承應三年( 1654 )
四代将軍 家綱から現在の地をもらい、寛文元年( 1661 )に、黄檗山 萬福寺を建立しました。
七堂伽藍は中国の明朝様式を取り入れて左右対称に配置。
主要伽藍二十三棟の建物は、明朝建築様式を誇り、その回廊などいたるところが文化財に指定されています。
萬福寺 七堂伽藍
総門
総門の ※扁額 第五代 髙泉が書いた「 第一義 」は、禅の本髄を如実に顕わしていて正統な禅の法脈が受け継がれていることを証しています。
※高いところの額
境内全域は、寺院の守護神である「 龍 」を表し、総門の左右には「 龍目井 」を配しています。
三門
三門をくぐったところに拝観料を払うところがあります。
高校生以上500円、中学生以下300円です。
天王殿 ( てんのうでん )
弥勒菩薩の化身であるとされる布袋尊が祀られ、 四天王、 韋駄天も祀られています。
布袋尊
布袋尊は七福神の中で唯一実在の人物といわれています。
※後梁時代の浙江省の契此( かいし )というお坊さんがモデルになったといわれています。
※五代の最初の王朝。 唐末の混乱期に朝廷を掌握した軍閥の首領朱全忠が、 907年に唐の昭宣帝より禅譲を受けて建国。
契此はいつも大きな袋を担いで国中を旅していたことからいつしか「 布袋 」と呼ばれるようになりました。 その布袋さんが各地を行脚して行く先々では、 たくさんの貧しい人々に出会います。
そのたびに彼は救いの手を差し伸べ袋の中から必要なものを与えました。
救われた人々からのお礼にと貰った物などは、 また袋の中に入れ再び行脚の旅に出たそうです。 これを繰り返していくうち、 その袋は、どんどん大きくなっていきました。
布袋さんの袋の中には、 人々の感謝と慈悲の心が詰まっているといわれています。
大雄寶殿 ( だうおうほうでん )
斎堂 ( さいどう )
食事をする所。
法堂 ( はっとう )
開山堂
開梆 ( かいぱん )
木魚の原型。
叩く音で法要や食事の時間を知らせます。
目を閉じることのない魚は不眠不休を象徴し、 口からは煩悩珠を吐き出しています。
雲版 ( うんぱん )
雲の形をした法具。 主にお堂への出頭を促す合図を送るための鳴物。
雲は雨を降らせることから恵みの象徴であると共に、 火事や災害を防ぐ意味もあります。
萬福寺 回廊
天王殿の北側から開山堂へと続く回廊。 重要文化財に指定されています。
萬福寺 まとめ
境内には、 中国のお坊さんも多数おられ、 日本にいながら異国の情緒を味わえます。
特に重要文化財の回廊を歩いていると、 ほんとに日本じゃない雰囲気が漂っています。
また、 萬福寺は天王殿に布袋尊を祀っているので、 京都の都七福神のひとつ。 七福神めぐりをするときに、 訪れる機会があるかもしれません。
京都 神社仏閣 関連リンク
所在地 | 京都府宇治市五ヶ庄 三番割34 |
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電話 | 0 7 7 4 ー 3 2 ー 3 9 0 0 萬福寺ホームページ |
拝観時間 | 9:00~17:00 ※入山受付は16:30まで |
※ 拝観時間 ・ 拝観料等は変更されることがありますので, 寺院にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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