

京都を旅行したとき知りたい京都 観光 ガイドや旅館・ホテル、
仕事で京都市を移動中に見つけた京都 旅行・観光におすすめな
お店や寺社仏閣等を紹介している京都 観光 ガイドのブログです。
京都市の旅行・観光以外の情報も
随時、紹介していきます。
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両足院 毘沙門堂
両足院は建仁寺の塔頭で、院内に毘沙門堂がある。
勝利の神として商売繁盛、合格祈願、良縁成就、誓願成就にご利益があるとされる。 黒田長政が毘沙門天像を兜の内側に収めて関が原の合戦に参戦し、 満足のいく結果を得たことから、その像は代々黒田家で信仰されていたが、 明治10年頃両足院に寄進された。 ![]() ![]() この毘沙門堂は寅が守護しているとされ、狛犬ではなく、狛寅。 来たれ、阪神ファン。 ![]() 円徳院 2009
高台寺が有名だが、個人的には円徳院の方が趣があり落ち着く。
![]() 入り口を入ったところにある庭。 ![]() 白砂とその美しい文様は、月の灯りを反射させて、建物の中をやさしく照らす効果もあるらしい。 ![]() 縁側の奥の畳に腰を下ろすと、柱と柱の間に収まるその眺めが落ち着きを呼び戻す。 ![]() ![]() あだしの念仏寺
境内に祀られた八千体ほどの石仏・石塔は長い歴史の中で
あだしの(化野)一帯に葬られた人々のお墓で、 何百年という歳月を経て、無縁仏と化した。 その後、明治中期に地元の人々が、山野に散乱していた石仏を集めて祀った。 地蔵盆の夕刻に行われる千灯供養は有名。 ![]() 化野の「あだし」とは、はかない、むなしいとの意で、「化」の字は「生」が化して「死」となり、 この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往生する願いなどを意図している ![]() ![]() ![]() ![]() 祇王寺 2009
現在の祇王寺は、昔の往生院の境内にあったが、いつの間にか荒廃して
ささやかな尼寺として残り、後に祗王寺と呼ばれるようになった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 土佐稲荷・岬神社
社伝によれば、貞和4年(1348)鴨川西寄りの中洲(なかしま)の岬に祠を建てて祀られたのが始まり
![]() 江戸時代になって、備前島町に建てられた土佐藩京屋敷内に遷座された折、倉稲魂命(くらいなたまのみこと)・石栄神(せきえいかみ)の二座を祭神としたため、通称土佐稲荷・岬神社と称された。 ![]() 土佐藩京屋敷内の人々はもとより、坂本龍馬等もこの神社を崇め、近隣周辺の人々からも手厚く尊崇されたので、町衆にも屋敷内の通り抜け参詣を許すなど異例の措置をとったという。 檀王法林寺
『だんのう』の名で親しまれている檀王法林寺は、もとは天台宗に属していたが、文永9年(1272)に浄土宗に改め、悟真寺と称したことに始まる。
![]() その後焼失、廃絶してしまったが、慶長16年(1611)に袋中上人が再興して現在の名称に改めた。 ![]() 街中にあることを忘れさせてくれる佇まい。 ![]() 熊野神社
社伝によると熊野神社は、弘仁二年(811)紀州熊野大神を勧請(移して祭ること)したのが始まりとされる。
![]() 平安末期、後白河法皇は度々熊野詣を行われ、同法皇が勧請した熊野若王子神社、新(いま)熊野神社とともに厚く尊信を寄せられた。 これら三つの神社は京都の熊野三山と呼ばれる。 ![]() 島原住吉神社
島原住吉神社は、もと島原中堂寺町の住吉屋太兵衛の自宅で祀っていた住吉大明神がたいそうご利益があり訪れる人があまりにも多いため、享保十七年(1732)祭神を島原の西北に遷座し建立された。
![]() 例祭とともに、太夫・芸妓等の仮装行列である「練りもの」が盛大に行われた。 ![]() 宗忠神社
黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る神社。
![]() 黒住宗忠は岡山県の生まれで、安永3年(1856年)朝廷から「宗忠大明神」の神号が与えられ、皇室や公家から篤い崇敬を受けた。 ![]() ![]() 光福寺
寺伝によれば、寛元年間に道空上人が西山安養谷(長岡京市)に建立した斉教院が起こり。
俗に「ほしな寺」と呼ばれている。 ![]() 天正十年(1582)に、月空宗心によって現在の場所に移された。 ![]() 文禄二年(1593)、豊臣秀吉が鷹狩の途中に立ち寄ったときに住職の宗心が乾菜(ほしな)を 献じたことにより、干菜山光福寺の称号を与えられたいわれている。 宗像神社
京都御苑の南西にひっそりと佇むのが宗像神社。
宗像大神は、古事記、日本書紀にも記す通り、九州筑前の宗像の地に鎮座給うた。 京都御所の宗像神社は、延暦14年(795)、後の太政大臣藤原冬嗣が桓武天皇の命によって、 皇居鎮護の神として祀られたのが始まり。 ![]() ![]() 醍醐寺 桜
京都市営地下鉄『醍醐駅』から徒歩で醍醐寺へ。
住宅地に咲いている桜が余りにきれいだったので。 ![]() 総門をくぐって西大門までの参道から見える枝垂桜。 こんなに降ってくるようなのは、初めて。 ![]() 金堂横の枝垂桜。 ![]() ![]() 弁天堂。秋は紅葉が美しそう。 ![]() 真言宗醍醐派の総本山。 醍醐寺は、弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝が、貞観16年(874)に創建した。 醍醐・朱雀・村上三代の天皇の深い帰依により、山上に薬師堂、五大堂。 山下に釈迦堂、法華三昧堂、五重塔などが建立された。 一般に、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼んでいる。 楊貴妃観音堂
唐の玄宗皇帝の妃、楊貴妃は絶世の美女として知られている。
![]() しかし、その美しさゆえに、玄宗皇帝の失政と安禄山の乱を呼び、756年命を落としてしまう。 玄宗皇帝は面影を偲ぶため、香水を使って妃の等身大の聖観音像を造ったと伝えられる。 建長7年(1255)に中国へ渡った湛海は、その像を持ち帰り、泉涌寺に安置したという。 ![]() 御寺泉涌寺 涅槃会(ねはんえ)
御寺泉涌寺で行われている涅槃会。
![]() ![]() ![]() ![]() お釈迦様がなくなられた旧暦の2月15日に行われる法要。 3/14〜3/16には、本堂に涅槃図(縦15.1m、幅7.3m重さ150kg)が掲げられている。 中央にお釈迦様が横たわり、周りに信者や動物たちが取り囲んでいる様が描かれている。 花が展示されている舎利殿。 ![]() ![]() 北野天満宮の不思議2
鳥居をくぐり、参道を少し進むと右手に変った灯篭がある。
2つの灯篭に『橋』が渡されている。 ![]() ![]() ![]() 近くにいた天満宮の人に聞いてみたが、知らないとのこと。 他の灯篭には橋などかけられてはいないので不思議だ。 北野天満宮の不思議
本殿手前にある三光門。
その三光門の右側に大黒様がおられます。 ![]() ![]() 大黒様のえくぼ(鼻ではない)に石をのせることが出来ればよいことが・・・。 その石を財布に入れておけば、お金持ちになれるらしい。 ![]() 去年もトライし、のせることが出来た石を財布に入れておいた。 結果、収入は・・・・、増えている。 今年で2個目なので、収入も2倍になるか? 北野天満宮
参道を進むにつれ甘い香が漂ってくる。
受験シーズンも終り、学生は少なく梅を楽しむ観光客の数が多い。 ![]() ![]() ![]() 甘い香が訪れた人をしあわせにする。 梅は、香を楽しむというが、桜のような見事な花振り。 ![]() ![]() ![]() 浄土院(湯たく山茶くれん寺)
天正十五年(1587)、豊臣秀吉が北野天満宮で行われる『北野大茶会』へ向かう途中、浄土院に立ち寄り、茶を所望した。
![]() 自分の未熟な茶を振舞うことを無礼に思った住職は、井戸に湧き出る銀水を白湯にして出した。 秀吉は、いくら頼んでも出されてくるのは白湯ばかりであったため不思議に思ったが、そのうち、住職の想いを悟り笑いながらこう言ったという。 「この寺では、お茶を頼んでいるのに、白湯ばかり出して、お茶をくれん。湯たく山茶くれん寺だ。」 ![]() 染殿院
808年、空海(弘法大師)により開山。
![]() ![]() ![]() 文徳天皇(850〜858在位)の皇后藤原明子が、子供に恵まれなかったため四条の地蔵菩薩に願をかけたところ、願いがかない御解任された。その子が後の清和天皇。 また、皇后明子は染殿皇后と呼ばれていたことから、染殿地蔵と呼ばれるようになり、安産祈願の寺として信仰を集めるようになる。 新京極商店街の入り口辺り、ビルの谷間にひっそり佇む。 染殿院の場所 ![]() 染殿院の南側から商店の中を通り、四条通へ抜けることが出来る。 ![]() 退耕庵
東福寺の塔頭で、本尊は千手観音。小野小町ゆかりの寺として知られる。
退耕庵の場所 ![]() 退耕庵は、東福寺第43世・性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建。 応仁の乱で荒廃したが、安国寺恵瓊によって再興される。 秀吉死後、石田三成、宇喜田秀家が家康討伐の謀議を行ったと云われている作夢軒(茶室)が有名で、 作夢軒に隣接している警護の侍が控えたという「伏侍(ふせざむらい)の間」や「忍び天井」も現存。 戊辰戦争時、東福寺に長州藩の陣があった関係で、退耕庵は鳥羽伏見の戦の戦死者の菩提寺となる。 ![]() 七福神めぐり 番外 愛染明王(新善光寺)
泉涌寺の塔頭で、七福神巡りのコースにもなる。
後嵯峨天皇が長野県の善光寺まで参詣するのは大変だろうと、善光寺の阿弥陀如来と同じ物を造らせて祀ったのが始まり。 ![]() ![]() ![]() 愛染明王は、「恋愛・縁結び・家庭円満」にご利益があり、 愛染を藍染と読み、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。 ![]() 七福神めぐり 第7番 寿老人(法音院)
泉涌寺の塔頭で、本尊は不空羂索観音。
駿州田中城主、本多家の京都における菩提寺。 ![]() ![]() ![]() 寿老人は、長寿延命、富貴繁栄の神様で、老子の化身とも言われ、長寿と自然との調和のシンボルである鹿を従えている姿が多い。 七福神めぐり 第6番 毘沙門天 悲田院
泉涌寺の塔頭。
本尊は阿弥陀如来で、七福神のひとつ毘沙門天を祀る。 宿坊として利用することもできる。 ![]() ![]() 毘沙門天は、インド神話の財宝神クベーラを前身とし、インドでは、戦闘的イメージは無。 インドから中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、武神・守護神とされるようになった。 上杉謙信が自身を毘沙門天の生まれ変わりと信じていたことは有名。 京都市内を一望することが出来るロケーションの発見によろこび。 ![]() ![]() 七福神めぐり 第4番 布袋尊(来迎院)
御寺泉涌寺の塔頭。
弘法大師の創建で大石内蔵助が檀家となったことで知られている。 大石内蔵助は勝軍地蔵菩薩を信仰していたとされ、茶会を催すとして、同士と密議を行ったと伝えられている。 ![]() ![]() 布袋尊は、子宝と度量の神さま。 中国唐末の浙江省に実在したとされる僧・布袋(ほてい)に由来し、雪の中に寝ても身体が濡れなかったと言う逸話が残る。 ![]() ![]() 七福神めぐり 第3番 恵比寿神(今熊野観音寺)
825年頃(平安時代)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創。
本尊は弘法大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を体内仏として自ら彫刻された十一面観世音菩薩。 後白河上皇が、深く信仰されて新那智山と号し、今熊野観音寺と呼ばれるようになる。 ![]() 七福神めぐり 第2番 弁財天(戒光寺)
身代わり丈六釈迦如来を本尊とし、御寺泉涌寺の塔頭で、
鎌倉の安貞2年(1228)、後堀河天皇の勅願所として創建されたのが始まり。 ![]() 11月3日文化の日に行われる泉山融通弁財天大祭は、 学問・芸術に限らず、色々な願いを叶えてくれるという大変ありがたい弁天様のお祭。 また、新撰組から脱退し、七条油小路で暗殺された伊東甲子太郎以下4名の墓がある。 現在、命日の11月18日以外は、立ち入り禁止 御寺 泉涌寺 七福神めぐり 第1番 福禄寿(即成院)
泉涌寺の塔頭で那須与一ゆかりの寺。
那須与一は、源平の「屋島の戦い」で、平家が立てた扇の的を射落とした武士。 ![]() 山号は光明山で本尊は阿弥陀如来。 前身は正暦三年(992)、源信が伏見に建立した光明院で、明治三十五年に現在地に移り、 昭和十六年に即成院と呼ばれるようになった。 ![]() 即成院で笹をもらい、七福神めぐりを始める。 ![]() 御寺 泉涌寺 七福神めぐり
「みてら」と呼ばれる皇室の御菩提寺で、真言宗泉涌寺派の総本山。
![]() 泉涌寺の場所 空海が天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来し、法輪寺としたのが起こり。 順徳天皇の時代(健保6年・1218)に月輪大師が宋の法式を取り入れて大伽藍を営んだとき、 寺の一角より清水が涌き出た事により寺号を泉涌寺と改めた。 仏殿 ![]() 本坊 ![]() ![]() 毎年成人式の日に、泉涌寺山内にある塔頭寺院で七福神めぐりが行われる。 1番 福禄寿(即成院) 2番 弁財天(戒光寺) 3番 恵比寿神(観音寺) 4番 布袋尊(来迎院) 5番 大黒天(雲龍院) 6番 毘沙門天(悲田院) 7番 寿老人(法音院) 愛染明王(新善光寺) 楊貴妃観音(泉涌寺) 下鴨神社
下鴨神社は通称で、正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。
古代の賀茂氏の氏神を祀る神社で、京都三大祭の葵祭で有名。 ![]() ![]() ![]() ![]() 【舞殿】 葵祭のとき、勅使が御祭文を奏上され、東游(あずまあそび)が奉納される。 御所が災害にあわれた時には、臨時の内侍所と定められている。 ![]() 【橋殿】 御蔭祭のとき、御神宝を奉安する御殿。 行幸・御幸の際、公卿、殿上人の控え所と定められている。 ![]() 【御手洗社】 最初、高野川と鴨川の合流地東岸にあったが、文明の乱により消失したため、文禄年間(1592〜96)に現在の場所に再興された。 葵祭に先立って行われる斎王代の御契の儀はこの社前の御手洗池で行われ、土用の丑の日にこの御手洗社前の御手洗川に足を浸して疫病や病い封じを祈願する「足つけ神事」は京都の夏の風物詩。 ![]() 安井金比羅宮
建仁時と東大路通の間にあるのが、安井金比羅宮。
当日も、多くの女性で賑わう。 ![]() このお宮の見所は、悪縁を絶ち、良縁を結ぶという巨石があること。 石の真ん中に穴が開いており、それを表から裏へとくぐり抜けると悪縁を絶つ。 逆に、裏から表へとくぐり抜けると良縁を結ぶとされている。 そして、最後に願いをかいた形代を碑(石)に貼り付ける。 ![]() ![]() 彼女は、ちょうど裏から表へ抜けてきたところ。 ![]() 竹中稲荷社
人ごみを避けるように竹中稲荷社へ向かう。
有名でなくとも、楽しませてくれる場所が京都にはいくつもある。 朱色の鳥居をくぐって来ると、ひっそりとした秋が迎えてくれる。 ![]() ![]() ![]() 神社の裏手から山の中に入り、住宅街を見下ろす辺り。 役目の終わった大文字が、遠くに秋の色づきと佇む。 ![]() 吉田神社の境外末社。 宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)、猿田彦神(さるたひこのかみ)、天鈿女神(あめのうずめのかみ) を祭る。 在原業平の時代にすでに社殿があったと記載されているが現在の社殿は天保十一年(1840)に 造営されたもの。 祗王寺
京の奥嵯峨、あまり広くもない緑の中に、ひっそりと佇む。
![]() ![]() 早すぎた訪れ。 緑の苔を覆い尽くすには、あまりにも無力な落ち葉の群れ。 ![]() 水に浮かぶ、黄色と赤の落ち葉。 これから始まる色付きへの予感を感じさせる。 ![]() 往生院祗王寺と号する真言宗の寺。 平安時代に、法然上人の弟子、念仏房良鎮(りょうちん)が往生院を開創し、後に祗王寺と 呼ばれるようになったと伝えられている。 現在の本堂は、明治二十八年(1895)に再建されてもので、堂内には本尊大日如来像をはじめ、 平清盛と祗王ら四人の尼僧像を安置している。 常寂光寺2
熱帯雨林の上に広がる林冠のように、地上に届く光の少なさを感じていた。
階段に覆いかぶさる紅葉を眺めながら、本堂・多宝塔へ。 ![]() ![]() 常寂光寺のある小倉山からは、遠く比叡山・大文字まで見渡すことが出来る。 藤原定家の選んだ小倉百人一首の昔より、四季をめぐる変わらぬ風景も、そこにはある。 ![]() ![]() 常寂光寺1
11月の終り。
小雨が降ったと思うと、申し訳なさそうに薄日が差し込んでくる1日だった。 京福電車嵐山駅から、竹林のざわめきを通り抜け、トロッコ嵐山駅を過ぎると、常寂光寺がある。 人里はなれた場所に佇むひかえめな門をくぐると、期待と胸の高まりが押し寄せる。 ![]() 空の青をバックに、たった1本の紅葉の赤が地上を圧倒してくる。 ![]() 登ることがもったいなくなる階段がある。 何度見上げたら気が済むだろう・・・・。 どちらかの足を、一歩踏み出そうとすることを押しとどめる緑、黄色、そして、赤。 歩きながら紅葉に包まれることより、ずっとこのまま眺めていたい状況が、ここにはある。 ![]() 雨は、嫌いだ。 苔に横たわる赤と黄色の落ち葉のためだけに、我慢しよう。 ![]() 八坂神社 西門修理完了
先日、仕事の途中に八坂神社へ立ち寄ると、西門の改修が終わっていました。
![]() 今年の3月2日の『八坂神社〜西楼門〜』でちょうど工事の開始を見たんで、9ヶ月位かかったようです。 さらぴんで、金色がまぶしいですね。 ![]() 以前と比べると、めっちゃきれいになりました。 ![]() ![]() 2007年紅葉 真如堂1
白川通から真如堂へ行くにはちょっと坂を上っていかないといけませんが
汗かいていくだけの価値はあります。 ![]() 礼儀正しいネコがお出迎え(^^) ![]() ![]() ![]() 2007年紅葉 永観堂
南禅寺から永観堂へ向かいました。
![]() 紅葉といえば永観堂といわれるくらい、京都できれいなスポットの中のひとつです。 当日もたくさんの人出でした。 せこいんですけど、わざわざ拝観料を払って中に入らなくても、十分紅葉を楽しめます(^^) ![]() ![]() ![]() ![]() 2007年紅葉 南禅寺
京都市営地下鉄『蹴上』駅から、徒歩5分でいけますので、アクセスも良く、手軽に紅葉を楽しめます。
![]() 現在は、三門の一般公開もしているので、石川五右衛門も見た?という眺めを見てみるのもいいかも。 ![]() ![]() 三門の南側には、琵琶湖疎水が流れる水路橋があり、紅葉と相まって趣があります。 ![]() ![]() 2007年秋 嵐山1 法輪寺
最近、やっと寒くなってきたので、嵐山へ紅葉を見に行ってきました。
阪急嵐山駅から、人の流れとは別の方向へ。まず、法輪寺へ向かいます。 法輪寺は、観光ルートから少し外れているためか、観光客も少ないのがいいですね。 >>法輪寺の場所はこちら 十三まいりでも有名です。地元の人には親しみを込めて虚空蔵(こくぞう)さんと呼ばれています。 ![]() 法輪寺にも、清水寺のような舞台があり、嵐山から京都市内が一望できます。 この時期は、紅葉がきれいなので特に、おすすめです。 ![]() 舞台からの眺め ![]() 舞台の下から、渡月橋方面へ向ける道があり、ここが 結構 紅葉の穴場です。 今日はまだ、3〜5分の紅葉でしたが、最盛期はきれいだと思います。 この小道を降りていくと渡月橋 ![]() 小道の途中に、もみじがあります。 ![]() 鞍馬5 鞍馬寺本殿
仁王門から鞍馬山を登ること30分くらいでしょうか。
長い階段の登ってやっと本殿に着きました。おじさんもお疲れ気味。 ![]() ![]() ![]() かなり登った分、眺めは良かったですね。紅葉が進めば尚、いいでしょう。 ![]() ![]() 六道珍皇寺
地元の人には『六道さん』と呼ばれています。
大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。 >>六道珍皇寺の場所はこちら ![]() ![]() 鳥部氏の氏寺とも、空海の師である慶俊僧都が創設したものともいわれている。 南北朝時代に建仁寺の僧、良聡によって再興改宗され、現在にいたっています。 俗に、六道の辻と呼ばれる境内一帯は、8/7〜8/10まで『六道詣り』という、精霊迎えのため多くの参拝者で賑わいます。 この期間、松原通は多くの出店が立ち、夜遅くまで賑わい、霊を現世に呼び戻すという『迎え鐘』が響き渡ります。 迎え鐘 ![]() 閻魔堂 木造の閻魔大王が祀られています。 ![]() 【冥土通いの井戸】 平安の昔、閻魔大王に仕えていた小野篁(たかむら)が現世と冥界の間を行き来するのに使ったといわれています。 ![]() その帰路には、出口として大覚寺の南にあった福生寺の井戸が使われたともいわれ、実際、大覚寺の南西には、六道町という地名が残っています。 六波羅蜜寺
急に寒くなってきました。これできれいな紅葉になるといいんが・・・・。
吉川英治の『私本太平記』を読んでいて、度々六波羅探題が出てきたので、行ってみました。 実際に六波羅探題があったのは、洛東中(六波羅蜜寺の南東)辺りで、碑があるようです。 今回は行けませんでした。 真言宗智山派の寺院で、踊り念仏で知られる空也が鴨川の東側に西光寺として建てたのが 始まりとされています。 江戸時代までは大伽藍だったそうですが、明治維新時大幅に縮小してしまったらしい。 >>六波羅蜜寺の場所はこちら ![]() 境内には、平清盛の墓があります。 ![]() ![]() ![]() 豊国神社
京都国立博物館の北へすぐのところにあります。
>>豊国神社の場所はこちら ![]() ![]() ![]() ちょうど、11月8日には『豊国ほうこく』さんとして出店が出ていました。 ![]() 千成ひょうたんには有名人や歌舞伎役者なども名前の見られます。 ![]() 白峯神宮
白峯神宮は、崇徳天皇と淳仁天皇を祀っています。
>>白峯神宮の場所はこちら ![]() 明治天皇が、保元の乱によって讃岐へ配流になった崇徳天皇の慰霊のため、明治元年讃岐の白峯陵より 神霊を迎えて創建されました。 ![]() この地は、蹴鞠・和歌の宗家飛鳥井家の邸跡で、同家の守護神「まり精大明神」が祀られ、 球技愛好者に崇敬されています。 ![]() 私が行ったときも、ちょうど蹴鞠の練習をしているところでした。 ![]() 法雲寺 (菊野大明神)
清水山洗心院と号し、浄土宗に属しています。
永禄十年(1567)源蓮社清善上人が草庵をむすび、元和元年(1615)に清久上人がこの後に堂宇を 建立したのがお寺のおこりと伝えられています。 ![]() >>法雲寺の場所はこちら 「菊野大明神」が祭られており、良縁は結び、悪縁は切るという縁切り祈願の神として信仰されています。 ![]() ![]() 梨木神社 〜萩まつり〜
今日、梨木神社の萩まつりへ行ったんですが・・・。
ショック、今日ではなくて春分の日なので23日でした。 また、私の勘違いで9/10ブログにも梨木神社の萩まつりは9月15・16日です。と書いてしまい、 スイマセンでした。 もし昨日、今日と、梨木神社へいってしまった方、本当に申し訳ございませんm(_ _)m せっかく行ってきたので載せますね。 ![]() 参道の両側に、萩が植えられており、短冊がくくりつけられています。 ![]() 萩の花はちらほら咲いているくらいです。 ![]() ![]() 八坂神社 〜大神宮社〜
八坂神社の境内にあります。
>>場所はこちら ![]() 伊勢神宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)を祀っています。 天照大御神は皇室の祖神で素戔鳴尊(すさのをのみこと)の姉神で、 豊受大神は天照大御神の食事を司る神です。 大神宮社の前には湧き水があります。 ![]() 御金神社
なんともご利益がありそうな名前の御金(みかね)神社。
![]() 西洞院御池上ルにあります。 >>場所はこちら 鳥居の色まで、金色です。 ![]() 資産運用の神として、証券類や不動産、転宅、方位、厄除けだけでなく 旅行中の無事安全をも護る大神として人々に崇められています。 人のお金への思いが、切々と絵馬にこめられています(^^) ![]() 明王院(松原不動)
俗に松原不動ともよばれ、朱雀天皇の時代に道観が開基したと伝えられています。
開創当時の周りは松林で、その松林の丘は平安京開設の際に空海が石佛を作って安置 したところとされています。 >>場所はこちら ![]() また、詔勅により王城鎮護のため、平安京の四方に経文を石蔵に納めたうちの一つが置かれましたが、 応仁の乱後、荒廃し石像も塵芥に没してしまいました。 羽柴秀吉が聚楽第を築く際に、その石像を邸内に持ち帰ったところ、毎夜霊光を放ったので、 石像は元の地に返されたといわれています。 ![]() 京都大神宮
寺町四条下ルの電気街にあるので車や人通りが多く、
賑やかなところにありますが、中は入ってくる人もなくのんびり出来ます。 >>場所はこちら ![]() 仰々しい名前ですが、明治に伊勢神宮より内宮、外宮を奉迎し、 社殿は元一条家の書院を移築したそうです。 ![]() 文子天満宮
祭神は、菅原道真です。
>>場所はこちら ![]() 道真は59歳で没しましたが、その後、道真の乳母であった多治比文子は、 『われを右近の馬場に祀れ』との道真のお告げを受けましたが、 文子は貧しく、社殿を建立することが出来ず、右京七条二坊の自宅に 小さな祠を建て、道真を祀ったといわれています。 ![]() これが文子天満宮の起こりで、天神信仰発祥の神社、また北野天満宮 の前身とも伝えられています。 菅原道真の腰掛石 ![]() 京都 観光旅行ガイド 矢田寺
寺町商店街を四条から御池に向かって歩いてゆき、三条上ル東側にあります。
金剛山矢田寺と号する西山浄土宗のお寺で、通称矢田地蔵と呼ばれています。 >>場所はこちら ![]() 梵鐘は、六道珍皇寺の「迎え鐘」に対して『送り鐘』と呼ばれ、 死者の霊を迷わず冥土に送るために撞く鐘として人々から信仰されています。 1年を通して精霊送りには多くの参拝者が訪れます。 ![]() 八坂神社 挙式
たまたま八坂神社南門から石段下へ抜けようと思ったら、挙式をしていたので撮らせてもらいました。
![]() 神前での挙式はいいですね。厳かな感じがして。ちょうど、三々九度をされていました。 ![]() 大田社
八坂神社の西門をくぐって、すぐのところにあります。
![]() 祭神は、猿田彦命・天鈿女命(さるたひこのかみ・あめのうずめのみこと) 天鈿女命は天照大神の天岩戸隠れに際し、岩戸の前で神楽を舞った神で、 芸能の神です。 北向蛭子社
八坂神社の社務所横にあります。
![]() 俗に、エベッさんと呼ばれる福の神、商売繁盛の神様です。 ![]() 1月9・10日の初えびすのお祭には、商売繁盛の祈願で賑わいます。 正行院 輪形地蔵
昔、京都から伏見に行く竹田街道を通る牛馬車の通行をスムーズにするために、
路面に石を敷き詰めていたそうで、村人はその石を輪形(わがた)の石と呼んでいました。 >>場所はこちら ![]() ある夜、村人が夢枕のお告げで、輪形の石のひとつを掘り起こしてみると、 それは立派なお地蔵様で、村人はそのお地蔵様を輪形地蔵様と呼び、 車馬の危難を救い交通安全にご利益があると敬い、おまつりしてきました。 宇治めぐり11 〜県神社〜
祭神は「木花開耶姫命(このはなさくやひめ)」、古代に地域の守護神として創建され、
平等院が建立されたときにその鎮守社にされたといわれています。 >>場所はこちら ![]() ![]() 毎年6月5日の深夜から6日の未明にかけて行われる「県祭」は 神興が通る間は沿道の明かりが消されて真っ暗闇になるので、 「暗夜の奇祭」として知られています。 祭りの時に使用する梵天 ![]() 宇治めぐり10 〜橋姫神社〜
明治3年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰にありました。
古来より、水辺、特に橋は神霊が宿る場所とされ、橋姫はその守り神とされています。 宇治が主要な舞台となっている源氏物語宇治十帖の第一帖は「橋姫」と 名付られており、橋姫神社はその古跡となっています。 >>場所はこちら ![]() 宇治めぐり9 〜宇治上神社〜
明治維新前は宇治神社と合わせて宇治離宮明神、八幡社と呼ばれ、宇治神社を下社・若宮
とするのに対して、宇治上神社は上社・本宮と呼ばれていました。 祭神は菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)・応神天皇・仁徳天皇 >>場所はこちら ![]() 2004年2月、奈良文化財研究所・宇治市などの年輪年代測定調査で本殿は1060年ごろのものとされ、 現存最古の神社建築であることが裏付けられました。 国宝 拝殿 ![]() 国宝 本殿 ![]() 宇治めぐり8 〜宇治神社〜
京都市内にあるような大きな神社ではありませんが
質素の中にも、歴史の感じられる佇まいです。 >>場所はこちら ![]() 祭神は応神天皇の皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)。 本殿は鎌倉時代に建立されたもので、国の重要文化財です。 ![]() 毎年離宮祭が行われ、最終日の6月8日に大きな御輿(みこし)が 市中を巡幸します。 宇治めぐり6 〜興聖寺〜
道元禅師を開祖とする曹洞宗永平寺派の寺院。
![]() >>場所はこちら 1236年に伏見深草に建てられたが戦乱で廃絶し、1649年、現在の場所に 再興されました。本堂は伏見城の遺構と伝えられています。 ![]() 参道は紅葉の名所として有名です。 ほとんどがカエデで、紅葉の時期はさぞかし、すばらしいだろうと感じました。要チェックですね。 ![]() 宇治めぐり4 〜最勝院〜
最勝院は平等院の塔頭で、不動明王を本尊として祭っています。
入り口は二ヶ所あって、北側から入ると玄関が見えます。 >>場所はこちら ![]() 南側から入った左方向には、1180年治承の乱、宇治の戦いにおいて平家に敗れ、 平等院で自害した源頼政のお墓があります。 ![]() 宇治めぐり2 〜平等院 鳳凰堂〜
永承7年(1052年)、関白藤原頼通によって開創され、鳳凰堂はその翌年の天喜元年(1053年)、
阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂として建立されました。 ![]() 鳳凰です。 ![]() ![]() 誓願寺
浄土宗西山深革派の総本山。
![]() >>場所はこちら 飛鳥時代に建立され、都の遷都で誓願寺も京都へ移築されました。 ![]() 清少納言が誓願寺で菩提心をおこして尼となり、 本堂そばに庵室を結んだそうです。 また、和泉式部も尼となって「誠心院」という庵を結び、 ここでめでたく往生されました。 世阿弥の作と伝えられている謡曲『誓願寺』は、 和泉式部と一遍上人が主な役となって誓願寺での霊験を物語ります。 この楽曲のなかで和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることから 能楽をはじめ舞踏家などから尊がられ、江戸時代頃から誓願寺へ 参詣するようになったといわれています。 このようなことから誓願寺にある「扇塚」に芸道上達を祈願して扇子を 奉納するようになりました。 ![]() 知恩寺
正式には「浄土宗大本山百萬遍知恩寺」といい、
百萬遍の名前で知られていいます。 >>場所はこちら ![]() 法然上人が約800年前に加茂の河原屋に移住し、都の人々に念佛の教えを説いたことで 加茂河原屋、加茂禪房、加茂の釈迦堂などといわれました。 ![]() 元弘元年8月、疫病が流行しましたが、第8世善阿上人が百萬遍念佛を修すことで、 疫病が忽ち止んでしまったそうです。 そのことで時の天皇から百萬遍の号を賜わったといわれています。 北野天満宮
京都市上京区にある神社で、地元では「てんじんさん」の愛称で呼ばれています。
ご存知の通り菅原道真を主祭神とし、相殿に中将殿(道真の長子・高視)と吉祥女(道真の正室) を祀っています。 ![]() 毎月25日に縁日が開かれ、多くの参拝者や観光客で賑わいます。 また、京都は大学の街でもあるので、受験生がたくさんお参りに来ます。 修学旅行で京都に来た学生さんもここはルートに入っているのではないでしょうか。 三光門(中門) ![]() 三光門(本殿へ向かって)の右側に大黒さんがあります。 ![]() 大黒さんの、えくぼ? どう見ても鼻にしか見えないが・・・。 このえくぼに、小石を落とさずに置くことが出来れば大変縁起が良く、 その小石を財布に入れておくとお金が貯まるといわれています。 ![]() 最初に探した石を見事におくことが出来ました!! ![]() もちろんその小石を今も財布に入れています。お金が貯まるかどうかは、今後のお楽しみ。 ちなみに、私の知り合いもえくぼに置いた石を財布に入れていて、 その友達曰く、「儲かってきた」といっていました。 皆さんも、北野天満宮に行く機会があれば、チャレンジしてみてください。 悪王子社
美御前社の隣に建っています。
![]() 神聖な場所にとんでもない名前だ、と思いましたが 悪王子の『悪』とは『強力』の意味です。祭神は素戔嗚尊の荒魂とされ、 荒魂は現実に姿を顕す霊験あらたかな神の意といわれています。 京都 嵐電めぐり13 〜妙心寺〜
北門から入りましたが、とにかく広い。
山内には46の塔頭寺院が点在し、石畳は生活道路になっているため、 学生がクラブ活動で走っていたり、普通に車も通っていました。 ![]() 臨済宗妙心寺の本山。山号を『正法山』といいます。 建武4年(1337年)、花園法皇が自らの離宮を禅刹に改め、 夢相大師を開山として迎えたのが始まりです。 >>場所はこちら 北へ向かって三門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈・小方丈・大庫裏などの 禅宗大伽藍が一直線に並び、日本最大の禅寺にふさわしい偉容を 誇っています。 三門 ![]() 仏殿 ![]() 法堂 ![]() 浴室(明智風呂) 天正15年(1587)に密宗和尚が明智光秀の菩提を弔うために創建。 ![]() 美御前社
八坂神社の本殿東側にあります。
名前からわかるように、美を象徴する神として祭られています。 ![]() 市杵島比売(いちきしまひめ)神、多岐理比売(たぎりひめ)神、 多岐津比売(たぎつひめ)神が祭神で、清浄・潔白の証しとなった神々です。 俗に弁天さんといわれるのは、市杵島比売の神です。 鳥居の横には、お肌の健康をまもる『美容水』が湧き出ています。 女性は要チェックでしょう。 ![]() 京都 嵐電めぐり12 〜六請神社〜
祭神である天照大神ら六柱を勧請して
六請神というようになったそうです。 >>場所はこちら ![]() 足利氏の等持院創建以来はその鎮守社として 境内にまつられていましたが、神仏分離の時より 現地に移ったといわれています。 ![]() 京都 嵐電めぐり11 〜等持院〜
少しわかりにくい場所にありますが、見所が『ぎゅっ』と詰まった
おすすめのスポットです。 足利尊氏が、天龍寺の夢窓国師に頼んで、衣笠山の南麓に創建したのが 等持院です。 私が今まで京都で行った寺社仏閣の中で一番良かったです。 近くに龍安寺等があるせいか、観光客も少なくゆっくり楽しめます。 ![]() >>場所はこちら 等持院の庭を見ていると、本当に落ち着きます。天龍寺の庭もいいんですが、遠いんですよね。 ここは、すぐそこにあるんです。 ![]() ここに座って庭を眺めていると、京都に来てよかった、と感じますね。 ![]() 茶室清漣亭、ここからみる庭もすばらしい。 ![]() ![]() 等持院は足利将軍家歴代の菩提所となっており、 歴代将軍像(義量と義栄の像は欠く)が安置されています。 ![]() 足利尊氏の墓 ![]() 現在の方丈(本堂)は元和二年、福島正則が移築したものです。 ![]() 元天竜派管長関牧翁筆・祖師像 ![]() 京都 嵐電めぐり8 〜仁和寺〜
仁和寺(にんなじ)は、真言宗御室派総本山の寺院です。
>>場所はこちら ![]() 本尊は阿弥陀如来で創立者は宇多天皇。 皇室とゆかりの深い寺で、宇多法皇が住んだことから 「御室御所」(おむろごしょ)の別名がつきました。 ![]() 仁和寺は遅咲きの桜として有名で、 京都市内の桜が終わった頃に咲き始めます。 残念ながら現在は『つぼみふくらむ』です。 ![]() ![]() 境内にはところどころでミツバツツジが咲いています。 ![]() 京都七福神めぐり 〜盧山寺〜
日本盧山と称する円浄宗の大本山で、
応仁の乱後、現在の地に移りました。 また、京都七福神巡りの毘沙門天を祀っています。 ![]() >>場所はこちら この地は紫式部の邸宅跡として知られ「源氏物語」をはじめ ほとんどの著書がこの邸宅で執筆されたといわれています。 ![]() 京都七福神めぐり 〜清荒神(護浄院)〜
護浄院、天台宗の寺で通称は清荒神(きよしこうじん)と呼ばれています。
![]() >>場所はこちら 尊天堂内に安置されている福徳恵美寿神は もともと禁裏に奉安せられていましたが、明治維新時、 この地に移され京都七福神の一に数えられています。 ![]() 京都七福神めぐり 〜大福寺〜
京都七福神の第七番として、布袋尊を祀っています。
![]() >>場所はこちら 境内には幕末勤皇の志士、梅田雲濱(うめだうんぴん) の遺蹟があります。 雲濱は若狭の人で、勤皇の志を抱き、 京都で事に奔走しましたが 安政の大獄で、吉田松陰や橋本左内らと共に 捕らえられてしまいました。 頂法寺(六角堂)
聖徳太子が大阪の四天王寺建立のため、
材料を求めてこの地を訪れた際、夢に霊告を受け、 杉の大樹で六稜の堂を建てて自らの護持仏を安置したのが 頂法寺の始まりと言われています。 ![]() >>場所はこちら 代々六角堂の経営・管理に当たってきた池坊の僧は、 本尊の如意輪観音に花を供えることとなっており、 その花の生け方が大変、評判となっていました。 文明年間(1469年-1486年)に池坊12世専慶が 立花(たてばな)の名手として知られ、 ここから池坊としての立花が生じ、現在に至っています。 ![]() 境内にある「へそ石」は、京都の中心と言われ、 「へそ石」も六角形になっています。 ![]() 京都 嵐電めぐり5 〜芸能神社〜
前回紹介した車折神社の境内にあります。
![]() 日本神話に登場する女神、天宇受売命(アマノウズメ)を祀り、 芸能・芸術の分野で活動する人々から強い崇敬を受けています。 本殿には一面に祈願札、ステッカーなどが貼られ、 境内の朱塗りの玉垣には誰もが知っている芸能人などの 名前があります。 ![]() ![]() 京都 嵐電めぐり4 〜車折神社〜
嵐電の車折(くるまざき)駅を降りてすぐです。
![]() >>場所はこちら 駅からの眺め ![]() 昔、ある貴人が社前を通ったとき、牛が倒れ、 車が折れてしまったため、車折神社と呼ばれるように なったといわれています。 ![]() 学業の成就・試験の合格、『約束を違えないこと』を守る 神様として全国的に強い信仰があります。 ![]() 毎年5月第3日曜日に嵐山の大堰川(おおいがわ)において、 御座船・龍頭船・鷁首船など20数隻を浮かべて行われる 三船祭が有名です。 京都 嵐電めぐり3 〜鹿王院〜
今回は嵐電の駅名にもなっている鹿王院(ろくおういん)を
ご案内します。 観光客も少ないので、ゆっくり『京都らしさ』を楽しむには おすすめのところです。 >>場所はこちら 鹿王院は足利三代将軍、義満が建てた禅寺で、 京都十刹第五と云う名刹です。 ![]() 門から続く参道の両側は緑の苔に覆われ、人も少なかったので 聞こえるのは風に揺れる笹の音だけ、という贅沢さでした。 ![]() 足利義満の筆になると云う「覚雄山」 ![]() 京都 八坂神社 〜西楼門〜
八坂神社の石段下まで来ると
西楼門で何か工事をしている様子。 近くまで行ってみると、これから内側の清掃するようでした。 ![]() ![]() 京都 非公開文化財特別公開
東寺の五重塔や妙心寺麟祥院の『雲龍図』など
普段は見ることが出来ない文化財が特別公開されています。 珍しいものでは、室町時代に建てられた日本最古最大の 東司(トイレ)が東福寺で公開されています。 平成19年3月18日(日)まで >>詳しくはこちら 護王神社
昔、御祭神の和気清麻呂が猪によって
難事を救われたとの伝説から、 狛犬の代わりに「狛猪」が置かれており、 亥年生まれの方には特に御利益が あると崇敬されています。 >>場所はこちら ![]() また、今年は亥年なので是非お参りしておきたいところです。 ![]() 足腰にご利益があります。 昔のお札に描かれています。 ![]() 京都 観光旅行めぐり 目疾地蔵
人通りの多い四条通に面していて、
正しい寺名は仲源寺といいます。 >>場所はこちら ![]() 一説には、雨にあった人がここで雨宿りをしたことから 雨止(あめやみ)地蔵と呼ばれ、雨止が『目疾めやみ』に変ったようです。 眼病の治療にも霊験があるとされています。 京都 観光めぐり 和泉式部 誠心院
お土産や、お店がたくさんある新京極通の
真ん中に誠心院はあります。 >>場所はこちら 寺伝によると、平安の女流歌人の代表とされる和泉式部は、 誠心院の初代住職と言われています。 あらざらむ この世のほかの思ひ出に いまひとたびの あふこともがな 和泉式部 百人一首より ![]() 石塔は正和2年(1313年)に改修建立されたもので、 江戸時代の名所絵図には、石塔と共に、傍らにあった軒端の 梅が描かれています。 和泉式部を慕い、多くの旅人が参拝したようです。 ![]() お願いをしながら回すと、願い事が叶うと言われています。 京都 観光 梨木神社
明治維新に貢献した、三條實萬(さねつむ)・實美(さねとみ)父子を祀る神社です。
>>場所はこちら ![]() 梨木神社の境内には京都三名水のひとつの「染井」の井戸があり、 毎日たくさんの人が名水を汲みに来ています。 ![]() 萩の名所としても有名で 9月の第3日曜日「萩まつり」が行われます。 また、紅葉の時期には神社の西、京都御苑との間の道は イチョウなどの紅葉でとてもきれいです。 京都三名水:染井、醒ヶ井、県井 京都 観光めぐり 錦天満宮
京都錦市場の東の端、新京極商店街内に錦天満宮があります。
![]() >>場所はこちら 学問、商売にご利益があるとされ、境内には京の名水にも選ばれた 「錦の水」が湧き出ています。 錦天満宮で有名なもの、 鳥居の両端がビルの中にめり込んでいます。 ビルの中を見てみたいですよね(^^) ![]() ![]() 京都 観光めぐり 嵐山〜嵯峨野9 電電宮
法輪寺境内にある鎮守社です。
![]() 電気電波の神様で、電力、電気、電波、電子等 あらゆる電気事業に携わる方々が その発展・無事故安全を祈願するために 数多く参拝しています。 京都 観光めぐり 嵐山〜嵯峨野8 法輪寺
十三参りで有名なお寺です。
![]() >>場所はこちら 生まれた年の干支が、初めて巡ってくる年(数え年の十三歳) に行われるのが十三参りです。 いまから百年ほど前から始まった行事で、 福徳と智恵と健康を授けていただくために、 親子ともども虚空蔵菩薩にお参りするという習わしでした。 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は京都で 嵯峨の虚空蔵さんとして親しまれ、 今昔物語・枕草子・平家物語などに記述、 智恵・福徳・技芸上達そして丑寅年生の護本尊の仏様として 知られています。 ![]() 針供養の塔 ![]() 境内にある舞台からの眺め。京都を一望できます。 京都 観光めぐり 嵐山〜嵯峨野7 二尊院
釈迦如来と阿弥陀如来を本尊とするため二尊院と呼ばれています。
正しくは、小倉山二尊教院華台寺というそうです。 ![]() >>場所はこちら 境内の墓地には、高瀬川の開削で有名な角倉了以・ 俳優の阪東妻三郎のお墓もあります。 京都観光めぐり 嵐山〜嵯峨野3 常寂光寺
常寂光寺
嵯峨野の紅葉では、はずせないスポットです。 当日はもう紅葉は残っていませんでしたが・・・。 ![]() 名前の由来は、寺全体が小倉山の中腹を占め、 その観がまるで仏教の理想郷である常寂光土ようであるところから 常寂光寺と名づけられたようです。 >>場所はこちら 京都観光めぐり 嵐山〜嵯峨野2 竹林道〜御髪神社
今回は、竹林道〜御髪神社までを紹介します。
やっぱり落ち着きますね。 某着物のコマーシャル(近畿地方だけかも)の雰囲気そのままです。 ![]() 御髪(みかみ)神社 理容・美容等の髪や化粧の神を祭る、日本で唯一の神社だそうです。 >>場所はこちら ![]() 御髪神社の前にある小倉池 京都観光めぐり 嵐山〜嵯峨野1 野宮神社
仕事でぽっかり時間が出来てしまったので、嵐山〜嵯峨野めぐりをしてきました。
何回かに分けて紹介していきます。 今日は冬なのか?というような天気で、歩いていると汗ばんできました。 平日のせいもあるんですが、人は少なくゆったり観光?することが出来ました。 一応仕事中(^^) 確かに紅葉シーズンや桜の時期はすばらしいんですが人が多い! ゆったり京都観光するには絶好の季節だと思います。 寒いのは確かですが、歩いていたら自然と暖かくなってきますからね。 まず、野宮神社へ向かいました。 >>場所はこちら ![]() 野宮の辺りは天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が 伊勢へ行かれる前に身を清められたところで、 源氏物語にも現れ、黒木鳥居は日本最古の鳥居の様式です。 また、子宝安産、えんむすびの神様なので、カップルが訪れるにはぴったりでしょう。 個人的には上の由来より『野宮じゅうたん苔』がとても気に入りました。 緑が好きなので・・・。 苔好きにはたまりません。(^^) ![]() ![]() 京都 魚雷観音
魚雷観音
なんとも珍しい名前の観音様ですが、偶然嵐山を歩いているときに見つけました。聞いた話では昔は実際に魚雷回天が置いてあり、今は呉市の博物館に展示しているようです。 >>場所はこちら 京都年金基金センター北西角辺り ![]() ![]() ここに回天があったらしい 祇園閣初の一般公開
大雲院(祇園閣)の内部が公開されるのは初めてらしいので、早速見てきました。
>>場所はこちら ![]() 建物内部は撮影禁止なので写真は掲載できませんが、一面壁画が描かれており、一種異空間です。 最上階からは東山だけでなく京都全体を見渡すことが出来ます。 ![]() 私も入るまで知らなかったのですが、敷地内には織田信長、信忠の碑と石川五右衛門の墓があります。 ![]() 織田信長、信忠の碑 平成18年11月22日(水)〜12月6日(水) 午前10時〜午後4時(最終入場時間午後3時30分) 入場料 高校生以上:600円、小中学生:300円※小学生未満は無料 京都 出世稲荷神社
誰もが一度は訪れてみたくなる『出世稲荷神社』。もちろん私もおまいりしてきました。まだご利益は・・・?。 >>場所はこちら
![]() 天正15年(1587年)に豊臣秀吉によって聚楽第内に勧請された稲荷神社が由来で、寛文3年(1663年)に聚楽第から現在の地に移されました。「出世稲荷」の名は、立身出世を遂げた秀吉にちなんで付けられたといわれています。 豊臣秀次の菩提寺
三条木屋町下ル東側に『瑞泉寺』があります。豊臣秀吉の甥の豊臣秀次の菩提を弔うために建立されたお寺です。 >>場所はこちら
![]() 秀次は秀吉の養子となり関白を継ぎましたが、秀吉に嫡男秀頼が生まれたことで疎んじられ、文禄4年(1595年)7月高野山で切腹自害させられました。次いで8月には、秀次の幼子、妻、妾たち39人が三条河原で死刑に処せられ、遺骸はその場に埋葬、塚が築かれ、石塔が建てられました。その後、鴨川の氾濫などで荒廃してしまいましたが、慶長16年(1611年)角倉了以(すみのくら・りょうい)が高瀬川の開削中にこの墓石を発掘、この地に塚を再建し、堂宇を建立しました。 京都 満足稲荷神社
仕事の移動中に見つけた、ものすごく気持ちが満たされる名前の神社です。その名も『満足稲荷神社』。思わずシャッターを押しました。 >>場所はこちら
![]() もともとは伏見桃山城の守護神として祀られ、豊臣秀吉がこの大神のお陰で成功を収め、そこから「満足」と命名したようです。元禄6年に徳川綱吉によって現在の地に移されたと伝えられています。 また、『満足稲荷神社』の中には樹齢約400年のクロガネモチがご神木としてあります。京都市指定の保存樹であり、京阪沿線の百名木にも数えられています。 ![]() 一本の幹から8本の幹に分かれています。 旅立ち守護の神 粟田神社
三条神宮道を青蓮院の方へ向かい白川小学校を過ぎて、すぐ東へ入ります。約150M行くと『粟田神社』の鳥居があります。 >>場所はこちら
![]() 粟田神社の石段下の道は旧東海道・東山道で、この辺りは京の七口(京都の七つの出入口)の一つである粟田口といわれています。京都を行き来する旅人は旅の安全を祈願するために参拝されたそうです。何時しか旅立ち守護の神として崇敬を集め、江戸時代末期の皇女和宮様の御降嫁の行列も御祈願されたと伝えられています。 一口メモ:京の出入り口を意味する丹波口、鞍馬口、荒神口、上鳥羽口などの地名が今でも残っています。 一口メモ:毎年10月に行われる粟田神社の神幸祭で巡航する剣鉾は祇園祭の山鉾の原型といわれています。 ![]() 京都 2006年秋の夜間特別拝観情報 −ライトアップ−
すでに始まっているところもあり、この3連休中に出かけられた方もいると思いますが、京都の秋の夜間特別拝観情報をお届けします。昼間とは一味違った趣がありますので、少し着込んで出かけてみてはいかがでしょうか?
高台寺・圓徳院 期間:10/20(金)〜12/3(日) 時間:日没後〜午後9時30分まで受付/午後10時閉門 青蓮院 期間:10/27(金)〜12/3(日) 時間:午後6時 〜午後10時(午後9時30分受付終了) 永観堂 期間:11/8(水)〜11/30(木) 時間:午後5時30分〜午後9時(午後9時30分閉門) 貴船もみじ灯篭 期間:11/10(金)〜11/26(日) 時間:日没〜午後9時頃 知恩院 期間:11/10(金)〜12/2(土) 時間:午後5時30分〜午後9時(受付終了午後9時) 清水寺 期間:11/11(土)〜12/3(日) 時間:午後6時30分〜午後9時30分(受付終了) 京都嵐山花灯路 期間:12/9(土)〜12/18(月) 時間:午後5時〜午後8時30分 京都御所一般公開(3)
第3回目は、京都御苑の南東、寺町通界隈を紹介していこうと思います。
堺町御門を出て丸太町通を東へ・・・、丸太町寺町を下がった東側に、『下御霊神社』 −しもごりょうじんじゃ− があります。809年に亡くなった伊予親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子の霊をなだめるために、839年に創建されたと云われています。 ![]() 下御霊神社 ところで、京都には骨董屋さんがたくさんあります。新門前通(またの機会に紹介します。)が有名なんですが、丸太町寺町〜御池寺町辺りも骨董屋さんやアンティークのお店・おしゃれな雑貨屋さんが多くあり、なかなか雰囲気の良いところです。 ![]() 二条寺町付近 さらに寺町通を下がっていくと御池寺町に出ます。信号を渡り寺町商店街のアーケードを入ってすぐ東側に、天正10年(1582年)明智光秀が織田信長を攻めた『本能寺』があります。ただ実際には、四条西洞院に建っていたときに「本能寺の変」が起こり、その10年後、豊臣秀吉により現在地に移されました。 >>場所こちら ![]() 寺町商店街から見た本能寺入り口 織田信長公廟 京都御所一般公開(2)
第2回目は、京都御所を見終わった後、京都御苑を散策した様子を紹介します。京都御苑は、北は今出川通、南は丸太町通、東は寺町通、西は烏丸通に囲まれた面積約63haの広大な公園です。京都御所もこの京都御苑の中にあります。
京都御苑は京都の中でも、昨日紹介した鴨川の河川敷と同様、とてもゆったり寛げる場所で、お気に入りの場所のひとつです。 写真のように一面芝生のところが多く天気の良い日はここで昼寝をすると、とても気持ちが良いです。 ![]() ![]() ところで禁門の変というのはご存知でしょうか?蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)とも呼ばれていますが、1863年、長州藩と会津・薩摩などの諸藩戦闘の際、門柱に鉄砲の当たった跡が残されています。 >>場所こちら 第3回は、京都御苑を出て南へ歩いていった辺りを紹介します。 京都御所一般公開(1)
今日は11月5日まで行われている京都御所の一般公開に行ってきました。
その道すがら、寄り道もしてきましたので、3回に分けて紹介していこうと思います。 第1回目は、三条→鴨川沿い→御池大橋→荒神橋→御所清和院御門→京都御所 今日も本当に天気がよく、ものすごく気持ちのよい日でした。 三条大橋から鴨川右岸(北から見て)を北へに向かって歩いていくと、御池大橋、丸太町橋、そして荒神橋へとたどり着きます。 鴨川右岸は、カップルが等間隔に並ぶ四条大橋から御池大橋を過ぎると、ベンチや芝生があり、とても寛げる場所です。今日もベンチで日光浴をしている人、芝生の上でお弁当を食べている人、見ていてほのぼのとしてきます。これからの京都は観光シーズンに入り、人で混みあってきますが、ここではゆっくりと時間が流れていきます。 ちなみに、荒神橋の北(右岸)のあたりは8月に行われる五山送り火の『大文字』がよく見えるポイントです。点火の時間が近づくと多くの人で賑わいます。 >>場所こちら ![]() 中央のマンションの左辺りが大文字 元に戻りますが、荒神橋から約5分歩いて御所清和院御門を抜け、京都御所へと向かいました。 平日のせいか、入り口の手荷物検査で数分並んだ位で、後はスムーズに流れていきました。 ![]() テントのところで手荷物検査 光厳(こうごん)天皇が、1331年(元弘元年)に即位されて以来、明治の初めまで皇居とされてきただけあり、京都御所の内側はとにかく広い。また、およそ140年前に王政復古の大号令が発せられたのも、京都御所だった思うと歴史の流れを感じますね。 ![]() 新御車寄(しんみくるまよせ) 大正天皇即位時に建てられたもので大正以後の天皇皇后両陛下の玄関 ![]() 紫宸殿(ししんでん)最も格式の高い正殿 第2回は、京都御所の周りについて紹介してみようと思います。 |