智積院 青葉まつり
日時 | 2025年6月15日 |
時間 | 9:45分~ |
電話 | 075-541-5361 智積院 |
真言宗の宗祖・弘法大師空海と中興の祖・興教大師覚鑁(かくばん)の誕生を祝う行事。空海(6/15)と覚鑁(6/17)の誕生日が、共に6月の新緑美しい季節のため「青葉まつり」。 |


智積院について

正式名称は五百佛山根来寺智積院(いおぶさん ねごろじ ちしゃくいん)といいます。
全国にある真言宗智山派三千ヵ寺の総本山。
元々は紀州(今の和歌山県)根来山(ねごろやま)にあった学頭寺智積院。
豊臣秀吉の焼き討ちに遭ってしまい、当時の住職が難を逃れて京都にいるとき、徳川家康によって豊国神社境内に土地を与えられ智積院を再興しました。
その後、隣にあった祥雲禅寺も与えられて現在に至っています。
祥雲禅寺は秀吉が長男の鶴丸の菩提を弔いために建立したお寺。
現在の金堂は明治十五年(1882)に焼失後、空海の生誕1200年の記念事業として、昭和五十年 ( 1975)に再建されました。本尊は、大日如来。
智積院 アクセス
市バス「東山七条」バス停下車
・A乗場(青マーク)すぐ
・B乗場(緑マーク)から徒歩約2分
・C乗場(紫マーク)から徒歩約3分
※市バス「東山七条」バス停は3か所。 乗車する市バスの系統で停車する場所が変わります。
京阪「七条駅」2番出入口(赤マーク)から約8分
詳しいアクセスを見る
市バス「東山七条」バス停へ
京都駅前バスターミナル ( JR中央口前 ) から
JR京都駅の中央口 ( 京都タワー側 ) の前にあるのが京都駅前バスターミナル
D2乗場 | 86号系統 清水寺・祇園・平安神宮 行き(東大路通の北行のバス停C乗場に停車) 206号系統 三十三間堂・清水寺・祇園・百万遍 行き(東大路通の北行のバス停C乗場に停車) |
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下車 | 「東山七条」バス停C乗場下車、徒歩約3分で「智積院」 |
四条河原町から
四条河原町バス停は、A~Hの合計8か所。 行先によって乗車する停留所は違います。
A乗場 | 86号系統 東山通 清水寺・京都駅・鉄道博物館 行き(七条通の西行のバス停B乗場に停車) |
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E乗場 | 58・207号系統 清水寺・東福寺 行き(東大路通の南行のバス停A乗場に停車) |
下車 | 「東山七条」バス停A乗場からすぐ、B乗場から徒歩約2分で「智積院」 |
※ 京都市バスの掲載内容は京都市バス時刻表で確認してください。万が一、間違っていたとしても責任は負いかねます。予めご了承ください。
智積院 近くの観光スポット
近くの観光スポットを見る
三十三間堂
京都のほとんどを戦渦に巻き込んだ応仁の乱にあって、千本釈迦堂 の本堂と共に焼失を免れたのが「三十三間堂」。その後も幾度となく難を逃れました。
お堂の内部の千手観音や中尊、風神雷神立像、二十八部衆立像に圧倒・感嘆させられました。
三十三間堂 ( 智積院から徒歩約4分 )
京都国立博物館
智積院から徒歩約4分にあるのが「京都国立博物館」。
1897年5月に開館。主に平安時代から江戸時代にかけての京都の文化を中心とした文化財を収集・保管・展示するとともに、文化財に関する研究, 普及活動を行っている。( Wikipedia )
法住寺殿跡
智積院から徒歩約6分にあるのが「法住寺殿跡」。法住寺というお寺の門前にあります。
平安から鎌倉、平氏から源氏へと移りゆく中で、激動の時代を生き抜いた主人公の一人、それが後白河法皇(ごしらかわほうおう) 。
保元三年 ( 1158 ) 、子供の二条天皇に天皇の位を譲り、後白河上皇となり、院政のために造営した御所が「法住寺殿」。北は現在の六条通を延長した辺り、南は大谷高校辺り、東は東大路辺り、西は鴨川辺りの広大な地域に造営されました。ちなみに、蓮華王院の本堂(三十三間堂)も法住寺殿の一部でした。
豊国神社
智積院から徒歩約8分にあるのが「豊国神社」。
豊臣家の滅亡後、その廟社は徳川幕府により取り壊されましたが、明治十三年(1880)、旧方広寺大仏殿跡にあたる現在地に豊国神社が再建され、別格官幣社として復興されました。
方広寺
豊国神社境内のすぐ北にあるのが「方広寺」。
文禄4年(1595)に方広寺大仏殿がほぼ完成すると、東大寺の大仏(16m)を超える高さ18mの木製金漆塗の大仏坐像が安置されました。ところが、翌年の大地震で大仏が大破し、慶長3年(1598)には秀吉もこの世を去ってしまいます。その後、秀吉の子である秀頼が慶長17年(1612)に大仏を事実上完成させました。
しかし、徳川が梵鐘に刻まれた「国家安康君臣豊楽」(こっかあんこうくんしんほうらく)という銘文に言いがかりをつけ、豊臣家と戦を起こす「きっかけ」としたことは有名。
豊国廟
智積院から徒歩約25分にあるのが「豊国廟」。
豊臣秀吉の遺体は、生前に「京都を眺められるところに葬ってほしい。」との願いから、東山にある阿弥陀ケ峰(標高196,4m)の頂上に埋葬されました。阿弥陀ケ峰の頂上に巨大な五輪塔がひっそりと佇んでいます。
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