宝筐院(ほうきょういん)の
紅葉の素晴らしいところは、
その紅葉がカエデだけではないところです。
ダブル紅葉で、感動パワーアップ。
ドウダンツツジの紅葉が
プラスされることで
紅葉の美しさがパワーアップされます。
一般的にドウダンツツジの紅葉は、
本当に真っ赤、あるいはしゅう色で、
めちゃめちゃ綺麗になります。
真如堂にも本堂横に
綺麗なドウダンツツジがありますが、
ここみたいに多くありません。
本堂に続く道の紅葉
本堂に続く細い道の紅葉は、
高いところの紅葉はカエデ、
人の目線と同じくらいの高さは
ドウダンツツジに分かれているので、
目線の低いところも
赤い紅葉になっています。
美しいとしか言いようがありません。
本堂へ続く道の両側に溢れる
カエデとドウダンツツジの紅葉は
本当に綺麗なので、
この紅葉をとるために、
道の始まり辺りに皆が陣取り、
人が視界から消えるのを待って
シャッターを切ります。
出来れば、
人が入らず紅葉だけの写真を
撮りたいですからね。
宝筐院ホームページにも
掲載してありますが、
三脚、一脚の持ち込みは
禁止されています。
あまりに美しい光景なので、
綺麗に撮りたいのは理解できます。
私もその一人です。
ただ、
過去に観光客同士の場所取り喧嘩や、
自分が綺麗な写真を撮るために
他の観光客に
指示したりする人がいたりしたため、
三脚、一脚の持ち込みは
全面禁止になったようです。
本堂の周りの紅葉
本堂の周りの紅葉も
非常に綺麗です。
本堂 障子越しの紅葉
本堂の障子は、
すべて開けられているので、
開けられた空間をキャンバスに
見立てた絵のような写真を
撮ることも可能です。
これもかなり綺麗です。
ここでも、
人が視界から消えるのを
待ってシャッターを切るので、
その瞬間はシャッター音が
本堂内にこだまします(笑)
宝筐院は、
臨済宗のお寺です。
平安時代に、
白河天皇のよって創建され、
当時は、善入寺といいました。
※1夢窓疎石の高弟 黙庵が、
寺に入り、足利義詮の保護で
伽藍が復興されました。
義詮の没後、
その※2院号から「宝筐院」と
改められました。
※1 鎌倉時代末から南北朝、
室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。
庭園の設計者としても有名。
※2 戒名や法名の中で、
院の字がついたもので生前から
寺院に貢献した人などや、
元来は天皇をはじめとする皇族や、
将軍家の戒名として
用いられていました。
足利義詮と楠木正行の菩提寺
元々足利と楠木は、
鎌倉幕府の執権北条氏の支配に対抗し
倒すまでは見方同士でしたが、
その後の南北朝時代に、
足利は北朝側、楠木は南朝側に別れて、
敵同士になってしまいました。
そして、
足利尊氏が、
神戸湊川で楠木正成を撃ち、
その後室町幕府を開きます。
楠木正行と足利義詮の墓
左が※3足利義詮(よしあきら)、右が※4楠木正行(まさつら)の墓
楠木正行と足利義詮の墓が、
並んで弔われていることに驚きました。
敵同士なのに。
※3 足利尊氏の※5嫡男で、室町幕府2代将軍
※4 楠木正成の嫡男で、大阪の四條畷で戦死
※5 一般に正室の生んだ男子のうち最も年長の子。
たとえ長男であっても側室の生んだ子である場合、
正室の生んだ弟が跡取りとなることもあることから、
嫡男と長男は必ずしも同一ではない。
なぜ隣同士かというと、
両人とも
黙庵と関係しています。
足利義詮は黙庵に※6帰依しており、
楠木正行は、
自分の亡くなった後のことを
黙庵に頼んでいました。
宝筐院は元々、
足利義詮の菩提寺ですから、
足利義詮が、
黙庵から楠木正行の
人柄等を聞くにおよび
非常に感銘したため、
楠木正行の隣に
葬ってくれと頼んだそうです。
※6 畏敬の念を抱くこと
宝筐院を知ったのはネットでした。
情けないことに、
今までこんな素晴らしい紅葉スポットを
知りませんでした。
今年一番の発見でした!
もともと宝厳院へ行こうと思い
拝観時間の確認をしようと、
Googleの検索に「宝」といれたら
宝筐院も表示されたので、
閲覧しました。
するとどうでしょう。
凄く綺麗そうではありませんか!
宝厳院はやめて、
宝筐院へ行くことにしました。
宝厳院さん、ゴメンなさい!
来年、伺います!!
京都 神社仏閣 関連リンク
所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9 上ル 下ル 西入 東入について |
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電話 | 075-861-0610 宝筐院ホームページ |
拝観時間 | 9:00~16:00(11月はPM 4:30まで) |
拝観料 | 大人:500円/小中学生:200円 |
※ 拝観時間 ・ 拝観料等は変更されることがありますので, 寺院にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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