「 京都 新選組 モデルコース 壬生編 」
幕末に京都で活躍した新選組にゆかりのあるスポットは京都にたくさん。
今回は、新選組の京都での活動の拠点になった壬生にある新選組ゆかりの地をめぐるモデルコースを案内します。
新選組とは
元々新選組は、江戸から京都へ上洛する将軍 徳川家茂の警護をするために江戸で募集された浪士隊。
京都到着後に紆余曲折あって、京都から江戸へ帰ることに承服しない浪士達が京都に残留。
その中に近藤勇や土方歳三、沖田総司などがいました。
その後、京都守護職会津藩御預かりの新選組として、京都の治安維持のために奔走していくことになります。
新選組発足当初は、芹沢鴨などの藩を抜け出した侍もいたけど、近藤勇や土方歳三らは腕は立つけど元々は農民の出。
本当の侍ではないから、本物よりもホンモノらしくあるために、法度 ( 掟 ) で厳しく新選組隊士の行いを統制していきます。
この鉄の掟によって、新選組は激動の幕末京都の治安維持のために力を発揮する最強の剣客集団へと変貌していきました。
京都 新選組 モデルコース 壬生編 マップ
光縁寺⇒(徒歩)旧前川邸⇒(徒歩)八木邸⇒(徒歩)新徳字⇒(徒歩)壬生寺
京都 新選組 モデルコース 光縁寺
光縁寺の門前近くに新選組の馬小屋があったため、毎日新選組の隊士たちが行きかっていました。
新選組副長 山南敬助の家紋 「丸に右離れ三つ葉立葵」と光縁寺の家紋が同じという縁で、当時の良誉 ( りょうよ ) 上人と昵懇の間柄となりました。
この良誉上人は葬式を出すことができない困窮した人たちも分け隔てなく弔っていたため、光縁寺の門前には、度々むしろに巻かれた亡骸が放置されていたそう。
山南の紹介で、新選組で切腹した隊士も良誉上人に弔われるように。
その中には、山南その人も含まれてしまいました。
光縁寺へのアクセス
光縁寺は、綾小路通大宮西入ルにあります。
・嵐電「四条大宮駅」改札口、阪急「大宮駅」2B出入口から徒歩約3分
・市バス「四条大宮」バス停から徒歩約4分
京都 新選組 モデルコース 旧前川邸
旧前川邸は、文久3年(1863)から約2年間、新選組の屯所となったところ。
新選組が一躍京の都で名声を高めた「池田屋事件」のキッカケとなった情報を得た「東の蔵」も旧前川邸にあります。
この「東の蔵」で、土方歳三による古高俊太郎への拷問が行われました。
京都 新選組 モデルコース 八木邸
八木家は壬生村きっての旧家でかつて壬生郷士 ( 壬生住人士 ) の長老をつとめていました。
また幕末には新選組の近藤勇、土方歳三らの宿所となり旧壬生屯所として知られています。
建物は、長屋門が東に開きその奥に主屋が南面して建ち、普請願から長屋門が文化元年( 1804 ) 、主屋は文化六年の造営。
京都 新選組 モデルコース 壬生寺
壬生寺には京都での新選組の屯所が置かれ、境内の池の中州にある壬生塚には近藤勇の胸像や芹沢鴨の墓塔があります。2023年7月には新選組結成160年を記念して新たに土方歳三の胸像も加わりました。
壬生寺は正歴二年 ( 991 ) に創建。本尊の 延命地蔵菩薩 ( 重要文化財 ) をはじめ。多数の地蔵菩薩を祀っています。
厄除け・開運の寺としても知られ。2月の厄除け節分会は約900年の歴史をもつ行事。
また、春と秋に行われる壬生狂言は壬生寺の代名詞ともなっています。
京都 新選組 モデルコース 新徳寺 ( 新徳禅寺 )
新選組誕生のきっかけになったお寺が「新徳寺 ( 新徳禅寺 ) 」。江戸時代創建の臨済宗永源寺派の寺院です。
元々、新選組は江戸から京都へ上洛する将軍 徳川家茂の警護をするために江戸で募集された浪士隊。
その浪士隊のリーダーであった清河八郎が、浪士たちを集めて演説を行った場所が新徳寺です。
清河八郎は浪士隊を集めた本当の目的は将軍 徳川家茂の警護でなく、※尊王攘夷の先鋒になることであると説明しました。
結局、これに納得しなかった芹沢鴨や近藤勇・土方歳三らが清河八郎らと別れ、京都に残留。
その後、京都守護職会津藩御預かりの新選組となり、幕府側として京都の治安維持のために奔走していくことになります。
京都 新選組 モデルコース 壬生編 まとめ
「京都 新選組 モデルコース 壬生編」は新選組スポットが固まっているから、徒歩で回ることができます。
壬生は新選組創生期から池田屋事件の後で隊士が増えて手狭になってくるまで過ごしたところ。
ちなみに、初めの頃の新選組は「壬生浪( みぶろ )」と陰口をたたかれていました。
嵐電「四条大宮駅」や阪急「大宮駅」、市バス「四条大宮」バス停からも近く手軽に新選組の息吹を感じることができます。
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