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京都 新選組モデルコース【伏見編】詳しい移動手段&ルートも

新選組 モデルコース 京都 伏見編 / 京都ブログガイド

「 京都 新選組モデルコース 伏見 」

京都の新選組のゆかりの地はほとんどがJR京都駅から北にある。

ただし、新選組が京都から大坂・江戸へ向かう過程で伏見でも戦っています。

今回は伏見にある新選組のゆかりの地を紹介します。

目次

新選組とは

元々新選組は江戸から京都へ上洛する将軍 徳川家茂の警護をするために江戸で募集された浪士隊。

京都到着後に紆余曲折あって、京都から江戸へ帰ることに承服しない浪士達が京都に残留。

その中に、近藤勇や土方歳三、沖田総司などがいました。

その後、京都守護職会津藩御預かりの新選組として、京都の治安維持のために奔走していくことになります。

新選組発足当初は、芹沢鴨などの藩を抜け出した侍もいたけど、近藤勇や土方歳三らは腕は立つけど元々は農民の出。

本当の侍ではないから、本物よりもホンモノらしくあるために、法度 ( 掟 ) で厳しく新選組隊士の行いを統制していきます。

この鉄の掟によって、新選組は激動の幕末京都の治安維持のために力を発揮する最強の剣客集団へと変貌していきました。

京都 新選組モデルコース 伏見 マップ

新選組モデルコース【伏見編】の地図

新選組 近藤勇 遭難の地⇒(徒歩) 近鉄「伏見駅⇒(電車) 近鉄「桃山御陵駅⇒(徒歩) 御香宮神社⇒(徒歩)伏見奉行所跡⇒(徒歩)魚三楼(うおさぶろう)弾痕あと⇒(徒歩)会津藩駐屯地跡(伏見御堂)⇒次の観光スポット(名水・名酒・幕末めぐり)

「新選組 近藤勇 遭難の地」から「御香宮神社」へは近鉄でも京阪でも行けるけど、近鉄の方が近いから上では近鉄電車を利用したルートを記載しています。

1. 新選組 近藤勇 遭難の地

ちょうど「京料理 清和荘」の門前に石碑があります。

近藤勇遭難の地2/京都 ブログガイド

慶応三年 ( 1867 ) 12月18日、伏見奉行所に陣を移していた新選組隊長 近藤勇は二条城からの軍議の帰り道、この辺りで狙撃されました。弾は左肩に命中したけど、致命傷にはならず、馬を飛ばして伏見奉行所へ逃れました。

近藤は治療のために大坂へ赴き、その後、新選組の指揮は副長の土方歳三が執りました。

ちなみに、清和荘さんの門をくぐって少し先には、伏見 名水の「清和の井」が湧き出ています。

新選組 近藤勇 遭難の地 アクセス

・近鉄「伏見駅」から徒歩約4分
・京阪「墨染駅」から徒歩約7分

新選組 近藤勇 遭難の地⇒御香宮神社へは近鉄電車で「桃山御陵前駅」か京阪電車で「伏見桃山駅」へ向かいます。

新選組 近藤勇 遭難の地 ⇒(近鉄電車) 御香宮神社

徒歩約4分の「新選組 近藤勇 遭難の地」から近鉄「伏見駅」(地図)へ。

近鉄「伏見駅」から御香宮神社へ
  1. 近鉄「伏見駅」から奈良方面の電車に乗車
  2. 二駅目の近鉄「桃山御陵駅」下車
  3. 御香宮神社の鳥居まで徒歩約2分

近鉄「桃山御陵駅」から御香宮神社への地図


2. 御香宮神社 ( ごこうのみやじんじゃ )

御香宮神社 /京都 ブログ ガイド

御香宮神社は鳥羽・伏見の戦いで薩摩藩の本営となり大砲を設置し、新選組などの幕府軍のいる伏見奉行所を攻撃しました。

現地に行けばわかるけど、御香宮神社は次に紹介する伏見奉行所跡とはすぐ近くで、より高所にある。

薩摩軍は地の利を得て、伏見奉行所に大砲を打ちまくりました。

御香水

御香水」は全国名水百選に選ばれています。

今から1100年前の平安時代に境内から水が湧き出し、辺りに良い香りが辺りに漂い、この水を飲むとたちまち病気が治ったことから、清和天皇から「御香宮」の名前を賜ったそう。

御香宮神社⇒伏見奉行所跡への地図

御香宮神社⇒伏見奉行所跡へは徒歩約5分。

3. 伏見奉行所跡

伏見奉行所跡1/京都 ブログガイド

現在は団地になっています。

京都を出た新選組が陣を置いたのが「伏見奉行所」。

鳥羽・伏見の戦いでは薩摩藩の本営となった御香宮神社から大砲が打ち込まれ、伏見奉行所は焼け落ちてしまいました。

伏見 幕末史跡 伏見奉行所跡2/京都 ブログガイド

実際に伏見奉行所跡と御香宮神社を訪ねてみるとわかるけど、直線距離で200M位。

距離的に近いうえに、地形的には伏見奉行所より御香宮神社の方が高い位置にあります。

ここから薩摩藩などが大砲を打ち込めば、伏見奉行所はひとたまりもなかったことがよくわかります。

伏見奉行所跡⇒魚三楼への地図

伏見奉行所跡⇒魚三楼 ( うおさぶろう ) 弾痕あとへは徒歩約3分。

4. 魚三楼 ( うおさぶろう ) 弾痕あと

創業250年、京都 伏見の京料理で有名な料亭。

入口に向かって、右側に弾痕あとがあります。

魚三楼弾痕4/京都 ブログガイド

「鳥羽・伏見の戦い」の時の弾痕あと。

めちゃめちゃ、生々しい。

御所の「蛤御門の弾痕あと」も生々しいけど、魚三楼の弾痕あとは斜めに当たっているところが、鉄砲の威力を実感できる。

当時の魚三楼の人は、気が気でなかったでしょうね。

魚三楼⇒会津藩駐屯地跡への地図

魚三楼 弾痕あと⇒会津藩駐屯地跡へは徒歩約4分。

5. 会津藩駐屯地跡 ( 伏見御堂 )

伏見 幕末史跡 会津藩駐屯地跡1/京都 ブログガイド

新選組が陣を置いたのは伏見奉行所だったけど、会津藩お預りだった新選組は距離的にも近いこの場所へも軍議等で来たに違いありません。

伏見御堂は慶長年間に東本願寺 第十二代法主 教如 ( きょうにょ ) が創建したもので、本堂は向島城の遺構を改築したと伝えられています。

慶応四年 ( 1868 ) 1月2日に会津藩の先方隊約200名が、伏見御堂に陣を張りました。

翌日の1月3日に、鳥羽・伏見の戦いが始まり、伏見御堂でも本堂の畳を盾にして鉄砲の打ち合いがあったそう。

この時に建物にも大きな損害が出たため、明治十八年 ( 1885 ) に建て替えられました。

平成二年 ( 1990 ) に建物は老朽化のため取り壊され、現在は大銀杏・鐘楼・山門が往時を偲ばせています。


会津藩駐屯地跡を訪ねた後は、是非、伏見の名水や名酒・幕末史跡を訪れてみてください。

すぐ近くにあります。

会津藩駐屯地跡⇒白菊水への地図

会津藩駐屯地跡⇒一番近い伏見の名水 白菊水 ( しらぎくすい )  鳥せい本店へは徒歩約1分。

会津藩駐屯地跡⇒黄桜カッパカントリーへの地図

会津藩駐屯地跡⇒一番近い伏見の名酒 黄桜カッパカントリーへは徒歩約3分。

会津藩駐屯地跡⇒寺田屋への地図

会津藩駐屯地跡⇒一番近い伏見の幕末史跡 寺田屋へは徒歩約5分。


京都 新選組モデルコース 伏見 まとめ

伏見には新選組にゆかりの地はそれほど多くはないけど、幕末関係の史跡もあるから一緒に見てまわるのも良いでしょう (^^)

新選組とは立場が逆だけど、坂本龍馬ゆかりの地などの史跡があります。

また、伏見は昔「伏水」といわれていたようにあちらこちらに名水が湧き出しています。その名水を活かした酒造りも盛ん。

新選組&幕末史跡めぐりと合わせて「名水」、「名酒」めぐりをするのもオススメ ! !

「新選組&幕末史跡」、「名水」、「名酒」の3つが固まって点在しているのが伏見観光の良いところ。

一度にたくさん観光スポットを観てまわれます。

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