「 紫式部ゆかりの地 」
紫式部は京都で育ったということもあり、京都には紫式部や源氏物語にゆかりの地がたくさんあります。
今回は京都にある紫式部や源氏物語にゆかりの代表的な観光スポットを地域ごとに分けて紹介します。
紫式部ゆかりの地と源氏物語 マップ
紫式部や源氏物語にゆかりのスポットは京都市北区・上京区・中京区・下京区・右京区・宇治市にあります。
京都ではないけど、滋賀県大津市の石山寺も外せない紫式部ゆかりの地。
紫式部とは
紫式部 ( むらさきしきぶ ) は主に光源氏 ( ひかるげんじ ) を主人公とした「源氏物語」の作者。
紫式部は、平安時代中期の作家・歌人, 女房 ( 女官 ) 。作家としては日本文学史を代表する一人である。
『源氏物語』の作者とされ、藤原道長の要請で宮中に上がった際に宮中の様子を書いた『紫式部日記』も残している。
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源氏物語とは
実在した源融 ( みなもとのとおる ) を主人公「光源氏」として書かれた平安時代の恋愛物語。
『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた。
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紫式部ゆかりの地 京都市北区
紫式部のお墓
紫式部の墓は何気なく歩いていると、気付かずに通りすぎてしまいそうなほど、ひっそりと佇んでいます。
こんなところに紫式部ゆかりのスポットがあるとは。
ただこの墓所には紫式部だけのお墓があるわけではありません。
小野篁 ( おののたかむら ) のお墓が隣にあるんです。
紫式部は当時としてはドロドロした恋愛物語を書いた事で風紀を乱し、人々を惑わせたという理由で「紫式部は”地獄”へ落ちた ! 」と考えられていました。
「紫式部を地獄から助けだしたい!」 と思った人々がすがったのが、夜に閻魔大王のお手伝いをしていた「小野篁」。
小野篁から閻魔様にお願いをしてもらい、紫式部を地獄から救いだして欲しい !との思いから、お墓を隣同士にしたのだそう。
紫式部の墓 アクセス
「堀川鞍馬口」バス停から徒歩約1分。
片山御子神社 ( 上賀茂神社 )
祭神の賀茂玉依比売命は平安の昔から縁結び・恋愛成就・子授け・安産の神様として有名で、紫式部も度々参詣しています。
紫式部ゆかりの地としてだけじゃなくて、嬉しいご利益あり。
片山御子神社 ( 上賀茂神社 ) アクセス
市バス「上賀茂神社前」下車徒歩約4分
紫式部ゆかりの地 京都市上京区
廬山寺 ( 紫式部邸宅跡 )
現在の京都市上京区の廬山寺は御所のすぐ近く。
紫式部の曽祖父の中納言 藤原兼輔 ( ふじわらのかねすけ 877 ~ 933 ) から伯父の為頼、父の為時へと伝えられた広い邸宅でした。
その邸宅は鴨川の西堤防に接していたため「堤邸」と呼ばれ、それに囚んで兼輔は「堤中納言」の名で知られていました。
紫式部は百年ほど前に兼輔が建てた邸宅で一生の大部分を過ごしました。
この邸宅で藤原宣孝との結婚生活を送り、一人娘の賢子 ( かたこ ) を育て、源氏物語を執筆しました。
紫式部ゆかりの地として是非訪れておきたいお寺。
廬山寺 アクセス
市バス「府立医大病院前」バス停下車徒歩約3分。
紫式部ゆかりの地 京都市中京区
平安宮跡 ( 千本丸太町辺り )
紫式部は女官として宮中に上がっていました。
宮中の様子を書いた『紫式部日記』も残しています。
紫式部の生きた平安時代、平安京の中心部は今の御所ではありませんでした。
今の御所の南西角から約1.5km西にある千本丸太町の交差点辺りにあったのが平安宮 ( 上の写真 ) 。
現在は住宅街になっていて平安京の跡形もないけれど、当時平安宮の建物があった場所に石碑等が建っています。
紫式部ゆかりの地として、平安時代に思いをはせながら散策してはいかが。
平安宮跡 アクセス
市バス「千本丸太町」バス停下車
紫式部ゆかりの地 京都市下京区
源融 ( みなもと の とおる ) 河原院跡
源融 ( みなもとのとおる ) は嵯峨天皇の第十二皇子で、紫式部が書いた源氏物語の主人公 光源氏の実在モデルといわれています。
京都 六条にあった源融の邸宅である河原院 ( かわらのいん ) は源氏物語で光源氏の邸宅の「六条院」とされていて、物語ではここで暮らし、栄達の極みを謳歌する舞台となっています。
実際の河原院はというと、東西はここから柳馬場通まで, 南北は五条通から六条通 ( 一説には正面通 ) までの恐ろしく広い敷地。 ほんまに広い ! ! ( 下のMapの青紫色で囲まれたところ )
その広大な敷地内に、宮城県の塩竈 ( しおがま ) の風景を元にして庭園を造り、兵庫県の尼崎から大量の海水を運んできて、塩を作って楽しんだそう。
海のない京都で、めっちゃ贅沢な遊び。
河原町五条の西に「塩竈町」、「本塩竈町」という町名があるのは、河原院に塩竈 ( しおがま ) の風景があったことに由来。
そして、この榎の大木が河原院にあった森の名残ともいわれています。
源融 河原院跡 アクセス
京阪電車「清水五条駅」1番出口から徒歩約2分。
京都市下京区木屋町通五条下ル
風俗博物館
風俗博物館は古代から近代にいたるまでの日本の風俗・衣裳を実物展示する博物館。
特に『源氏物語』や『竹取物語』を切り口に、様々な平安時代の生活の場面を立体的に表現しています。
所在地 | 京都市下京区堀川通新花屋町下る ( 井筒左女牛ビル5階 ) |
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電話 | 075-342-5345 |
開館時間 | 10:00~17:00 風俗博物館ホームページ |
入館料 | 一般 : 500円、中学生/高校生/大学生 : 300円、小学生 : 200円 |
休館日 | 日曜日/祝日/お盆 ( 8月13日~17日 ) / 展示替期間 ( ※要確認のこと ) |
紫式部ゆかりの地 京都市右京区
光源氏邸宅跡&墓(清涼寺)
多宝塔の裏に源融 ( みなもとのとおる ) のお墓があります。
清凉寺は浄土宗のお寺で、嵯峨釈迦堂の名前でも知られています。
京都市右京区の清凉寺のあった場所には、一説では「源氏物語」の主人公である光源氏のモデルであったといわれる源融 ( みなもとのとおる ) の山荘 棲霞観 ( せいかかん ) がありました。
融の没後、この地を棲霞寺としたのが清涼寺の始まりとのこと。
光源氏ファンなら訪れておきたい源氏物語ゆかりの地。
「 源氏物語 」の『 松風 』に、光源氏が造営した「嵯峨の御堂」は「大覚寺の南に所在した」とあり、棲霞観の場所と一致しています。※河原院 ( かわらのいん ) が六条院のモデルということと共に、源融が光源氏のモデルとされる所以。※河原院は京都六条にあった源融の邸宅。
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清涼寺 アクセス
嵐電「嵐山駅」、JR「 嵯峨嵐山駅 」から徒歩約15分、阪急「嵐山駅」から徒歩約22分。
大覚寺
平安時代に嵯峨天皇が造った嵯峨離宮を起源とするのが「大覚寺」。
源氏物語の主人公である光源氏のモデルとされた源融 ( みなもと の とおる ) は嵯峨天皇の第十二皇子。
嵯峨天皇が自分の子供を※臣籍降下させるときに「源」という姓を授けたのが『源氏』の始まりです。
※皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りること
上で紹介した清涼寺 ( 源融の山荘 棲霞観 ) は大覚寺の境内にあったといわれています。
そして、光源氏が晩年出家したとされているのも大覚寺。
大覚寺 アクセス
JR「 嵯峨嵐山駅 」から徒歩約20分、嵐電「嵐山駅」から徒歩約25分、阪急「嵐山駅」から徒歩約40分。
所在地 | 京都市右京区嵯峨大沢町4 |
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電話 | 075-871-0071 大覚寺HP |
野宮神社 ( ののみやじんじゃ )
源氏物語の第十帖、賢木(さかき)の巻に出てくるのが「野宮神社」。
光源氏が六条御息所 ( みやすどころ ) を訪ねる場面。
源氏との結婚を諦めた六条御息所は娘の斎宮と共に伊勢へ下ることを決意する。紫の上と結婚した源氏も、さすがに御息所を哀れに思って秋深まる野の宮を訪れ, 別れを惜しむのだった。
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源氏物語にも描かれている黒木鳥居と小柴垣は現存しています。 ( 上の写真 )
「黒木の鳥居」とは、樹皮のついたままの鳥居のこと。
現在の「黒木の鳥居」は、香川県の会社がくぬきの自然木に防腐加工を施して寄進したものだそう。
野宮神社 アクセス
嵐電「嵐山駅」から徒歩約5分、JR「嵯峨嵐山駅」から徒歩約10分、阪急「嵐山駅」から徒歩約13分。
紫式部ゆかりの地 宇治市
紫式部像 ( 夢浮橋ひろば )
宇治川に架かる宇治橋の西詰南側にあるこじんまりとした夢浮橋ひろばに「紫式部像」があります。
めっちゃ有名な紫式部ゆかりの地 (^^)
紫式部像 アクセス
京阪「宇治駅」から徒歩約3分、JR「宇治駅」から徒歩約7分。
宇治市源氏物語ミュージアム
京都府宇治市にある公立博物館。
源氏物語に関する資料の収集・保管等を行い、企画展示や源氏物語を学んだり体験するコーナーなど、オリジナル映像作品も見られます。
所在地 | 宇治市宇治東内45-26 |
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電話 | 0774-39-9300 |
開館時間 | 9:00~17:00 ( 1 6:3 0 受付終了 ) 源氏物語ミュージアムホームページ |
入館料 | 大人600円、小人300円 |
休館日 | 月曜日 ( 祝日の場合はその翌日 )・年末年始 |
源融の別荘だったところ ( 平等院 )
もとは源氏物語の「光源氏」のモデルといわれる源融 ( みなもと の とおる ) の別荘でした。
関白 藤原道長が譲り受け、その子頼道が1052年に寺に改め平等院と命名。
平等院とは光が全ての人を分け隔てなく等しく照らしているように、仏の救いも全ての人に対して等しく与えられることを意味しています。
平等院が源氏物語ゆかりの地だとは知らなかった。
平等院 アクセス
京阪「宇治駅」から徒歩約10分、JR「宇治駅」から徒歩約10分。
橋姫神社
橋姫という名前が『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつにもなっていて、源氏物語「宇治十帖」ゆかりの古跡。
縁切りの神様として、悪縁を絶ち切ってくれる神社としても有名。
橋姫神社 アクセス
京阪「宇治駅」から徒歩約6分、JR「宇治駅」から徒歩約8分。
源氏物語「宇治十帖」の像
宇治川に浮かぶ中洲の宇治公園から宇治神社へ向かう朝霧橋を渡り終えた橋のたもとにあります。
ヒロイン浮舟 ( うきふね ) と匂宮 ( におうのみや 光源氏の孫 ) が小舟で宇治川に漕ぎ出す有名な場面を題材としています。
源氏物語「宇治十帖」の像 アクセス
京阪「宇治駅」から徒歩約7分、JR「宇治駅」から徒歩約14分。
紫式部ゆかりの地 滋賀県大津市石山
京都じゃないけど、源氏物語の着想を得たことで有名なのが滋賀県大津市の石山にある「石山寺」。
まさに、源氏物語ゆかりの地!!
石山寺
本堂の横にあるのが源氏の間。
紫式部がこの部屋に籠り、源氏物語を書き始めましたといわれています。
石山寺は奈良時代の天平19年 ( 747 ) 、聖武天皇によって創建されました。
西国巡礼十三札所でもあります。
石山寺 アクセス
石山寺のあるのは滋賀県大津市石山だけど、最寄り駅のJR石山駅へはJR京都駅からは新快速でたった3駅目の14分で到着。
JR石山駅で京阪電車 石山坂本線に乗り換えて、2駅目の終点「石山寺駅」 まで行き、瀬田川の眺めを見ながら石山寺まで徒歩約8分。
紫式部ゆかりの地 まとめ
本当に京都には紫式部や源氏物語にゆかりの地がたくさん。
京都育ちだから当然と言えば当然だけど。
平安時代に想いを馳せながら京都で紫式部や源氏物語のゆかりの地をめぐってみてはいかが。
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