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霊明神社 坂本龍馬と中岡慎太郎の葬式をしたのは、この神社。

霊明神社 / 京都ブログガイド

「 霊明神社 ( れいめいじんじゃ ) 」

幕末維新に殉じた志士と大東亜戦争にいたる京都府出身の約7万3千柱をお祀りしている「京都霊山護國神社 ( きょうとりょうぜんごこくじんじゃ )」。

坂本龍馬と中岡慎太郎、桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作他のお墓があることでも知られています。

その京都霊山護國神社から徒歩約1分のところにあるのが『霊明神社』。

実は、坂本龍馬と中岡慎太郎らも霊明神社で葬られました。

目次

霊明神社へと続く龍馬坂

幕末志士葬送の道 / 京都ブログガイド

春は祇園枝垂桜が咲き誇る円山公園から南へ進むと「ねねの道」。

そこから清水寺へと続く二年坂を目指します。

二年坂の始まりから約20m先を左へ曲がると、東山へと伸びる坂道と階段が現れます。

この坂道は幕末に命を落とした志士たちを葬るために通った「幕末志士葬送の道」。

坂本龍馬らの亡骸もここを通ったであろうことから、通称『龍馬坂』と呼ばれています。

この坂道が霊明神社へと続いています。

霊明神社について

霊明神社 / 京都ブログガイド

文化六年 ( 1809 ) 貴族の村上都愷 ( くにやす ) が、現在霊名神社前の階段を登った先にある正法寺の塔頭 清林庵が所有していた山林1,000坪を買い受けて、霊明社 (霊明神社) を創建しました。

霊明神社の創建当時は、徳川幕府の宗教政策により、原則すべての国民が仏教徒とされていたにもかかわらず、神道による葬式 ( 神葬祭 しんそうさい ) を開始。

幕末期、三代目神主 村上丹波都平 ( くにひら ) のときに、霊明神社は神道による葬式を進める長州の毛利家と縁ができ、京都にいる志士の葬送・祭祀の地となってゆきました。

元治元年 ( 1864 ) 6月7日、池田屋事件 ( 元治元年6月5日 ) で亡くなった吉田稔麿 ( よしだとしまろ ) らの遺体を長州屋敷が霊明神社に埋葬したりしました。

そして、慶応三年11月17日 ( 1867年12月12日 ) の夜、2日前に近江屋で襲撃を受け亡くなった坂本龍馬・中岡慎太郎・龍馬の家来 藤吉も霊明神社で葬られました。

明治維新後には新政府の方針で、霊明社・村上氏の所有地の大半が没収され、創建間もない東山招魂社 ( ひがしやましょうこんしゃ 後の京都霊山護国神社 ) に譲られました。 ( 霊明神社文書による )

現在、坂本龍馬・中岡慎太郎のお墓が霊明神社ではなくて京都霊山護国神社の所有・管理となっているのは以上の理由によります。

元々龍馬らの遺体は京都霊山護国神社ではなく、霊明社に託されていました。

京都霊山護国神社にある坂本龍馬・中岡慎太郎のお墓にお参りするのであれば、霊明神社へもお詣りをした方が良いかも。

霊明神社 祭神

祭神:天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)
ご利益:厄除け、病気平癒など

祭神:菊理媛尊(きくりひめのみこと)
ご利益:縁結び、商談成立など

祭神:速玉男命(はやたまおのみこと)
ご利益:縁結び、厄除けなど

祭神:事解男命(ことさかおのみこと)
ご利益:悪縁切り、学業成就など

それ以外の霊明神社 祭神は、

天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 、猿田彦大神(さるたひこおおかみ) 、天鈿女命(あめのうずめのみこと) 、武甕槌命(たけみかづち) 、経津主命(ふつぬしのみこと) 。

霊明神社 アクセス

霊明神社MAP

・京阪「祇園四条駅」 1番出入口から徒歩約19分
・阪急「京都河原町駅」 1B番出入口から徒歩約22分
・市バス「東山安井」 バス停から徒歩約11分

霊明神社 まとめ

今は京都市内を一望する住居の庭に霊明神社が建っているような感じになっているけど、土地を没収される前はもっと広い境内だったんでしょうね。

坂本龍馬と中岡慎太郎も京都霊山護國神社 ( きょうとりょうぜんごこくじんじゃ ) にお墓が移される前に、霊明神社で葬式をしたとは全く知りませんでした。

京都霊山護國神社のお墓にお詣りした後で、霊明神社へもお詣りしといた方がいいかもしれませんね。

所在地:京都市東山区清閑寺霊山町25
電話:075-525-0010 霊明神社ホームページ

※ 参拝時間・受付時間等は変更されることがありますので、霊明神社にご確認ください。万が一、間違っていたとしても責任は負いかねます。予めご了承ください。

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