「 安井金比羅宮 」
最も京都らしい場所のひとつ、祇園 花見小路通から徒歩約1分に安井金比羅宮はあります。
安井金比羅宮 2017 櫛まつり

使い古した櫛やかんざしに、感謝を込めて、お清めし供養するお祭り。
たくさんの芸妓さんが参列しています。
当初は、櫛の日にちなんで、9月4日に行われていましたが、現在は、9月の第4 月曜日に行われています。
舞妓や 芸子の髪を結う美容院が参加しやすいように月曜日になったようです。
※ 美容院は、 月曜日が休みのところが多い。
神事が終わると、時代毎の髪形を結った行列が、祇園界隈を練り歩きます。
安井金比羅宮について

安井金比羅宮の祭神は、崇徳( すとく )天皇、源頼政、大物主神( おおものぬしのかみ )。
崇徳天皇は、平安時代末期 保元元年( 1156年 )の※保元の乱に敗れ、讃岐の国( 現在の香川県 )へ配流されました。
血でしたためた手紙で、京都へ帰ることを願いましたが、聞き入れられず、失意の中で、 長寛二年( 1164 )に亡くなりました。
※皇位継承問題や摂関家の内紛により、後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、武力衝突に至った政変。
安井金比羅宮から徒歩1分のところに崇徳天皇の御廟があります。

崇徳天皇の寵愛を受けていた阿波内侍は、遺髪を請い受けて、この場所に塚を築き崇徳天皇の霊を慰めたといわれています。
安井金比羅宮の始まり
治承元年(1177年)、後白河法皇によって建立された光明院観勝寺が安井金比羅宮の始まりといわれています。
その後、応仁の乱で荒廃しましたが、元禄8年(1695年)に、太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院がこの地に移され、源頼政と、讃岐(現在の香川県)の金刀比羅宮より大物主神の霊をわけて祀りました。
明治維新後、安井神社と改め、現在は、安井金比羅宮となっています。
安井金比羅宮 縁切り・縁結び
安井金比羅宮といえば、やはり、「 縁切り・縁結び 」でしょうか。

ただ、縁切りのイメージの方がかなり強い。


まず本殿に参拝し、「形代」に切りたい縁・結びたい縁を書いて、「形代」を持って願い事を念じながら、表から裏へ穴をくぐります。
これでまず悪縁を切る。
その後逆に、裏から表へくぐって、良縁を結びます。
最後に「形代」を碑に貼って終わり。





碑をくぐるために並んでる。
安井金比羅宮 アクセス
・京阪「 祇園四条駅 」1番出入口から徒歩約7分
・阪急「 京都河原町駅 」1B出入口から徒歩約10分
安井金比羅宮 近くの観光スポット
近くの観光スポット
花見小路通
八坂神社の西門から徒歩約3分にあるのが祇園の真ん中に横たわる「花見小路通」。花見小路通の四条通から南は石畳風に整備され、道の両側には京風情溢れる街並みが続きます。
この辺りは「祇園甲部」と呼ばれ、※京都五花街の中でも一番舞妓さんの在籍数が多く、最大規模の花街。お茶屋で有名な一力亭があるのも花見小路通。これぞ京都という知名度が高い通りです。
※ 京都 五花街 : 祇園甲部・祇園東・宮川町・先斗町・上七軒の五つ。
建仁寺
安井金比羅宮から徒歩約2分にあるのが「建仁寺」。
建仁二年(1202)、創建時の元号から「建仁寺」と名付けられました。日本に禅宗をもたらした明庵栄西(みんなんようさい)が初代住職。
大和大路通・繩手通
安井金比羅宮から徒歩約5分にあるのが「大和大路通・繩手通」。四条通~五条通からの間の大和大路通の周辺には神社仏閣や観光スポットもたくさんあって見所満載。
八坂神社
安井金比羅宮から徒歩約5分にあるのが「八坂神社」。
八坂神社という呼び名になったのは明治になってから。江戸時代まで八坂神社は比叡山延暦寺の末寺でもあったので「祇園感神院(かんしんいん)」という寺の名前でも呼ばれていました。つまり、神社でもありお寺でもありました。
八坂神社のお祭なのに,八坂祭じゃなくて『祇園祭』 といわれるのは、明治以前の呼び名が関係しています。
祇園 新橋
安井金比羅宮から徒歩約8分にあるのが「祇園 新橋」。京都らしい街並みと白川、石畳が美しいエリアで、京都市の歴史的景観保全修景地区に指定。巽橋や辰巳神社も祇園 新橋に花を添えています。
所在地 | 京都市東山区東大路松原上ル下弁天町 70 上ル下ル西入東入について |
---|---|
電話 | 0 7 5-5 6 1-5 1 2 7 |
授与所受付時間 | 9:0 0~1 7:3 0 |
コメント