京の街角
「 京の街角 」
京都の街を歩いていると, 「えっ, こんなところに, こんなものがあるの ? ! 」って思うことがよくあります。 なにげなく歩いていると気づかずに通り過ぎてしまうような。
そんなふとしたことで見つけた京の街角の一コマを紹介していきます。
奥渓家 ( おくたにけ ) 住宅
北野天満宮の南, 天神通仁和寺街道下ル, 北町児童公園の天神通を挟んだ西隣にあります。
北野天満宮からの帰り道。 自転車で天神通を南へ下がっているときに発見。 住宅が続いている街並みに, 突然江戸時代にタイムスリップしたかのような住宅が現れる。 えっ, これなんなん ? っていう感じ (笑)
奥渓家 ( おくたにけ ) は, 豊後 ( 今の大分県 ) の戦国大名 大友宗麟 ( そうりん ) の嫡男 義統 ( よしむね ) の次男にはじまると伝えられています。
奥渓家所蔵の由緒書によると, 元和六年 ( 1620 ) , 江戸で医者をしていた奥渓家の初代が, 東福門院 ( 徳川秀忠の五女 ) と後水尾天皇との結婚のために, 京都へ付き添いの医者として同行。 一条烏丸に屋敷を構えました。
東福門院が亡くなった後に現在の場所に移ってきたそう。 代々医者の家系で, 第四代~七代までは仁和寺門跡の御典医を務めました。
茅葺の長屋門は, 享保9年 ( 1724 ) の火災で焼失後, 享保11年に再建されたもの。 主屋は外から全体を見ることはできないけど, 2階建瓦葺で, 複雑な部屋割となっています。
上の画像ではわかりにくいけど, 玄関に「 蘇命散 」の看板が掛かり, 御典医と薬販売の格式をうかがわせる重要な建築遺構。 主屋と長屋門は, 京都市指定有形文化財となっています。
平安京の羅城門 復元模型
京都の玄関口 JR京都駅烏丸中央口 ( 京都タワー側 ) を出て, 京都駅を囲むように建てられた駅ビルを出て右へ。 駅ビル沿いを真直ぐ約80m行くと左手に見えてくるのが, 「 羅城門の復元模型 」。
「 えっ, これ何なん ? 」って感じで展示されています (^^)
この復元模型は, 羅城門の再建を目指している 「 明日の京都 文化遺産プラットフォーム 」 が, 2010年から 「 歴史的建造物の復元 」 として, 羅城門の再建を研究。 10分の1模型をJR京都駅前に展示しています。
そして, 2020年10月, 新たに実行委員会を設置。 再建する場所や建設費用 ・ 期間など具体的な事業内容を決める必要があるけど, 目標としては原寸大の木造伝統工法で再建したいとのこと。
羅城門の復元模型は, 結構, 細部にわたって再現されているから, いざ再建 ! となれば良いモデルになるでしょう。
実現までには, まだまだクリアすることがあるだろうけど, できたとしたら, さぞ壮麗な羅城門になるでしょうね。 楽しみ !
羅城門は, 幅約50メートル, 高さ24メートル, 奥行き21メートルと推定されています。 この門を境に平安京の内外を分けました。
門というよりは建物。 さぞ壮麗だったでしょうね !
実際に羅城門があった場所は, JR京都駅の南西。 五重塔で有名な東寺の西へ約400M行ったところ。
羅城門から平安京のメインストリート 朱雀大路が北へ向かって伸び, 平安京の中心部 大内裏 ( だいだいり ) へと続いていました。
平安京の復元模型。京都市中京区にある「 平安京創生館 ( 入館無料 ) 」で展示されています。 1/1000スケールで, 10m × 11m。
かなりデカくて精密に再現されています。 平安京に興味のある人は一見の価値あり ! !
平安京の場所を今の京都に当てはめると, 上の地図。
紺色の線内が平安京の場所。 緑の線内が平安京の大内裏 ( だいだいり ) 。 茶色の線内が内裏 ( だいり ) 。 ピンクの線が朱雀大路です。 平安京のあった場所に現在の京都市中心部がすっぽり入っています。
※地図は, 平安京創生館で公開されている「 古代の京都~ヤマシロオーバーレイマップ 」を参考に制作しています。 多少の誤差は生じています。
京の街角 池善化粧品店
四条大橋から南側の歩道を西へ向かって歩いて行くと, 徒歩約1分で四条河原町。 京都で一番の繁華街で, 京都市民や観光客が行き交う賑やかなところ。
そして, 四条河原町の交差点を渡った先にあるのが京都高島屋。 京都大丸と並んで京都市民御用達の百貨店です。 その京都高島屋の北東角の窪地のように凹んだところに建っているのが, 「 池善化粧品店 」。
京都に住んでいる人なら, 誰でも知っているお店で, ズーッとこの場所にあるから,
もはや風景の一部 (^^)
実は, この「 池善化粧品店 」さんが, 2020年の12月末で, 90年の歴史に幕を下ろすとのこと。 社長さんのご高齢が理由だそうです。
昭和5年 ( 1930 ) 創業。
私は男性だから, 「 池善化粧品店 」さんには入る機会がなかったけど, 石造りの外観は重厚で, 四条河原町の交差点のランドマークになっています。
次にどんなお店になるかわからないけど, ずっとこの慣れ親しんだ外観は保って欲しいですね。
お疲れさまでした。
京の街角 牛若丸 弁慶 決闘の像。 でも, 実は ? !
本当に, こんなところに,こんなものがっていう感じ (笑)
五条大橋の西詰の東行き道路と西行き道路の真ん中にある中央分離帯に像が建立。 だから, ここへ行くには, 五条河原町交差点の東側横断歩道を渡り, 中央分離帯まで行かないと近くで像を見られません。
五条大橋で牛若丸 ( 源 義経 みなもとのよしつね ) と弁慶の決闘があったんだ ! ということをわからせるためには良いアイデアかも (^^)
ところが, 建立した関係者が知っていたかはわからないけど, 牛若丸と弁慶の決闘は, “現在の” 五条大橋で起こったことじゃありません ! ?
えっ, じゃあ, どこで ?
牛若丸 弁慶 決闘の場所。 本当は・・・・ ,
実は, 今の五条大橋より1本北の「 松原橋 」で, 牛若丸と弁慶の決闘はありました ! !
松原橋から, 南を望む。 向こうに見える橋が, 五条大橋。
現在の五条大橋ができたのは, 豊臣秀吉が天下を統一して以降。 それまでは, 存在していなかったんです !
伏見桃山時代以前には, 現在の松原通 ( 今の五条通の1本北の通り ) が五条通と呼ばれていて, そこに架かっていたのが, 「 五条の橋 」。
だから, 伏見桃山時代より古い平安時代末期にあった牛若丸と弁慶の決闘は, 本当は今の『 松原橋 』でありました ! ! ! !
悲しいことに, 松原橋は今の五条大橋に, 歴史のスポットライトを取られてしまいました (泣)
※ 諸説あり
義経記 ( ぎけいき ) 国立国会図書館 所蔵
義経記の第三巻には, 牛若丸と弁慶が戦ったのは「 五条天神宮 」と「 清水の舞台 」と記されています。
牛若丸 弁慶 決闘の像 アクセス
京阪電車「 清水五条駅 」1, 3番出口から徒歩約2分。
京都府 京都市 下京区 五条通河原町交差点 中央分離帯
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