【智積院 除夜の鐘2025】一般人も参加できる荘厳な除夜の鐘
七条通の東の突き当たりにあるのが「智積院」。真言宗智山派三千ヵ寺の総本山です。
その智積院で12月31日の大晦日に、除夜の鐘をつく体験ができるんです。
智積院 除夜の鐘 概要
智積院の除夜の鐘は、大晦日午後11時45分頃に鐘楼堂で始まります。
百八煩悩を滅除し、除災招福を祈るもので、一般人も鐘を撞くことができます。
参加者には守り札が授与され、温かい接待もあり。※変更の場合もあり
鐘撞き後は、年明けの午前0時から金堂で修正会、午前0時30分頃から明王殿で元朝護摩供法要が勤修されます。
| 日程 | 2025年12月31日~2026年1月1日 |
| 時間 | 12月31日11:30~ お火焚き法要 12月31日11:45~ 除夜の鐘法要 1月1日0:00~ 修正会(しゅしょうえ) 1月1日0:30~ 元朝護摩供法要 お火焚き法要後に鐘楼堂へ移動し、煩悩を滅除するための法楽を捧げます。法楽後、導師、参列僧侶の順に鐘を撞き、その後一般の参拝者も鐘を撞くことができます。※1グループで1回 受付締め切り時間があります。必ず智積院(075-541-5361)へ問い合わせてください。 智積院 除夜の鐘の詳細 (智積院公式Web) |
| 参拝 | 無料 |
| 問合 | 075-541-5361 智積院公式Web |
【その他の除夜の鐘】
智積院について
正式名称は五百佛山根来寺智積院(いおぶさん ねごろじ ちしゃくいん)といいます。
全国にある真言宗智山派三千ヵ寺の総本山。
元々は紀州(今の和歌山県)根来山(ねごろやま)にあった学頭寺智積院。
豊臣秀吉の焼き討ちに遭ってしまい、当時の住職が難を逃れて京都にいるとき、徳川家康によって豊国神社境内に土地を与えられ智積院を再興しました。
その後、隣にあった祥雲禅寺も与えられて現在に至っています。
祥雲禅寺は秀吉が長男の鶴丸の菩提を弔いために建立したお寺。
現在の金堂は明治十五年(1882)に焼失後、空海の生誕1200年の記念事業として、昭和五十年 ( 1975)に再建されました。本尊は、大日如来。
智積院 収蔵庫・名勝庭園
収蔵庫にある豪華な襖絵(国宝)は祥雲禅寺以来のもので、長谷川等伯並びに一門の作で、伏見桃山時代の代表的な障壁画として知られています。
他にも中国の南宋時代の書家 張即之(ちょうそくし)による金剛経(国宝)、南画の祖といわれる王維の瀧図(重要文化財)など、多数の仏画・経巻を所蔵しています。
また、名勝に指定されている庭園も安土桃山時代の作庭といわれ、築山と苑池からなる池泉観賞式庭園で、京都の名園のひとつ。
智積院 宝物館
長谷川等伯一門による国宝障壁画の公開や約8万点の収蔵品の一部も公開されます。
智積院 アクセス
京阪「七条駅」2番出入口(赤マーク)から約8分
※京阪電車は大晦日の終夜運転を行います(京阪電車公式WebのPDF)
市バス「東山七条」バス停下車
・A乗場(青マーク)すぐ
・B乗場(緑マーク)から徒歩約2分
・C乗場(紫マーク)から徒歩約3分
※京都市バスの大晦日の終夜運転はありません(京都市交通局公式Web)
※市バス「東山七条」バス停は3か所。 乗車する市バスの系統で停車する場所が変わります
※JR西日本:12月31日は一部区間(大阪環状線・JR ゆめ咲線・万葉まほろば線)の臨時列車を運転(終夜運転なし 公式WebPDF)
詳しいアクセスを見る
大阪方面から
京阪
京阪「淀屋橋駅」・「北浜駅」・「天満橋駅」・「京橋駅」で特急[出町柳 行き] に乗車
⇒「七条駅」下車後、2番出入口から約8分
JR+市バス
JR「大阪駅」で新快速[京都方面 行き] に乗車
⇒「京都駅」下車後、京都駅前バスターミナル(京都タワー側)へ
| D2乗場 | 86号系統 清水寺・祇園・平安神宮 行き(東大路通の北行のバス停C乗場に停車) 206号系統 三十三間堂・清水寺・祇園・百万遍 行き(東大路通の北行のバス停C乗場に停車) |
|---|---|
| 下車 | 「東山七条」バス停C乗場下車、徒歩約3分で「智積院」 |
阪急+市バス
阪急「大阪梅田駅」で特急[京都河原町 行き] に乗車
⇒「京都河原町駅」下車後、四条河原町バス停へ
四条河原町バス停(GoogleMAP)は、A~Hの合計8か所。 行先によって乗車する停留所は違います。
| A乗場(青) | 86号系統 東山通 清水寺・京都駅・鉄道博物館 行き(七条通の西行のバス停B乗場に停車) |
|---|---|
| E乗場(橙) | 58・207号系統 清水寺・東福寺 行き(東大路通の南行のバス停A乗場に停車) |
| 下車 | 「東山七条」バス停A乗場からすぐ、B乗場から徒歩約2分で「智積院」 |
京都駅から
市バス
JR京都駅の中央口(京都タワー側)の前にあるのが京都駅前バスターミナル
| D2乗場 | 86号系統 清水寺・祇園・平安神宮 行き(東大路通の北行のバス停C乗場に停車) 206号系統 三十三間堂・清水寺・祇園・百万遍 行き(東大路通の北行のバス停C乗場に停車) |
|---|---|
| 下車 | 「東山七条」バス停C乗場下車、徒歩約3分で「智積院」 |
四条河原町から
市バス
四条河原町バス停(GoogleMAP)は、A~Hの合計8か所。 行先によって乗車する停留所は違います。
| A乗場 | 86号系統 東山通 清水寺・京都駅・鉄道博物館 行き(七条通の西行のバス停B乗場に停車) |
|---|---|
| E乗場 | 58・207号系統 清水寺・東福寺 行き(東大路通の南行のバス停A乗場に停車) |
| 下車 | 「東山七条」バス停A乗場からすぐ、B乗場から徒歩約2分で「智積院」 |
※ 京都市バスの掲載内容は京都市バス時刻表で確認してください。万が一、間違っていたとしても責任は負いかねます。予めご了承ください。
智積院 近くの観光&グルメ
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三十三間堂
京都のほとんどを戦渦に巻き込んだ応仁の乱にあって、千本釈迦堂 の本堂と共に焼失を免れたのが「三十三間堂」。その後も幾度となく難を逃れました。
お堂の内部の千手観音や中尊、風神雷神立像、二十八部衆立像に圧倒・感嘆させられました。
三十三間堂 (智積院から徒歩約4分)
京都国立博物館
智積院から徒歩約4分にあるのが「京都国立博物館」。
1897年5月に開館。主に平安時代から江戸時代にかけての京都の文化を中心とした文化財を収集・保管・展示するとともに、文化財に関する研究, 普及活動を行っている。(Wikipedia)
法住寺殿跡
智積院から徒歩約6分にあるのが「法住寺殿跡」。法住寺というお寺の門前にあります。
平安から鎌倉、平氏から源氏へと移りゆく中で、激動の時代を生き抜いた主人公の一人、それが後白河法皇(ごしらかわほうおう) 。
保元三年(1158)、子供の二条天皇に天皇の位を譲り、後白河上皇となり、院政のために造営した御所が「法住寺殿」。北は現在の六条通を延長した辺り、南は大谷高校辺り、東は東大路辺り、西は鴨川辺りの広大な地域に造営されました。ちなみに、蓮華王院の本堂(三十三間堂)も法住寺殿の一部でした。
豊国神社
智積院から徒歩約8分にあるのが「豊国神社」。
豊臣家の滅亡後、その廟社は徳川幕府により取り壊されましたが、明治十三年(1880)、旧方広寺大仏殿跡にあたる現在地に豊国神社が再建され、別格官幣社として復興されました。
方広寺
豊国神社境内のすぐ北にあるのが「方広寺」。
文禄4年(1595)に方広寺大仏殿がほぼ完成すると、東大寺の大仏(16m)を超える高さ18mの木製金漆塗の大仏坐像が安置されました。ところが、翌年の大地震で大仏が大破し、慶長3年(1598)には秀吉もこの世を去ってしまいます。その後、秀吉の子である秀頼が慶長17年(1612)に大仏を事実上完成させました。
しかし、徳川が梵鐘に刻まれた「国家安康君臣豊楽」(こっかあんこうくんしんほうらく)という銘文に言いがかりをつけ、豊臣家と戦を起こす「きっかけ」としたことは有名。
豊国廟
智積院から徒歩約25分にあるのが「豊国廟」。
豊臣秀吉の遺体は、生前に「京都を眺められるところに葬ってほしい。」との願いから、東山にある阿弥陀ケ峰(標高196,4m)の頂上に埋葬されました。阿弥陀ケ峰の頂上に巨大な五輪塔がひっそりと佇んでいます。




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