矢取地蔵尊 空海の身代りとなった?!

矢取地蔵尊 /京都 ブログ ガイド

矢取地蔵尊

 

「 矢取地蔵尊 」

羅城門跡 のすぐ横にあります。 本尊は矢取地蔵尊。

石像で右肩に矢傷の跡が残こり, 左手に宝珠, 右手に錫杖, 矢を持っています。 かつては矢負地蔵とも呼ばれました。 なぜ, ” 矢取地蔵 ” というのかは空海とそのライバルが関係しています。

空海と守敏 ( しゅびん )

桓武天皇 ( かんむてんのう ) は, 奈良の平城京で第50代天皇として即位しましたが, 第45代の聖武天皇 ( しょうむてんのう ) の頃, 災害 ・ 疫病や戦乱が度々起こったことで, 仏教を深く信仰していた時の聖武天皇は, 仏教の教えも借りて世を納めていこうとしました。

ただ, その結果として, 力を貸した東大寺や興福寺などの仏教勢力が, 当然政治にも口を出すようになってきました。 それらと縁を切るためにも, 桓武天皇は遷都が必要と考えたようです。 そして, 784年に長岡京, 794年に 平安京へ都が移されました。

新しい社長が前の社長の取り巻きを排除していくのはよくあること。 トップが変わるときは難しいなー。 桓武天皇も自分の思い通りにいかないのが相当嫌だったんでしょうね。 遷都までするんだから。

平城京での教訓を生かして, 新しい都では以前のように仏教勢力が政治的パワーを持たないよう平安京の中に, 国営寺院の「 東寺 」と「 西寺 」以外には, 寺を建立することが禁じられました。 この辺りが凄く徹底してますね。 桓武天皇は, ほんまに嫌やったんでしょうね (笑)

そして, 時は流れて弘仁十四年 ( 823 ) , 時の嵯峨天皇によって, 東寺は空海に, 西寺は守敏に与えられました。

平安京 そもそも, なんで京都が都に。

守敏は, 平安時代前期の僧。 出自については不詳である。 守敏僧都 ( しゅびんそうず ) と称される。 大和国石淵寺の勤操らに三論・法相を学び、真言密教にも通じた。 823年 ( 弘仁14年 ) 嵯峨天皇から空海に東寺が, 守敏に西寺が与えられたが, 空海と守敏とは何事にも対立していたとされる。 Wikkipedia

神泉苑の対決

天長元年 ( 824 ) , 日照り焼きで人々は飢えと渇きに苦しんでいました。 時の淳和天皇 ( じゅんなてんのう ) の勅命によって, 東寺の空海と西寺の守敏が, 神泉苑 の池畔で雨乞いの法会を行いました。

先に守敏が析祷するも雨は全く降らず。 対して, 空海が析祷すると三日三晩にわたって雨が続き, たいそう国土が潤ったそうです。 

守敏からしたら, 「 俺が先に祈祷して, 雨を呼び寄せておいてやったから, あいつが祈祷したら, 雨が降ったんだ ! あいつの力じゃない ! ! 俺の祈祷のおかげだ ! ! ! 」って思ったかどうかはわからないけど, この対決に負けたことで, 守敏は空海を深く恨むようになりました。

矢取地蔵尊 空海の身代わり

雨乞い対決で敗れて空海を恨んでいた守敏は, こともあろうに空海を羅城門の近くで待ち伏せて矢を射かけました。 逆恨みにもほどがある。

すると突然一人の黒衣の憎が現れ, なんと空海の身代わりとなって, 放たれた矢をその身に受けたそうです。 

空海の身代わりとなった黒衣の僧は, 地蔵菩薩の化身であったとされ, その後, 人々はこの身代わりの地蔵を ” 矢取の地蔵 ” と呼び, 羅城門の跡地であるこの地に地蔵尊を建立し, 長く敬ってきました。

※現在の地蔵堂は, 明治十八年 ( 1885 ) に, 唐橋村 ( 八条村 ) の人々によって寄進され建立されたもの。

西寺の衰退

西寺が無くなってしまったのは, 西寺のあった周辺の水はけが悪く, 住むのに適していなかったため住民がいなくなったことや, 国からの援助なくなってしまったこと, といわれています。 でも, 守敏が空海に神泉苑での雨乞いの法会に負けてしまったことが, 西寺が衰退していった遠因ではないかともいわれています。

矢取地蔵尊 まとめ

矢取地蔵尊 /京都 ブログ ガイド

守敏が逆恨みをして, 何らかの形で空海に危害を加えようと試みたのは本当なのかもしれないけれど, 身代わりの話は, 後世の作り話のような気がする。ただ, それほど空海と守敏の仲が悪かったんでしょうね。 雨乞いの対決は実際にあったことで, 空海が守敏に勝ったことも事実。

もし, 逆だったら, 東寺が無くなって, 西寺が今でも残っていたのかもしれませんね。

近くの観光スポット

羅城門跡

矢取地蔵尊 /京都 ブログ ガイド

矢取地蔵尊のすぐそばにあるのが, 「 羅城門跡 」。 羅城門は平安京の入口にあった正門で, 幅約50メートル,  高さ24メートル, 奥行き21メートルと推定。 弘仁七年 ( 816 ) に大風により倒壊し, その後再建されましたが, 天元三年 ( 980 ) の暴風雨で再び倒壊した後は再建されることがありませんでした。

西寺址

羅城門跡から西へ徒歩約7分, 羅城門跡を中心として, 東寺とちょうど対象の位置に唐橋西寺公園があります。 この辺りに守敏に与えられた「 西寺 」がありました。 今は, 公園の中の小高い山の上に「 史跡西寺址 」の石碑がひっそりと建っているのみ。 ちなみに, 西寺址のある唐橋西寺公園から北西に徒歩約2分のところに, 正真正銘の「 西寺 」があります。

東寺

西寺と対をなし, 平安京の表玄関にあった官制のお寺が「 東寺 」。 桓武天皇は, 寺の力が強く, 政治に口出しすることを嫌って奈良の平城京を後にしました。 そのため, 平安京の中にあるお寺は, 東寺と西寺だけでした。 矢取地蔵尊から東寺の南大門へは, 徒歩約4分。

矢取地蔵尊 アクセス

・ 近鉄 「 東寺駅 」 から徒歩約10分。
改札を出て右折。 目の前の九条通 ( 東西の通 ) の北側歩道を西へ向かいます。 大宮通 ( 南北の通 ) を渡ると右手には東寺。 五重塔が出迎えてくれます。 そのまま真直ぐ東寺と壬生川通 ( 南北の通 ) を通り過ぎると, 九条御土居の交差点。 ここから約80M行くと, 右手に矢取地蔵尊があります。 すぐそばには羅城門跡もあります。

・ 京都市バス 「 羅城門 」 バス停下車すぐ。

所在地 : 京都府 京都市 南区 唐橋羅城門町1

人気のある記事はこちら




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA