阿弥陀寺 織田信長・信忠父子の墓所

阿弥陀寺 / 京都ブログ ガイド

阿弥陀寺

 

「 阿弥陀寺 」

山中鹿之助の墓所のある「 本満寺 」から寺町通を約200m北へ上った所。

この辺りもお寺が点在しているので、 ややこしいけど、 寺の門前に「 織田信長公本廟 」という碑が建っているので、 すぐに見つけられます。



阿弥陀寺について

阿弥陀寺 / 京都ブログ ガイド

蓮台山という浄土宗の寺院 。本尊は、※ 丈六の阿弥陀如来。

※像の高さが一丈六尺( 4.8m )という意味

阿弥陀寺は、天文年間( 1532 ~ 1554 )に清玉上人によって創建されました。当初は、西ノ京蓮台野芝薬師西町( 現在の今出川大宮東 )に八町四方の境内と塔頭十一ヶ寺を構えていました。

当時の正親町( おおぎまち )天皇は、清玉上人に深く※1 帰依し、東大寺大仏殿の※2 勧進職( かんじんしき )に命じ、阿弥陀寺を※3 勅願所としました。

※1 拠り所にするという意味。
※2 造営修理にあたる最高責任者の名称
※3 国家鎮護などを祈願した神社や寺院。

京都四十八願寺巡拝の十六番札所で、天正十五年( 1587 )蓮台野から寺町今出川上ルの所へ移され、現在に至っています。

織田信長 ・ 信忠の墓所

また、 清玉上人は、織田家とも深い親交があり、天正十年( 1582 )六月二日の本能寺の変の時、本能寺へ駆けつけ、織田信長 ・ 信忠父子及び家臣百有余名の遺骸を阿弥陀寺に埋葬したといわれています。

本堂には、 織田信長 ・ 信忠父子の木像等が安置されています。

織田信長 ・ 信忠の墓所への行き方

阿弥陀寺 / 京都ブログ ガイド

本堂に向かって左側に墓地への小道があります。

阿弥陀寺 / 京都ブログ ガイド

案内板前の小道を進むと墓地の入口。

阿弥陀寺 / 京都ブログ ガイド

墓地に入って正面に織田信長・信忠の墓があります。

信長親子の墓 / 京都ブログ ガイド

二つ並んでお墓があります。

森蘭丸墓 / 京都ブログ ガイド

側には森蘭丸の墓も。

森蘭丸は、安土桃山時代の武将で、織田信長の※ 近習。本能寺の変で織田信長と2人の弟と共に討死しました。 ※ 主君のそば近くに仕える者。

寺町通

阿弥陀寺のある寺町通はその名の通り、「 お寺 」がたくさんあるので、 名付けられました。

織田信長 ・ 信忠父子が非業の死を遂げてしまった後に天下を統一したのが秀吉。

秀吉は、 応仁の乱などで荒廃していた都の整備の一環として、 外敵や洪水などから都を守るために、 京都を「 ぐるっと 」囲む土塁( 御土居 )の建設に着手。

その土塁は、 東は鴨川、 西は天神川、 南は九条辺り、 北は鷹ケ峯に沿って築かれ、 土塁の内側を洛中、 外側を洛外と呼びました。

要所には、 七口といわれる出入口を設けました。 鞍馬口、 丹波口などの地名はその名残。

そして、 都を囲む御土居の建設と並行して行われたのが、 京都各所に点在していたお寺を、 ※ 東京極大路( ひがしきょうごくおおじ )に集めること。 現在の寺町通です。

お寺を南北の通りに集めたのは、 東から京都へ攻めてくる軍勢に対する防衛の意味があったよう。 寺院は 応仁の乱 でも軍勢の本陣などに利用されました。

戦時には城とまではいきませんが、 塀で囲まれており、 一定の防御力もあったと考えられます。また、税の徴収に便利であったからともいわれています。

※ 平安京の昔、 寺町通の三条通より北は東京極大路 ( ひがしきょうごくおおじ ) と呼ばれていました。「 京極 」とは ” 京の果て ” という意味。

当時この辺りは鴨川の河原で、「 京極 」から東は、 人の住むところではないと考えられていたようです。

ちなみに、西の ” 京の果て ” は、「 西京極 」。 阪急電鉄京都線の駅名にもなっています。





所在地 : 京都府 京都市 上京区 寺町通 今出川上 ル鶴山町 14




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