「 宇治神社 」
仏の救いも全ての人に対して等しく与えられることを意味して名付けられた世界遺産 平等院。
そこから宇治川の方へ歩いておよそ1分のところにあるのが宇治公園。
宇治川沿いと中洲に公園が整備され、宇治市民と観光客の憩いの場になっています。
中洲を渡る風を感じながら対岸へと架かる朝霧橋をへ向かいます。
橋の上で宇治川の速い流れに目が眩みながらも、向こうにハッキリと見てとれる朱塗りの鳥居。
目指す「宇治神社」が近づいて来ます。
悲劇から生まれた仁徳天皇
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世界遺産に登録されている「百舌鳥・古市古墳群(もず ・ ふるいちこふんぐん)」。
その中でも日本最大の古墳が「仁徳(にんとく)天皇陵」。
ただ仁徳天皇は、兄思いの弟がいなかったら、存在しなかったかも?!
その当時(古墳時代)は、兄弟の若い者が継いだ方がより長く務めることができる。との考えから、弟の宇治神社 祭神の菟道稚郎子命(うじのわき いらつこの みこと)は、父親の応神天皇(おうじんてんのう)によって、次期天皇に決められていました。
でも実のところ、兄の大鷦鷯尊(おお さざきの みこと 後の仁徳天皇)を差し置いて自分が皇位に就くことに、ひどく頭を悩ませていました。
そして、310年に父親の応神天皇が亡くなった後、天皇を継ぐことになっていた菟道稚郎子命(うじのわき いらつこの みこと) は、兄の大鷦鷯尊(おお さざきの みこと 後の仁徳天皇)に、
「兄上が天皇になってください!」とお願いするけど、兄もまた「もう決まっていることだから、変えるわけにはいかない!!」と言って、応じませんでした。
しばらく互いに譲合いが続いた後の312年、
このままではいけないと思った弟の菟道稚郎子命が、最終手段に訴えてしまいます。
なんと、自らの命を絶ち、兄に天皇の座を譲ったのです!!
仁徳天皇は、弟の自殺という悲劇から生まれた天皇だったんです!!
応仁の乱が勃発したキッカケが物語るように、兄弟の間での継承問題は、どちらも「私が、継ぎたい!」といって互いに譲らず揉めるのが普通と思っていたけど、「あなたが、継いでください!」とお互いが譲り合うのは、本当に稀なケースですね。
宇治神社について
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宇治神社のある辺りは、※応神天皇(おうじんてんのう)の離宮があったところで、その皇子 菟道稚郎子命(うじのわき いらつこの みこと)を祀ったのが宇治神社の始まり。
※第15代天皇で、誉田別命(ほんだ わけの みこと)とも。八幡神(はちまんしん)として武家の崇拝が篤い。
宇治神社 ご利益
菟道稚郎子命(うじのわき いらつこの みこと)が、幼いころから聡明で学問もできたことから「学業成就」「試験合格」祈願のほかに、「安産成就」、「方位除け」の神様として信仰を集めています。
宇治神社 神使の兎
宇治神社 祭神の菟道稚郎子命(うじのわき いらつこの みこと)が、宇治神社のある辺りへ引越しで向かう途中、道に迷っているときに、どこからともなく現れた一羽の兎が道案内をしたことから、宇治神社では兎が神様のお使いとされています。
宇治の由来
もうみんな気付いていると思うけど(^^)、菟道稚郎子命(うじのわき いらつこの みこと)の「菟道」という字は、後に「宇治 うじ」という字になったともいわれています。
ちなみに、宇治には菟道(とどう)という地名があります。
宇治神社 アクセス
・京阪宇治線 宇治駅 徒歩約5分
・JR奈良線 宇治駅 徒歩約15分
ちょっと寄り道。
菟道稚郎子命うじのわき いらつこの みこと)陵
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住宅街の一角にあるかなり大きな陵墓。
宇治の地名の元になった悲劇の皇子 菟道稚郎子命(うじのわき いらつこの みこと)が偲ばれます。
京阪電車「三室戸駅」下車、徒歩約2分。
近くの観光スポット
宇治上神社
宇治神社から徒歩約2分にあるのが「宇治上神社」。明治維新までは宇治神社と二社でひとつの神社として扱われていました。宇治上神社が「離宮上社(かみしゃ)」、宇治神社が「離宮下社(しもしゃ)」と呼ばれていました。
本殿(国宝) は、現存する日本最古の神社建築で、平安時代後期に伐採された木材を使用していることが確認されています。そして「年輪年代測定法」によって康平三年(1060)に建立されたと推測されます。
京都にある神社は応仁の乱などで被災してしまい、ほとんど江戸時代以降のものが多いから、平安時代に建築された宇治上神社の本殿や拝殿(国宝 鎌倉時代) は、本当に貴重。一見の価値ありです。
平等院
宇治神社から徒歩約5分にあるのが「平等院」。光が全ての人を分け隔てなく等しく照らしているように、仏の救いも全ての人に対して等しく与えられることを意味して名付けられたのが「平等院」。世界遺産に登録されています。
宇治神社 まとめ
平安時代に平等院ができる遥か前からある宇治の産土神(うぶすながみ) の神社。
宇治川に架かる朝霧橋を渡って宇治神社へ向かうと、宇治川の速い流れで体が清められていくように感じます。
兄弟で互いに天皇の座を譲合い、ついには弟が兄のために自害してしまうという悲劇が起きてしまったことが、非常に印象に残りました。
自分の命と引き換えに、兄へ天皇を譲った弟の菟道稚郎子命(うじのわき いらつこの みこと)が「宇治」の由来であることも、宇治神社に来るまで全く知らなかった。
そして、その譲った兄が仁徳天皇。
大阪 堺にある世界遺産の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の仁徳天皇陵は、関西に住んでいる人間にとってはとても馴染み深い。
京都 神社仏閣 関連リンク
所在地 | 京都府 宇治市 宇治山田 1 |
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電話 | 0 7 7 4 - 2 1 - 3 0 4 1 |
祈祷受付 | 16:00まで 宇治神社ホームページ |
※ 参拝時間 ・ 受付時間等は変更されることがありますので, 神社にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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