妙蓮寺 赤穂義士遺髪の墓 京都市 上京区

妙蓮寺 / 京都 ブログガイド

妙蓮寺

 

「 妙蓮寺 」

京の都で11年間にも及ぶ長い間続いてしまった「 応仁の乱 」。

激戦地 百々橋の合戦跡 から、 堀川通を隔ててすぐ西にあるのが、「妙蓮寺」。

寺之内通堀川西入ルにあります。

赤穂義士

元禄十四年 ( 1701 ) 勅使下向の接待役であった赤穂藩主 浅野長矩が、 城中典礼の儀で、 恥をかかせた吉良上野介を刀で斬りつけるという事件を起こしました。

この事件で、 浅野長矩は切腹。

主君の仇を討つために、 赤穂藩の家臣大石内蔵助ら 四十七人が、 吉良邸に討ち入り吉良上野介を打ち取りましたが、 罪により切腹となりました。

赤穂義士遺髪の墓

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その四十六人の遺髪を、 同志であった寺坂吉右衛門が赤穂城下への帰路道中に、 京都伏見に住む片岡源五右衛門の姉宅に立ち寄り、 当時の事情により遺髪を託しました。

赤穂義士遺髪の墓 / 京都 ブログガイド

赤穂義士の遺髪は、 主君の三回忌にあたる元禄十七年二月四日、 この姉が施主になり菩提寺である妙蓮寺に墓を建立して納められました。

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以降、 三百年の風雪によって痛みが激しいため平成十四年二月四日に、 再建。

妙蓮寺について

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法華( 日蓮 ) 宗 京都二十一ヶ寺の本山で、 日蓮上人の孫弟子 日像上人を開基とします。

永仁二年 ( 1294 ) に、 造酒屋の柳屋仲興が日像上人に帰依して、 西洞院五条の邸宅を寺に改めて、 柳寺と称したのが始まり。

応永年間 ( 1420年頃 ) に、日存、 日道、 日隆、 日慶らが、 大宮通四条下るに伽藍を移築造営して、 妙蓮寺と名前を改めました。

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その後、 度々移転し、天正十五年 ( 1587 ) 、 豊臣秀吉の聚楽第造営の時、 現在地に 遷されました。

玄関、 奥書院の襖絵は、 長谷川等伯一派の筆といわれる濃彩の金碧画で、 庭内にある奇石と共に秀吉が寄進したものと伝えられます。

他に、 本阿弥光悦の写筆による立正安国論 ( 重要文化財 ) もあります。

妙蓮寺ホームページ

所在地 : 京都府 京都市 上京区 妙蓮寺前町 寺之内通大宮東入ル

電話 : 075 - 451 - 3527

上ル下ル西入東入について

※ 拝観時間 ・ 拝観料等は変更されることがありますので、 寺院にご確認ください。 万が一、 間違っていたとしても、 責任は負いかねます。 予めご了承ください。

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