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京都 珍しい由来の地名・町・呼び名 全部知っていたら京都通

京都 珍しい由来の地名 / 京都観光旅行ガイド

京都は本当に珍しい由来の地名や町名、呼び名がたくさんあります。

代表的な珍しい由来の地名や町名、呼び名をあげてみました。

全部知っていたらかなりの京都通 (^^)

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  • 学生時代から京都大好き
  • 20年以上京都・大阪で観光関係の仕事
  • 今は家族の理由で大阪在住。
  • その前は祇園祭の鉾町在住。
  • 一児の父さん。
目次

天使突抜

天使突抜 / 京都ブログガイド

日本全国探してもこんな珍しくてオシャレな地名 ( 町・通り ) は絶対にないでしょう。

これで「てんしつきぬけ」と読みます。

読み方はそんなに難しくないけど、由来が変わっています。

豊臣秀吉が天下統一を果たした後に、戦乱で荒れ果てた京都の街の改造計画の一環として「新しい道」を造ったことにより生まれた地名です。

早い話、秀吉のゴリ押しで出来た新しい道を皮肉を込めて京都人が別名で呼び始めたことが由来です。

話すと長くなるから興味のある人は下記を読んでください (^^)


桑原町

くわばらくわばら 京都 桑原町 / 京都 ブログ ガイド

桑原町の由来もめずらしい。北野天満宮の祭神 菅原道真が関係しています。

無実の罪で太宰府に左遷され、失意の中で亡くなった菅原道真は死後に京都へ舞い戻って厄災や雷を落とす怨霊と考えられていました。

平安京の内裏にある清涼殿が落雷を受けて、多くの死傷者が出たことも。

なぜ、太宰府に左遷させられたかについては下記を読んでください。

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ここで出てくるのが桑原町。御所の南にある京都地方裁判所の一部と丸太町通の道路上のごくわずかな範囲。

実はこの場所に生前の菅原道真の屋敷があり、この辺りだけは雷の被害が全くなかったそうなんです。

当時の都の人々は、その事実から雷が鳴ると「くわばら くわばら」と唱えたんだそう。

そのことから、桑原町は災難や禍事などが自分の身にふりかからないように唱える「くわばら くわばら」の由来になったといわれています。※諸説あり

ちなみに、菅原道真の魂を鎮めるためにできたのが北野天満宮。学問の神様として認知されてきたのは江戸時代から。それまでは京都を守護する神様として崇められていました。


轆轤町

轆轤町 / 京都ブログガイド

六波羅蜜寺があるところが「轆轤町 ( ろくろちょう ) 」。

ちょうど清水寺へ向かう松原通が近くを通っています。

京都は清水焼が有名だから、清水焼に由来しているのでは?と思うかもしれないけど、全く違います。


西院 

西院 / 京都 ブログガイド

西院と書いて「さい」と読みます。または「さいいん」。

平安の昔、西院から西は人が住む場所ではないと考えられ、賽の河原があったといわれています。

その賽の河原が由来となったのが「西院 ( さい ) 」といわれています。※諸説あり


帷子ノ辻

帷子ノ辻 / 京都ブログガイド

京都市右京区太秦帷子ケ辻町にある嵐電「帷子ノ辻駅」前の交差点

嵯峨天皇の皇后だった橘嘉智子 (たちばな の かちこ)。

京都の嵯峨野に、日本最初の禅院 檀林寺を創建したことから檀林皇后 (だんりんこうごう)と呼ばれるようになりました。

檀林皇后は絶世の美女で、修行中の僧侶でさえ目を奪われるほどであったそう。

仏教に深く帰依した檀林皇后は自らの死に臨み、「自分の亡骸は、その辺の辻に捨て置きなさい。」と遺言しました。

形あるものはすべて滅び、やがては土に帰っていく。この世に永遠のものなど無い。という「諸行無常」の教えを自分の死を持って実践しようと考えたのかもしれません。

その檀林皇后が捨て置かれた辻が「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」といわれています。

帷子とは裏地のない衣服(一重の着物)で、檀林皇后がまとっていた死に装束です。

蹴上

蹴上 / 京都ブログガイド

蹴上には2つの由来があります。

平安時代後期, 16歳の牛若丸 ( 源義経 みなもとのよしつね ) が, 京の都から奥州へ旅立つ時のこと。

現在の蹴上辺りで, 平家の関原与一ら九人とすれ違い, その中の1人の乗っていた馬が「蹴り上げた」泥水が義経にかかったことがきっかけで乱闘になり, 全員切り殺してしまったことが「 蹴上 ( けあげ ) 」の由来になったという説。

もう一つは、その昔この蹴上の上にある九条山に粟田口刑場があり, 嫌がる罪人を「蹴り上げて」刑場まで連れていったというエピソードから名付けられた。 という説。

そして、この九条山の粟田口刑場の近くにあるのが京都市山科区にある『日ノ岡ホッパラ町』。

粟田口刑場で処刑された罪人の遺体を「ほっぽらかして」いたことが由来。※諸説あり

西陣

西陣 ぬりかべのような石碑

西軍と東軍の2つの勢力に分かれて, 10年以上も京都で争った応仁の乱。

西陣とは, 一方の総大将 山名宗全率いる勢力が, もう一方の細川勝元の勢力と戦うため, その軍勢の陣地を造ったこと。

堀川通より西に位置していることから名づけられました。

ちなみに、西陣という地名があるわけではなく、単に特定のエリアを指すだけの呼び名です。


東陣

京都 東陣跡2/京都 ブログガイド

西陣があるから当然「東陣」もありました。

由来は西陣と同じで、東軍の細川勝元が陣を置いたことと堀川通より東にあることに由来しています。

ただ、東陣という呼び名は西陣とは違い、歴史から消え去ってしまいました。


千本通

千本通 / 京都 ブログガイド

千本通の由来も珍しい。

平安時代には千本通は平安京のメインストリートの朱雀大路。

でも、平安京の中心部である内裏と大内裏が鎌倉時代に現在の御所に移ったことで朱雀大路が廃れてゆきました。

やがて、朱雀大路は平安京の風葬地である蓮台野へ死者を送る道となっていったそう。


衣笠

京都 衣笠 / 京都 ブログガイド

京都の衣笠といえば, 京都市北区で, 船岡山の西方, ちょうど西へ向かう北大路通 ( 東西の通り ) が南へ曲がって西大路通になるところの周辺。

左大文字が灯される大文字山の麓にあります。

平安時代には, この辺りの近くは上で書いた蓮台野と呼ばれる亡くなった人を置いておく風葬の場所でした。

蓮台野では野ざらしの亡骸に布や笠等を掛けて覆い隠していたそう。

そのことから、”ころも”に”かさ”で「衣笠 ( きぬがさ )」 という地名になっていったと考えられています。

そして、もう一つは宇多天皇 ( 在位 887 ~ 897 ) の無理難題に由来します。


閻魔前町 

閻魔前町 / 京都 ブログガイド

前述の平安京の風葬地である蓮台野。その入口辺りが現在の千本鞍馬口辺りです。

この辺りは、当時この世とあの世の境と考えられていました。そこにあるのが「千本ゑんま堂」。

この世とあの世の境にある千本ゑんま堂では、毎年8月7日 ~ 15日に, “迎え”の鐘を撞いてご先祖の霊をお迎えし、8月16日に “送り”の鐘を撞いてご先祖の霊をお送りします。

そして、千本ゑんま堂の本尊は、なんと「閻魔法王」。

昼間は天皇に仕え、夜は閻魔大王に仕えていたとされる小野篁( おののたかむら )が開きました。

この千本ゑんま堂のあるのが「閻魔前町」なんです。

この小野篁には紫式部との変わったエピソードもあります。

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京都 珍しい由来の地名 まとめ

どうでしたか。京都の珍しい由来の地名・町・呼び名。

「天使突抜」っていう町名・地名は間違いなく京都だけだと思います。

こんなところから手紙が来たら二度見しそう(笑)




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