「 御霊神社( 上御霊神社 ) 」
戦国時代が始まる「きっかけ」ともいわれる応仁の乱。
その応仁の乱発端の地として知られているのが「御霊神社(ごりょうじんじゃ 上御霊神社)」。
4月下旬から5月中旬頃には空堀や境内に一初(いちはつ)が咲き誇ります。
御霊神社 一初(いちはつ)

2025年5月7日撮影
御霊神社を取り囲む空堀で一初(いちはつ)が咲き誇ります。

もう少し早く訪問していれば、ツツジとの共演も楽しめたかも。

風にそよぐ青紫の可憐な花びらが楽しめる。

空堀だけじゃなく、御霊神社の境内のいたるところに一初(いちはつ)が植えられています。
一初(いちはつ)

アヤメ科の中でいち早く咲くから「一初いちはつ」といわれています。

見ていて惚れ惚れするくらい花弁が複雑な形をしている。
青紫の花が風に揺れる姿は、触れると壊れてしまいそうなくらい儚く、高貴で美しい。
アヤメ・カキツバタ・ハナショウブの違い
3種類ともアヤメ科アヤメ属だから似ているのは当然といえば当然。
花弁の模様
花弁で見分けるのが一番確実。


アヤメは花弁の根元が「網目状の模様」になっています。


カキツバタは花弁の根元に「白い線」が入っています。


ハナショウブは花弁の根元に「黄色の模様」が入っています。



花自体が黄色だからわかりにくいけど。
※ちなみに、菖蒲湯等に使われるショウブはショウブ科に分類される別種の植物。
生息場所
アヤメは乾いたところ、カキツバタは湿地帯、ハナショウブは乾燥地から水辺。



ハナショウブが、どちらにも生息するからややこしい。
御霊神社 応仁の乱発端の地


2017年、応仁の乱勃発から550年の節目ということで、境内に石碑が新たに建立されました。
石碑の表字は応仁の乱の東軍総大将細川勝元の末裔である元首相の細川護煕氏が書かれたもの。
文正二年(1467)、正月十八日朝、御霊の森(上御霊神社境内)で応仁の乱は始まってしまいました。
その年の三月に年号が「応仁」に改められ、細川・山名の両陣営はそれぞれに味方を集め、五月から京都市上京区辺りを中心にして、東西両軍の全面戦争に突入。
これから11年間にも及ぶ長い戦乱が始まることに。
御霊神社 (上御霊神社)について


祭神として崇道(すどう)天皇、吉備真備(きびのまきび)、橘逸勢(たちばなのはやなり)をはじめ、十三柱を祀っています。
御霊神社の場所には上出雲寺というお寺がありましたが、平安京遷都に際し、桓武天皇の願いによって、王城守護の神様として奈良時代・平安時代初期に不運のうちに亡くなった八柱を祭神として祀りました。
御霊神社 アクセス
京都市地下鉄「鞍馬口駅」下車西へ徒歩約3分のところにあります。
近くの観光スポット
近くの観光スポット
相国寺
御霊神社から徒歩約3分。
現在は4万坪ですが、創建当時は132万坪(4363636.364㎡) 。甲子園球場(総面積:約38,500m²) のおよそ113個分。(出典 :阪神甲子園球場Webサイト)
現在も境内の中を横切っているのは「上立売通」 。歩行者と自転車のみが通行可能で、生活道路になっています。
阿弥陀寺
御霊神社から徒歩約5分。
阿弥陀寺を創建した清玉上人と織田家は深い親交があり、天正十年(1582)六月二日の本能寺の変の時、本能寺へ駆けつけ、織田信長・信忠父子及び家臣百有余名の遺骸を阿弥陀寺に埋葬したといわれています。
本満寺
御霊神社から徒歩約7分。
美しい枝垂れ桜が見られることで有名なのが、「本満寺」
枝がお椀をひっくり返したように、丸く放射状に下へ垂れています。桜の下から枝垂れを眺められるのも本満寺のしだれ桜の嬉しいところ。まるで桜のシャワーが降ってくるような感覚です。
幸神社
御霊神社から徒歩約10分。
平安京遷都前からの歴史ある社が、「幸神社(さいのかみのやしろ)」。住宅に囲まれながら、ひっそりと佇んでいます。 周りは住宅だけど、一歩社の中に足を踏み入れると厳かな空気が漂います。
神社として規模は小さいものの、その役目は重要そのもの。
御霊神社 いちはつ まとめ
御霊神社は、「応仁の乱」の発端の場所として有名。
そして、4月下旬から5月中旬頃には空堀や境内のあちこちで一初(いちはつ)が楽しめます。
駅からは近いけど、京都の中心部から少し離れているせいか観光客は少なめ。
静かな空気の中で、歴史の息吹を感じられます。



御霊神社の境内では、近くの人が思い思いくつろぎの時を過ごしています。
京都 神社仏閣 関連リンク
京都 ご利益 めぐり
所在地 | 京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495番地 上ル下ル西入東入について |
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電話 | 075-441-2260 御霊神社(上御霊神社) |
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