「 菅原院天満宮神社 」
菅原院天満宮神社は, 京都御所のすぐ西, 烏丸通下立売下ルにあります。
この地に菅原家の邸宅があり, 菅原道真の生まれた場所と言われています。

※ 諸説あり
菅大臣神社 ( 京都市下京区 ) 説, 菅原院天満宮神社 ( 京都市上京区 ) 説, 吉祥院天満宮 ( 京都市南区 ) 説, 菅生天満宮 ( 堺市美原区 ) 説, 菅生寺 ( 奈良県吉野郡吉野町 ) , 菅原天満宮 ( 島根県松江市 ) 説, 奈良市菅原町周辺説, などなど, ビックリするくらいの数ですね。 ( Wikipedia )
菅原院天満宮神社 菅原道真生誕の地
菅原院天満宮神社 菅公御産湯の井

門をくぐって右へ進むと 「 菅公御産湯の井 」 があります。

結構, 豊富に湧き出しています。
京都の地下には, 琵琶湖と同じくらいの水量の地下水があるといわれています。

持ち帰り専用の蛇口。
毎日飲んでいたら, 頭がよくなりそうですね (笑)
「 美しや 紅の色なる 梅の花 阿呼が顔にも つけたくぞある 」
菅原院の庭に咲き誇る梅の花を見て, 五歳の時に菅原道真が読んだ詩。
菅原院天満宮神社 本殿

菅原道真と共に, 父是善 ( これよし ) , 祖父清公 ( きよきみ ) をお祀りしています。
梅丸大明神

ご利益は, 癌封じ ・ はれもの等の病 ・ 皮膚病 ( アトピー等 ) 。
戸隠社

祭神は, 戸隠大神。 ご利益は, 歯痛止め, 口腔関係の病の除け。
祭神は, 九頭竜 ( くずりゅう ) 大神。
ご利益は, 良縁 ・ 雨乞い。
菅原院天満宮神社 アクセス
地下鉄「 丸太町駅 」から徒歩約2分。
烏丸通下立売下ルにあります。
関連情報
北野天満宮について

北野天満宮とは, 今は, 学問の神様 菅原道真 ( すがわらのみちざね ) を祀る神社。 京都で学業成就 ・ 合格祈願のご利益といえば, 「北野天満宮」。 というか日本全国で。 日本中に約12000社ある菅原道真を祀る天満宮の総本社です。
京都に来る修学旅行生だけじゃなく, 子供さんやお孫さんの学業成就 ・ 合格祈願で訪れる方もいるんじゃないでしょうか。
学問の神様になったのは江戸時代
元々は, 怨霊と思われていた菅原道真の魂を鎮めるために, 北野の地に神様としてお祀りしたたのが北野天満宮の始まり。 その後は京の都を守護する神様となっていきました。 それが, 学問の神様として崇められるようになったのは, 江戸時代になってから。
道真は学者の家系に生まれ, 小さいころからめちゃめちゃ頭が良かったそう。 江戸時代に普及した寺子屋に, 頭の良かった道真が「 天神さま 」として祀られたり, 道真の姿を描いた掛け軸などが掲げられたりすることによって, 次第に, 『 学問の神様 』として崇められていったと考えられています。
学業成就 ・ 合格祈願の他にも, 芸道上達もご利益があります。
菅原道真とは

異例の大出世
じゃあ, なんで, そんな頭のめっちゃ良い菅原道真が怨霊となってしまったのか ? ここからは, 道真の人生をたどっていきます。
時は, 桓武天皇が平安京へ遷都 ( 794年 ) してから, だいたい100年くらいの頃。 学者の家系に生まれた道真は小さいころから頭がよく, 詩や歌も得意だったそう。
朝廷で, 順調に出世していき, 時の宇多天皇の目に留まり, 厚い信頼を得て, 家格を超えた要職にも就くようになりました。
当時は, 家柄 ・ 身分がめっちゃ幅を利かせていたんでしょうね。 しきたりや慣習を超えて, 異例の出世をしていったようです。
身分 ・ 家柄を超えて要職に就くようになった菅原道真。 この当時, 皇室の一族である藤原氏が朝廷内で権勢を振るっていましたが, 宇多天皇は藤原氏を抑える意味でも道真を重用したよう。
宇多天皇が, 醍醐天皇へ天皇の位を譲った後でも, 道真は昇進を続け, 昌泰2年 ( 899 ) , ついに右大臣にまで昇進して, 左大臣の藤原時平と肩を並べるまでになりました。
藤原氏との勢力争い
しかし, 道真の身分を超えた ( 家格を超えた ) 昇進に嫉妬する者や, 藤原氏との政治対立などが顕在化。
現代でもありますよね。 時の権力者に認められて大抜擢されるけど, 周りから妬みや恨みを受けてしまうってこと。 道真もそれ。
強力なライバルへと成長してきたことに大きな危機感を持っていた藤原陣営によって, ある噂が流されます。
道真が, 醍醐天皇を退位させて, 自分を取り立ててくれた宇多天皇の第三皇子の斉世親王 ( ときよしんのう ) を新しい天皇にしようと企てている ! というものでした。
この噂が真実味を帯びているのは, 道真は斉世親王の元へ自分の娘を嫁がせていたので, 娘婿を天皇にすることで, 自分の権力基盤を絶対的なものにしようとしている。 という印象を与えていること。
無実の罪で左遷
この噂が元で, 道真は罪に問われて, 九州の大宰府へ左遷されてしまいました。
無実の罪で左遷される道真は, さぞ悔しかったことでしょう。
そして, 大宰府への左遷から2年後の延喜3年 ( 903 ) 2月25日に, 失意のうちに大宰府で亡くなりました。 享年59。
菅原道真が亡くなった後
最大のライバル 菅原道真が居なくなって, 藤原時平とその一門は, ホッと一息。 これからは藤原氏の思うがままって思っていました。 ところが, そうはいきませんでした。 人間なら対処できるだろうけど ・ ・ ・ ・ 。
道真の死後, 京の都では災害や落雷の被害が相次いだり, 道真を失脚させた関係者が次々に亡くなりました。
延喜9年 ( 909 ) には, 藤原時平自身が39歳の若さでで病死。 延長8年 ( 930 ) には, 平安京の内裏 ( だいり ) にある清涼殿が落雷を受けて, 多くの死傷者が出た上に, 3ヶ月後に醍醐天皇も崩御。
都の人々は, これらが道真の祟りだと恐れおののき, 天暦元年 ( 947 ) 菅原道真の魂を鎮めるために, 北野の地に神様として祀ることになりました。 それが, 今の「 北野天満宮 」。
菅原道真は, 元々は学問の神様ではなく, なんと, ” 怨霊 ” だったんです ! !
くわばらくわばら 由来
菅原道真は, 無実の罪で京の都から博多の太宰府に左遷され, 2年後にそこで失意のうちに亡くなった。ということは前に書きました。
そして, 菅原道真の死後に, 京の都では度々落雷の被害も出たそう。 延長8年 ( 930 ) には, 平安京の内裏 ( 天皇の住まい ) にある清涼殿にも雷が落ちて, 多くの死傷者が出てしまいました。
当時の人々は, 口々に無実の罪で左遷され亡くなってしまった「 道真の祟りや ! 」と恐れおののきました。 そして, ある事実から落雷を避けるために, 「 くわばらくわばら 」と唱えるようになったんです。
菅原院天満宮神社から徒歩約9分にあるのが, 「 京都 桑原町 」。 「くわばらくわばら」 の由来になったといわれています。
文子天満宮

京都市営地下鉄烏丸線「 五条駅 」から徒歩約3分, 京都市下京区の間之町通 ( あいのまちどおり ) 花屋町下ルにあるのが, 「 文子天満宮 」。
菅原道真の没後 ( 北野天満宮ができる前 ) に, 道真の乳母であった多治比文子 ( たじひのあやこ ) が「 われ ( 道真 )を右近の馬場に祀れ 」との道真の託宣 ( たくせん ⇒ お告げ ) を受けたそう。
でも, その時の文子は貧しく, 社殿を建立することができなかったので, 右京七条二坊の自宅に小さな祠を建てて, 道真を祀ったといわれています。 これが, 北野天満宮の前身ともいわれています。
京都 神社仏閣 関連リンク
京都 ご利益 めぐり
所在地 | 京都府 京都市 上京区 堀松町 408 上ル 下ル 西入 東入について |
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電話 | 0 7 5 - 2 1 1 - 4 7 6 9 菅原院天満宮神社ブログ |
※ 参拝時間 ・ 受付時間等は変更されることがありますので, 神社にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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