【国宝の指定が決定】南禅寺水路閣・インクラインと重要文化財、周辺観光スポットをめぐるモデルコース
2025年5月16日、「琵琶湖 疏水施設」の5か所が国宝、関連施設を含む24か所が重要文化財に選ばれました。
今回は、その国宝「南禅寺の水路閣」や「インクライン」、国宝周辺の観光スポットをめぐるモデルコースを案内します。
【国宝モデルコース】南禅寺水路閣・インクライン
京都市地下鉄「蹴上駅」1番出入口⇒ねじりまんぽ⇒南禅寺水路閣(国宝)⇒南禅寺⇒琵琶湖疏水記念館⇒インクライン(国宝)⇒インクライン船溜⇒蹴上義経地蔵⇒本願寺水道水源地(重要文化財)⇒日向大神宮

行程は約2.45kmで、歩くだけなら約30分。
国宝の南禅寺水路閣やインクラインなどを楽しみながら、1時間もあれば十分廻れます。



南禅寺や日向大神宮で時間を費やしたとしても、2時間もあれば十分でしょう。
南禅寺の水路閣・インクラインが国宝に指定
南禅寺の境内にある「水路閣」やインクラインが国宝に指定。
明治以降の近代建築が国宝に指定されるのは初めてのこと。
詳細は「琵琶湖疏水施設 国宝・重要文化財への指定について」京都市下水道局Web
国宝
南禅寺水路閣 京都市
インクライン 京都市
第一隧道(すいどう) 京都市・滋賀県大津市
第二隧道 京都市
第三隧道 京都市
重要文化財
蹴上発電所旧本館 京都市
本願寺水道水源地 京都市
大津閘門(こうもん)及び堰門(せきもん)滋賀県大津市
大津運河
他
ねじりまんぽ


地下鉄「蹴上駅」から南禅寺へ向かうときに通るトンネル。
明治二十一年(1888)6月完成。
「まんぽ」とはトンネルを意味する古い言葉で、ねじりまんぽは「ねじりのあるトンネル」という意味。
トンネル内側の壁は強度アップのため煉瓦が斜めにねじれて組み上げられていて、トンネル自体も上を通るインクラインと直角ではなく、斜めに通されているのが特徴。
これは台車に乗せた船が行き交うインクラインの重さに耐えきれず、崩落しないようにした明治時代の土木技術を物語る貴重な遺産のひとつです。
南禅寺水路閣 (国宝)





国宝の指定で、「南禅寺水路閣」が正式名称なんだと初めて知った(笑)



ずっと、南禅寺の「水路橋」って思ってた。
今回、国宝に指定された「南禅寺水路閣」。
南禅寺の境内を貫くように通り、琵琶湖疎水の支線が流れています。
古びたレンガ造りの姿が南禅寺の景観のひとつになっている。



でも、普通ならお寺の境内にこのようなものが通るのは不自然ですよね ?



できたのには、やはり理由があります。
琵琶湖疎水事業


応仁の乱で荒れ果てていた南禅寺を復興したことでも知られているのが金地院崇伝 (こんちいん すうでん) 。黒衣の宰相として徳川家康を政治的に支えた人物。
江戸時代を通じて南禅寺は徳川幕府との関係が続き、明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を迎えることになります。
日本全国で仏教排除の働きかけが起こり、領地没収等などが行われ、南禅寺も例外ではありませんでした。
同時期に持ち上がったのが、「琵琶湖疎水事業」。
東京遷都に伴い落ち込んだ京都の景気浮揚対策と京都を元気づけるために行われた大事業。


その事業で農業用水等に使うため、南禅寺の境内に琵琶湖疎水の分線を作る計画が持ち上がりました。
通常はお寺の境内にそんな無理なことをしないし、京都五山のさらに上、別格で日本一の格式を持つ南禅寺ならなおさら。
ただ、南禅寺は徳川幕府との関係が特に深かったために、徳川幕府を倒した明治政府から無理難題を押し付けられたのかもしれません。
反対の意見もあったけど結局は「京都の市民のためなら」ということで琵琶湖の支線を流す「水路閣」の建設が始まりました。


年月を経て南禅寺の一部のように溶け込んだ水路閣は、今は南禅寺の境内の風景に無くてはならないものになりました。



国宝にも指定されたし今となっては、南禅寺に水路閣が建設されたのは良かったのかもしれないですね(^^)
南禅寺


室町時代に制定された京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺 ※万寿寺は現在は東福寺の塔頭寺院)のさらに上の別格寺院が「南禅寺」。



日本で最も格式の高い禅寺が南禅寺です。
歌舞伎の演目で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな!」と見とれた京都の景色が見渡せる三門や庭園が有名。
琵琶湖疏水記念館


ちょうど、琵琶湖から来た船が台車に乗ってインクライン(傾斜鉄道)で前方の岡崎の疎水まで降りて行った写真右側辺りにあるのが「琵琶湖疏水記念館」。
琵琶湖疏水の完成100周年を記念して京都市が開設。 2009年には一時休館しリニューアルが行なわれた。所蔵資料は琵琶湖疏水とともに2007年11月に近代化産業遺産に認定されている。Wikipedia
私も行ったことがあるけど、琵琶湖疎水や国宝に指定されたインクラインのことなどが詳しくわかります。



国宝に指定されたインクラインへ行く前に予習がてら来館しておいたら良いと思います。
インクライン (国宝)


琵琶湖疏水記念館辺りから国宝に指定されたインクライン(傾斜鉄道)が上に延びています。



春は桜がめっちゃ綺麗なスポット。


上の写真の噴水辺りから見た明治時代の眺めが下の写真。


明治になって、東京遷都に伴い落ち込んだ京都の景気浮揚対策と天皇がいなくなった京都を元気づけるために行われた大事業が「琵琶湖疎水事業」。



琵琶湖の水を京都まで引いてくるのは長年の夢だったみたい。


同時に京都と琵琶湖間の物資輸送のために、インクラインも建設されました。
今ではその琵琶湖疎水沿いやインクラインに桜が咲き誇り、現代の私たちを楽しませてくれています。
インクラインの船溜


国宝のインクラインを登っていくと、琵琶湖から京都へきた船が一時停船する船溜。


台車に船を乗せ、インクライン(傾斜鉄道)で下まで下ろしていきます。
蹴上義経地蔵


国宝のインクラインを登ってくるとインクラインの船溜。
そのすぐ横にあるのが「蹴上義経地蔵」。
牛若丸こと源義経が奥州へ旅立つときに、この蹴上辺りで切り殺した平氏九人の菩提を弔うために村人が九体の石仏を安置しました。
また一説には、我に返った義経が自分のしてしまったことを悔やみ、村人に頼んで九人の菩提を弔うように頼んだともいわれています。
ここに九体の内の一体が祀られています。
蹴上 (けあげ) の由来
京都【国宝モデルコース】南禅寺の水路閣からインクラインの出発点にもなっている地下鉄東西線「蹴上駅」のある珍しい地名が『蹴上(けあげ)』。
平安時代後期、16歳の牛若丸(源義経 みなもとのよしつね)が、京の都から奥州へ旅立つ時のこと。
この辺りで、平家の関原与一ら九人とすれ違い、その中の1人の乗っていた馬が「蹴り上げた」泥水が義経にかかったことがきっかけで乱闘になり、牛若丸が全員切り殺してしまったことが「蹴上(けあげ)」の由来になったといわれています。



その九人の菩提を弔うための「蹴上義経地蔵」。
また一説には、蹴上から東へ向かうとき九条山という山を超えて、山科へ向かいます。
その昔、この九条山に粟田口刑場があり、嫌がる罪人を「蹴り上げて」刑場まで連れていったというエピソードから名付けられたとか。



これは「縄手通」と似ていますね。
蹴上もだけど、京都には他にも珍しく、変わった由来の地名や通りもあります。
本願寺水道水源地(重要文化財)


現地で「本願寺水道水源地」を見ると、なんでこれが重要文化財?って思います。



ただ、水をためているコンクリートの池だから。
でも、「本願寺水道水源地」の凄いところは、明治時代に「本願寺水道水源地」から約4,6㎞も離れた東本願寺(京都駅のすぐ北辺り)まで、地下に鋳鉄管を埋めて水を運んだということ。



現代の社会事業では到底なし得ない斬新で大掛かりな近代の防災文化遺産なんです。



それを含めての重要文化財の登録でしょうね。
本願寺水道とは


明治時代に敷設された約4,6㎞にも及ぶ東本願寺独自の防火用水道。
「本願寺水道水源地」と東本願寺との高低差は約48mあり、防火に必要な自然水圧で水を噴き上げるというもの。
これは江戸時代に東本願寺が四度も焼失してしまった歴史がきっかけ。



ちなみに、平成20年(2008)に老朽化のため停水しています。
本願寺水道を歩こう(PDF) 立命館大学歴史都市防災研究所
日向大神宮 (ひむかいだいじんぐう)


上の本願寺水道水源地辺りから、徒歩約5分で「日向大神宮」。
山に囲まれた静かで厳かな雰囲気に満ちている神社。
喧騒を離れて神聖な心地にさせてくれます。
京都にある他のどの神社とも違う雰囲気に満ちている。



国宝めぐりの最後を飾るにふさわしいオススメの神社です。
伊勢神宮へお詣りするのが一番いいんだろうけど、京都で伊勢神宮へお詣りした気持ちになれるのもありがたいところ。



秋は紅葉の穴場スポット!!


【国宝モデルコース】南禅寺水路閣・インクライン まとめ
どうでしたか。国宝 南禅寺の「水路閣」や「インクライン」。



明治時代の比較的新しい建造物だから、少し身近に感じられる(^^)
国宝の南禅寺「水路閣」&「インクライン」、重要文化財の「本願寺水道水源地(本願寺水道)」だけじゃなくて、周辺にある観光スポットも合わせて案内してみました。
次回京都へ行く時は、【国宝・重要文化財モデルコース】南禅寺水路閣・インクラインを参考にしてみてください。
明治時代に、南禅寺の境内に建設させられた水路閣が時を経て国宝に指定されるとは、その時誰も想像していなかったでしょうね(^^)
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