「 首途八幡宮 ( かどではちまんぐう ) 」
首途八幡宮は, ※宇佐神宮 から八幡大神を勧請 ( かんじょう 分霊し祀ること ) したのが始まりと伝えられています。※ 大分県宇佐市にある 八幡宮の総本宮
首途八幡宮について
祭神は, 誉田別尊 ( ほむたわけのみこと ) , 比咩大神 ( ひめおおかみ ) , 息長帯姫命 ( おきながたらしひめのみこと ) 。
元の名を「内野八幡宮」といい, 平安京の大内裏の北東に位置したため, 王城鎮護の神とされました。
首途八幡宮 源義経, 奥州旅立ちの地。
源義経が奥州平泉へ旅立ったのは, 16歳の時でした。
かつてこの地には, 奥州で産出された金を京都で商いしていた金売吉次 ( かねうりきちじ ) の屋敷があったと伝えられ, 源義経 ( 牛若丸 ) は奥州平泉に赴く際に,この吉次の助けを借りて, ここで道中の安全を祈願して出発したといわれています。
このことから「首途八幡宮」と呼ばれるようになりました。
「首途」は 「出発」を意味しているので, 特に, 旅立ち, “旅行の安全の神様” として信仰を集めています。
牛若丸 ( 源義経 )
源義朝の九男として生まれ, 母は常盤御前。
父義朝が, 平治元年 ( 1159 ) の ※ 平治の乱で亡くなってしまったため, 牛若丸は, 母と共に大和国 ( 現在の奈良県 ) へ難を逃れ, 後に母 常盤御前は公家の一条長成と再嫁し, 牛若丸は11歳の時に鞍馬寺へ預けられます。
※ 藤原信西と平清盛を中心とした政治を覆すために, 藤原信頼と源義朝がクーデターを起こすが失敗した。
牛若丸は, 鞍馬寺で武芸 ・ 武略を磨き, やがて僧になることを拒否して, 鞍馬寺を出奔。 その後, 金売吉次の助けを借りて, 奥州藤原氏の藤原秀衡を頼って, 平泉に旅立っていきました。
秀衡の舅で政治顧問であった藤原基成は, 母 常盤御前の再婚相手の一条長成の従兄弟の子だったため, そのつてをたどっていったのかもしれません。
首途八幡宮 アクセス
京都市バス 「 今出川大宮 」 バス停下車徒歩約2分。 智恵光院通今出川上ルにあります。
近くの観光スポット
雨宝院
御室桜と同じ品種の背丈の低い桜がこじんまりとした境内に咲き誇ります。 ほぼ閉ざされた空間に立っていると, 桜の花で上から蓋をされ, 包み込まれているように感じます。
この感覚は他のどの場所でも体験不可。 「 雨宝院」 でしか体験できません。 ただ, この素晴らしいお寺での注意点は, 広くないこと。
観光客が多いと身動きがとれません。 そんなときは, 空に向かって桜を撮るか, アップしかなし ! だから, 開門直後の9時の訪問がオススメ。 京都の他の桜スポット以上に気にとめておいたほうが無難です。
西陣
応仁の乱の一方の中心人物 山名宗全の勢力が, もう一方の細川勝元の勢力と戦うために, その軍勢の “陣地” を造ったことと, 堀川通より “西” に位置していることから「 西陣 」と名づけられました。 山名宗全の邸宅跡などの応仁の乱の史跡があります。
本法寺
オススメの桜スポット。
「 本法寺 」は, 市バスのアクセスしか恵まれていないから, 今のところ, 観光客も多くなく, 落着いて桜を楽しめます。 派手さはありませんが, 1本1本の桜の配置に意味があり, 心に残る風景を見ることができます。
京都 神社仏閣 関連リンク
京都 ご利益 めぐり
所在地 | 京都府 京都市 上京区 智恵光院通今出川上ル 桜井町 102 - 1 上ル 下ル 西入 東入について |
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電話 | 0 7 5 - 4 3 1 - 0 9 7 7 首途八幡宮ホームページ |
※ 参拝時間 ・ 受付時間等は変更されることがありますので, 神社にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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