護王神社 和気清麻呂がいなければ京都はなかった!?

護王神社2/京都 ブログガイド

 

護王神社 和気清麻呂がいなければ京都はなかった!?

 

京都御所の蛤御門の南西に在ります。

いのししの神社としても知られています。

 

祭神の和気清麻呂( わけのきよまろ )が、

都から九州の宇佐神宮( 宇佐八幡宮 )へ行く途中、

どこからともなく現れた300頭ほどの猪が、

宇佐までの道中を案内したそうです。

 

その時、不思議にも、清麻呂が悩んでいた

足の弱りが治ったそうです。

 

その故事から、特に足腰の健康保持、

けがや病気の回復にご利益があると信仰されています。

 

宇佐神宮

宇佐神宮( 宇佐八幡宮 )は、

国東半島の北の付け根、大分県宇佐市にある神社で、

京都 八幡の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮を含む

日本全国約44,000社ある八幡宮の総本社。

宇佐神宮ホームページ

 

護王神社3/京都 ブログガイド

 

和気清麻呂は、天平5年(733)、

現在の岡山県和気町で生まれ、

奈良の都へ上り、朝廷に仕えました。

道鏡事件

 

諸説あるようですが、奈良時代の末期、

当時権勢をふるっていた僧の道鏡が、

自らが天皇になろうと思い、

 

宇佐八幡宮から

「道鏡を天皇にすれば天下泰平」との

神のお告げがあったと、

時の称徳(しょうとく)天皇に報告させました。

 

その真偽を確かめるために、

和気清麻呂が都から宇佐八幡宮へ

天皇の使いとして向かいました。

 

和気清麻呂は、そのお告げが嘘であることを

称徳天皇に伝えましたが、そのことで怒りを買い、

大隅の国(現在の鹿児島県)へ流罪になってしまいます。

 

その後、称徳天皇が亡くなり、

後ろ盾を失った道鏡は失脚し、

和気清麻呂は、許されて都へ帰ってきます。

平安京への遷都

 

桓武天皇は、都を奈良の平城京から

長岡京(現在の京都府長岡京市)へ遷都しますが、

あまりうまく事が運ばず、和気清麻呂は、

現在の京都へ再び遷都することを進言します。

 

桓武天皇はこの案を採用し、以来、

平安京が1000年以上栄えていくこととなりました。

 

もちろん和気清麻呂は、

平安京の造営に深くかかわり、その基礎を築きました。

 

もし、和気清麻呂がいなかったら、

天皇の系譜も変わり、

今の京都もなかったかもしれません。

 

護王神社1/京都ブログガイド

 

江戸時代末期の孝明天皇は

和気清麻呂の功績を讃えて、

護王大明神の称号を与えました。

 

明治7年(1874年)、

神護寺の境内にあった清麻呂を祀った廟

護王神社と名前を改められ、

 

明治19年(1886年)には、

明治天皇の命令として、神護寺境内から

現在の京都御所 蛤御門前に移されました。

 

護王神社4/京都 ブログガイド

 

護王神社の境内には、いたるところに、

イノシシがいっぱいです。

 

護王神社6/京都 ブログガイド

 

本殿に向かって右側にある

「 足萎難儀回復の碑 」には、

足腰の病気やけがの回復を願って、

たくさんの人がご祈願に来るそうです。

 

護王神社5/京都 ブログガイド

 

現在、本殿は改修工事が、行われています。

今年の11月には、新しい本殿が、お目見えしそうです。

 

足腰にけがを抱えている人や、亥年生まれの人は、

一度、護王神社を訪れてみてはいかがでしょう。

 

護王神社ホームページ

所在地 : 京都府 京都市 上京区 烏丸通下長者町下ル 桜鶴円町385
地下鉄烏丸線 – 丸太町駅下車 北へ徒歩7分
市バス51系統 – 烏丸下長者町停下車すぐ

電話 : 075 – 441 – 5458

参拝時間 : 午前6時 〜 午後9時

受付時間 : 午前9時 〜 午後5時




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