「 下御霊神社 」
下御霊神社のご利益は「疫病退散」。
ちょうど御所の東角のすぐ南、寺町通丸太町下ルにあります。
下御霊神社 笑う狛犬
表門の前に控える阿吽の狛犬。
下御霊神社の狛犬の口の空いている方はちょっとユーモラス。
大きい口を開けて、さも笑っているように見えてしまいます(^^)
下御霊神社 御霊水 (ごりょうすい)
江戸時代の明和七年 (1770) の秋、京都は干ばつに見舞われました。
その時当時の神主の出雲路定直が夢のお告げで境内の一か所を掘らせたところ、なんと、清らかな水が湧き出て万人を救うことができました。
そして、その水は「感応水」と名付けられたそうです。
残念ながら現在はその井戸の痕跡はないけど、同じ水脈からくみ上げた水を改めて「御霊水」と名付け、自由に飲めるようになっています。
水質検査もちゃんとしているから安心。
私も飲んでみたけど、柔らかくまろやかな味わい。軟水ですね。
ちょうど「御霊水」を汲みに来ていた人に聞くと、コーヒー・お茶・水割りの水として最高なんだそう。
「梨木神社」の境内には「染井 (そめい)」という現存する唯一の京都三名水があります。
「御霊水」と水脈は同じかどうかわからないけど、その味は甘くまろやか。
それほど離れていないから「御霊水」を飲んだ後に「染井」へ行ってみるのもオススメ。
そして、ちょっと離れているけど、御所の西側にも美味しい水が出る神社が。
「菅原院天満宮神社」といって菅原道真をお祀りしています。
ここに菅原家の邸宅があり、菅原道真の生まれた場所 (諸説あり) と言われています。
境内には「菅公御産湯の井」 があります。
飲んだら賢くなる?!
菅原院天満宮神社 (下御霊神社から徒歩約15分)
御所の周りで、名水めぐりをしてもいいですね (^^)
下御霊神社 疫病退散にご利益
平安時代初期の貞観 ( じょうがん ) 五年 ( 863 ) , 神泉苑 で行われた御霊会 ( ごりょうえ ) が行われました。
その時祀られていたのが、いずれも無実の罪などで非業の死を遂げてしまった人物。
・崇道天皇 (すどうてんのう=早良親王 さわらしんのう 桓武天皇の弟)
・伊予親王 (いよしんのう 桓武天皇の皇子)
・藤原吉子 (ふじわらのきっし 伊予親王の母)
・藤原広嗣 (ふじわらのひろつぐ)
・橘逸勢 (たちばなのはやなり)
・文屋宮田麻呂 (ぶんやのみやたまろ)
そして、吉備聖霊 きびのしょうりょう)、火雷天神 (からいのてんじん) を加えて八座とし、京都市上京区の出雲路に祀ったのが下御霊神社の始まり。
当時は恨みを持って亡くなってしまった人間が怨霊となって、疫病や天変地異を起こしていると考えられていたため、この御霊を鎮めるために神様としてお祀りしました。
その後は転々とし、天正十八年 (1590) に、豊臣秀吉が行った応仁の乱などで荒廃した京都の都市整備の際に、今の場所に移転。
昔から京都御所の産土神 (うぶすながみ 土地の守護神) として崇敬され、享保 (きょうほう1716~1736) 年間には、霊元天皇 (れいげんてんのう) が行幸し、祈願文をお納めています。
本殿は寛政三年 (1791) に仮皇居の内侍所 (ないしどころ) を移築したもの。
表門は旧建礼門を移築したものといわれています。
下御霊神社 アクセス
ちょうど御所の東角のすぐ南, 寺町通丸太町下ルにあります。
・ 京都市バス「河原町丸太町」バス停から徒歩約3分
・ 京阪「神宮丸太町駅」1番出口から徒歩約6分
・ 地下鉄「京都市役所前駅」の改札を出て、ゼスト御池 (地下街) 11番出口から徒歩約8分
下御霊神社 まとめ
疫病退散にご利益のある神社。
多くの神社が大変なように、御霊神社も境内に車を駐車させることで財政面でプラスにさせているのかもしれません。
仕方がないことだけど、少し目をつぶる必要があります。
円やかで優しい味わい。
所在地:京都市中京区寺町通丸太町下ル 上ル下ル西入東入について
電話:075-231-3530
拝観時間:9:00~17:00 下御霊神社ホームページ
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※ 参拝時間・受付時間等は変更されることがありますので、神社にご確認ください。万が一、間違っていたとしても責任は負いかねます。予めご了承ください。
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