「 新日吉神宮 」
京阪「 七条駅 」4番出口を出て, 七条通 ( 東西の通り ) を東へ。 新日吉神宮へ向かう道は, なだらかな坂道。
三十三間堂 ・ 国立京都博物館を過ぎて, 東大路通 ( 南北の通り ) を渡ると女坂。
今では, フォーシーズンズホテル京都や京都女子大学があるけど, 平安時代の昔この辺りは「 鳥辺野 ( とりべの ) 」と呼ばれる平安京の東の風葬地でした。
皇族・貴族の他に, 源氏物語では急死した夕顔や葵上 ( あおいのうえ ) , 紫上 ( むらさきのうえ ) もここで荼毘に付されています。 ※皇族や高貴な人は火葬されたが, 一般人は風葬。
平安の昔に思いをはせながら, 女坂を約3分登ると右手に新日吉神宮の鳥居が見えてきます。
新日吉神宮 について
鳥居をくぐると, 立派な楼門が出迎えてくれます。
ところで, タイトルの新日吉神宮の読み方。
「 いまひえじんぐう 」と読みます。
絶対に読めへん (笑)
保元三年 ( 1158 ) , 後白河天皇は皇子に天皇 ( 二条天皇 ) の位を譲り, 後白河上皇となりました。
上皇となると二条天皇のいる御所にとどまることはできません。
そこで, 後白河上皇は現在の東山七条 ( 新日吉神宮の西側 : 七条川端 ~ 鴨川 ) の辺りに, 自分の御所を造ることになりました。
それが, 「 法住寺殿 ( ほうじゅうじどの ) 」といいます。
その2年後の永暦 ( えいりゃく )元年 ( 1160 ) に, 後白河上皇はその法住寺殿内に比叡山の東にある滋賀県大津市 坂本の日吉山王七社 ( 日吉大社 ) の分霊を祀ったのが新日吉神宮の始まり。
祭神として, 後白河法皇※のほか皇居守護神 山王七柱を祀り, 酒造・医薬・縁結びの神として信仰を集めています。
※仏教を深く信仰していたため, 仏門に入り ( 出家 ) , 「後白河法皇」 となりました。
当初は智積院南側に創建されましたが, 元和 ( げんな ) 元年 ( 1615 ) , 豊国神社が豊臣滅亡後に壊されると, 旧豊国神社前に移り, さらに明治三十年 ( 1897 ) に現在の地に移りました。
新日吉神宮 境内
楼門をくぐって境内に入ると, パッと視界が開け, 広い空間が現れます。
舞殿から本殿を眺めると後ろの借景にビルなどの建物がなく, 清々しい気持ちの良い景色が眺められます。
ひとつ気になるのは, 境内の一部を駐車場としていること。 上の画像にも映っているけど, それが少し残念ですね。
社殿は応仁の乱で焼けてしまい, その後しばしば増改築が行われました。
新日吉神宮 本殿
現在の本殿は, 天保六年 ( 1835 ) の改造で, 大きな流造 ( ながれづくり ) 。
古くから朝廷の崇敬が厚く, 後白河上皇の御幸 ( 訪問 ) は108回に及んだといわれ, 数多くの天皇の遺物, ※ 宸筆 ( しんびつ ) を蔵しています。
※ 天皇, 上皇がみずから筆をとって書いた文書のこと
また, 寛政十年 ( 1798 ) に, 紗法院から境内の ※樹下社 ( このもとのやしろ ) に寄進された長谷川等柏筆と伝わる豊罠秀吉の肖像が保存されています。
※現在は, 境内の豊国神社。
なお, 江戸後期の小沢蘆庵 ( おざわろあん ) をはじめ多くの文学者の稿本など, 近世文学の資料を蘆庵文庫の名で宮司家が保存していることは有名です。
大黒様
本殿前に鎮座しておられます。 縁結び・商売繁盛の神様で新日吉神社の祭神の1柱です。
真猿 ( まさる )
日吉大社のお使いがお猿さんだから, 新日吉神宮もお猿さんが神様のお使い。
本殿前の大黒様の横に安置されています。 新日吉神社の使者で悪気・災厄を避けて幸福を授けます。 真猿 ( まさる ) なので, 「魔が去る」といわれています。
新日吉神宮 幸せのお猿さん
本殿欄間・本殿前に安置されている御猿は, 大神の使者で, 御幣・美鈴を捧げて悪気を祓い, 凡ての災厄を退けて幸福を授けるという不思議な働きをするといわれています。
肉眼では遠くて見えないから, 備え付けの望遠鏡で見てみたけどダメだった。
どうしても欄間の実物が見たい人は, 自分で望遠鏡を持ってきた方がいいですね。
狛犬ではなく, “狛猿” です。
新日吉神宮 境内社
豊国神社 ( ほうこくじんじゃ )
現在は, 晴れて豊国神社と呼ばれているけど, 江戸時代の名前は 「 樹下社 ( このもとのやしろ ) 」。
なぜかというと, 徳川幕府によって豊国神社 ( 豊臣秀吉を祀る神社 ) が取り壊された後, 幕府にばれないように秀吉公の御霊をお祀りしてきたそう。
元々, 秀吉は”木下”という姓を名乗っていたことと, 幼名を”日吉丸”といいました。 そこで,「樹下」と違う字を当て, ここ新”日吉”神宮で御霊を護ってきたということです。
愛宕神社 秋葉神社
豊国神社の隣にあります。 1160年に後白河上皇によって創建されました。
飛梅天満宮
本殿向かって左側にあります。 撮影したときはちょうど梅が咲いていました。
山口稲荷神社
鳥居横にあります。
スダジイ
本殿の裏にあるスダジイは幹回りが4m以上あって, 江戸時代以前から存在していた思われ, 樹齢500~800年といわれています。
新日吉神宮 アクセス
・ プリンセスライン※「京都女子中高前」バス停下車すぐ。
・ 京都市バス「東山七条」バス停下車徒歩約4分。
・ 京阪電車「七条駅」4番出口から徒歩約12分。
※ プリンセスライン : 京都市バスではありません。 真っ赤なバスで, 四条河原町 ⇒ 京都駅 ⇒ 京都女子大学を運行しています。
新日吉神宮 近くの観光スポット
法住寺殿跡
現在も実際にある法住寺の門前に「 法住寺殿跡 」の石碑が建っています。 平安時代に藤原為光によって創設された天台宗の寺院。 この法住寺を中心として, 後白河上皇の院政を行う御所 「 法住寺殿 」 が造営されました。 新日吉神宮から徒歩約8分にあります。
後白河天皇 法住寺陵
法住寺の北側の細い道を進んでいくと, すぐに「 後白河天皇 法住寺陵 」があります。
第77代天皇の後白河天皇は, 近衛天皇の急死により即位しました。 子の二条天皇への譲位後は 「 後白河上皇 」 として, 幼い二条天皇の代わりに政治を行いました ( 院政 ) 。 平安から鎌倉へと時代が変わってゆく激動の中を, 何度も政治生命を絶たれそうになりながらも, その都度復帰。 仏教を深く信仰していたため, 仏門に入り ( 出家 ) , 「 後白河法皇 」 となりました。
三十三間堂
新日吉神宮から徒歩約8分にあるのが, 「 三十三間堂 」。 正式には, 蓮華王院の本堂。 建物は, 高さ16メートル, 奥行22メートル, 幅120メートル。 元々は, 後白河上皇の院政の御所である法住寺殿の一部でした。 千手観音や中尊, 風神雷神立像, 二十八部衆立像に圧倒させられます。
新日吉神宮 まとめ
とにかく, 知らなかったら「いまひえじんぐう」とは読めない (^^)
借景の東山を眺めながら, ゆったり広々とした境内で気持ちよくお詣りすることができます。
特に, 新緑の時期にお詣りしたら清々しいと思います。
お猿さんに幸せパワーをいただくこともお忘れなく ! !
後白河上皇が, 法住寺殿を造営する際に創建した神宮だけど, 豊臣家滅亡後のエピソードの方が印象深いですね。
京都 神社仏閣 関連リンク
所在地 | 京都府 京都市 東山区 妙法院前側町 451 − 1 上ル 下ル 西入 東入について |
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電話 | 075 - 5 6 1 - 3 7 6 9 新日吉神宮ホームページ |
※ 参拝時間 ・ 受付時間等は変更されることがありますので, 神社にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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